2010年9月6日

本番レビュー後編~そして聖杯は伝説になった~

ちょっと引っ張りすぎたが・・・

そしてバッカス20、最後のトリ曲「新世界全楽章」
2部の雰囲気とは打って変わって、客席も緊張しているようだ。バッカスの歴史を短く語るYASUKOさんのナレーションはむしろ淡々と明るく、それがかえって決意を高めてくれる。

一瞬、旗揚げから19年間の思い出がフラッシュバックした・・・汗をぬぐって歩く御茶ノ水の坂道、岩井海岸の青空、江戸川の蝉の声、夜の新小岩の路地裏、本郷のパトカーのランプ(ふたき公安出動事件ね)・・・まぶたの中をいろいろな光景がめぐった。

全員の顔を見渡してから、おもむろに棒を構えて第一楽章。暗い大西洋、霧に包まれるニューアムステルダム(というイメージ)

新世界にかぎっては、僕の印象だけでは美化されすぎるため録音も聴いてみよう・・・。

1楽章
序奏・・・なんていいんだ!D,C,Bの深さに思わず引き込まれてしまう。Gの気高いラッパもかっこいい。その後の管楽器の寂しげなハーモニーが美しい。いきなり良すぎる!マンドリンの盛り上がりもTIMPも熱い!・・・いちいちいっていたら大変なことになるから省略するが、1楽章はCに始まるNewpowerのモチーフとFやMNDに受け継がれる古きよきテーマが交互に呼応しあい、ひとつになって盛り上がっていくところが聴き所になっているが、例のゾウとネズミ理論でテンポを極力抑えたことで、意外に整然とし堂々たるシンフォニックな効果が出ていた。細かい毛先のみだれは耳に付くが、曲のエッセンス・表現したいこと・勢い・・・これらの濃すぎるパワーがそんな些細なミスなど吹き飛ばしてくれる。

2楽章
これも序奏にこだわった・・・。結果、深い。そしてなんといってもCソロ、名手マキちゃんが、ここではけして飾らず力まず、ひたすら朗々と歌い上げている。こみあげてくるなぁ。思わず目を瞑って聴いてしまう。本番も(ちょっと芝居がかっていたが)目を瞑って振った。中間部、指揮者が一生懸命何かやろうとしている感じ。これも悪くないのだが、テンポなんて揺らさないくても奏者が本当に気持ちをこめて歌っているので、変に動かさないほうがよかったかもしれない。続いてクラ、ベースが思索的ですごくいい。中間部のお祭りも感動的。最後のソリも泣かせる。思わず涙ぐんでしまう。

3楽章
最初の勢い、管弦に劣らずかっこよくてびっくりさせられるが、1回目が少し転んでいるかな?この序奏は計3回繰り返されるが、2回目3回目とだんだん良くなっているのでOK。例のモチーフはカッコいい。戦っている感じがよく出ている。逆落としにつっこんでくるようなクレッシェンドがGOOD。管楽器ののびのびした音色も最高。テンポもよく豪快で予想以上の出来。惜しいのは最後にドラが、このスケルツオの謎解きをしているのだが、ちょっと混沌として聞こえない・・・。でもこの勢いと奏者の前のめりな情熱は、どこにも出せない味である。

4楽章
豪快な序奏。「気迫」の二字が伝わってくる。テンポはとてもいい。前夜「ゾウとネズミ理論」に気付かなかったら、たぶんもっとあせって、せかせかとしたもったいない音楽になっていたことだろう。骨太な響きががっちりと肩を組み、心をひとつに奏者が燃え上がる・・・これぞ魂の演奏。途中、実演中も気付いたし、録音を聞いてもそうだが、一瞬か二瞬、奏者の体力・集中力が限界に達し、分解しそうになる瞬間がある。だが、僕はそれを恥ずかしいとは思わない。弓よりもマンドリンで演奏するほうが数倍疲れる。限界までそれをやったのだから誇りに思うべきだ。そもそも体力の限界まで演奏できる機会ってそんなにあるだろうか。

それに、一瞬力尽きるが、次の瞬間には、斃れた仲間の遺志を受け継ぐように、音楽の魂が、消えない炎のようにすぐに復活してくる。この不屈の闘志がいい。これぞドラマだ。フィナーレのの音の洪水、僕は録音を会社の昼休みのトイレで聞いたときおもわず嗚咽した(註:オエッ、ではない)




なんてすごいやつらなんだ!!バッカス・マンドリーノは!!




この演奏(録音)のすべて(些細なミスも含め)がいとおしい。こんな演奏は二度と誰にも出来ないだろう。
僕の人生を通じて、「これがバッカスマンドリーノ。あらゆる演奏(録音)で一番好きな演奏です」と胸を張っていえる演奏であった。



実演のレヴューに戻る。ブラボーと鳴り止まない拍手をいただきながら、僕らにはもう一滴のガソリンも残ってはいなかった。パートをそれぞれ立たせたあと、2回出入りしたくらいであっさりアンコール。今年は団員間で非常に評判のよかった「篤姫」。

考えてみると今年、鉄の団結で合奏を引っ張ってくれたTOP陣はBASSを除けば全員女性なのである。信義をつらぬき激動の時代を力強く生きた「篤姫」は、まさに今年のTOP陣を象徴していたのかもしれない。だからだろうか、演奏中泣く団員が続出した。卒業とかは関係ないルーチンワークの社会人団体では極めて珍しい現象である。心はひとつ。もう言葉は要らない・・・最後の最後までトレモロをあじわおう。



・・・終わった。今回の演奏は終わってみれば、自分が19年間目指してきた、こんな演奏会が出来たらいい、と思っていた理想の演奏会そのものだった。不思議なもので練習に夢中なときはそんなこと思わなかったのだが。

ちょっと回想するが、最初の10年は、本当に毎回手探りで、暗中模索の日々だった。劣等感や虚栄心にさいなまれ、こんな演奏をしたらバカにされるんじゃないか、○○団には負けたくない・・・。マンドリンオケは贋物で代用品に過ぎないんじゃないか?・・・あのままだったら自分は指揮者としてつぶれていたろう。
しかし幸い、人の縁だけには恵まれて、団員はもちろん、アマ・プロ、マンド界・非マンド界、国内・国外、いろいろな「上には上」の人々と触れ合うなかで、そういう尊敬すべき人たちほど、ちっぽけなプライドや見栄などと無縁な自由な精神で音楽を楽しんでいることを知った。

音楽を楽しむ才能は、万人に平等に与えられた権利なのだ。音楽はみんなのもので神様みたいに誰にも犯せないものだ。我々ごときが音楽をどうこうしようなんて傲慢なことだ。無い頭で悩むより楽しんでしまえ!そう開き直った頃から、指揮が楽しくなってきた。~(回想終わり)


終演後、お客様に挨拶する。懐かしいOB・OGたちの顔も見える。ありがとう!いつかまた同じステージに立ちましょう!個人的にうれしかったのは、駒澤の現役の後輩がたくさん来てくれたこと(もう5.6年ご無沙汰だったのに・・・ありがとう)館女で教えていたOG達がたくさん来てくれたこと。(みんなケバ、いや輝いているな、ありがとう)もちろん、葛飾を満員にしてくれたお客さん全員に、心からお礼を言いたかった。


ここであらためて本気でお礼。ここまで続けられたのも、お越しくださるお客様のおかげです・・・。本当に団員一同お礼申し上げます。


打ち上げはふたきへ。大入り満員の大成功と20回記念で、異様に盛り上がったことはもう言うまでもない。僕と小川君へのプレゼントは巨大なアフロのカツラとひげダンスの燕尾服。浴衣から着替えたのでめんどくさくてブリーフ一丁の上にはおって、ひげダンスでサーベルに夏みかんの再演したら受けていた。この日もさまざまなキャラクターが入り乱れる、強烈な飲みとなった。

そして、例年通り聖杯の登場。この聖杯の形状・材質は外部には一切極秘であるが、この聖杯も第一回目から登場しているので、じつに20回の歴史を秘めている。最初は悪趣味なシャレだったのだがシャレも5年やれば習慣、十年やれば常識、15年やれば権威、20年やれば伝説である。

この聖杯による回し飲みを頂点に宴は夜明けまで続いた。久しぶりに僕もかなり酔い、はだけたタキシードにブリーフ一丁で語っていたら、みかねたのか二人の20代前半の若い乙女が僕の前に座って「あの、お洋服を着たほうが素敵だと思います・・・」今年40歳の僕はブリーフ姿であわてて正座して「ハッ」とかしこまった。見ようによっては、ほとんど捕まった変質者であった・・。


翌日、去年に続き、団員がまだ眠る7時にふたきを出る。

やかましいせみの声の中、ひとつの時代が完結し、また新たな時代が始まる大きな区切りをやり遂げたという気持ちに、今までに無い充実感を感じて本郷三丁目を後にした・・・。

(ふたきさんも長い歴史にピリオドをうつらしい、ありがとうございました!また毎度お騒がせしました)

2010年8月31日

バッカス20本番前夜&本番レビュー前編

本番前夜。石川君が撮った合宿のDVDが送られてきた。
早速、全神経を集中して、オケ側からの自分の指揮をチェック。(いままでオケがわから自分の指揮を見たことは無かったのだ)2部に関しては、ほぼOK。というか、振っているほうもウケっぱなしで、すごく楽しそう。棒もおおげさで分かりやすい。

しかし新世界に関しては・・・。いろいろ発見。いいところも悪いところも。それ以前にテンポの設定だ。 面白いことに気付いたのだが、天井の低い川金のテンポは非常にせかせかして早く聞こえる。振っているそのときはそう感じないのだが。 もし仮にこのテンポで天井の高い杉並やモーツアルトホールで振ったら、音が団子になり音楽が崩壊するだろう。なぜなら天井が高いと音のレスポンスが遅くなり、響ききる時間が長くなるからだ。

杉並でのゲネのテンポが遅くなってしまったのはあながち失敗ではなくて、ホールの響きで本能的に指揮者と奏者が選んだテンポなのだ。ただ、その自覚が無かったので無理にテンポを引き戻そうとして混乱したのだ。 天井の高さ(箱の大きさ)でテンポの感じ方は替わる。ゾウにとっての1時間がネズミにとっての1日であるように。

わかった。わかったよ。箱の大きさで微妙にテンポは替わるんだ。 20回にして悟るな!そんな大事なことを。
これをみなに話して間に合うのか?いや、音楽はその気になれば一瞬にして変わる事ができる・・・それを信じよう。

 19年の総決算バッカス20、 いよいよ運命の当日がやってきた。集合して元気に挨拶を交わす。いきなりあわただしく109人が乗る舞台設営である。 オケピをあけて、舞台を出す。ひげダンス用であるが、客席を何列かつぶしてでも板を出すことで、ものすごく音のとびがよくなるという効果を発揮することに後で気付く。

さて練習だが、いつもながら最初は合わせづらい・・・。客席に人が座らないと、音が散ってしまうのだ。 しかし、オケの前に板があることで、客席から聴いていると、音がすごく飛んでくる。これは例年には無いことだ。

昼食後、リハ、新世界の練習。前夜に悟ったテンポの件を話し、理解してもらう。 この日、新世界の練習は全曲通しただけ。いつも入念に要注意箇所を繰り返す自分にしては異常な光景である。いいところだけをほめて、かすったところはスルー。本番では必ずやってくれると演奏者を信じているのでもう何も言わない。この団員との信頼関係、19年かかって得た最大の財産である。

その分ドリフのリハを入念にやって、いつもより時間が無い。押せ押せの進行だ。時間がとぶように過ぎて気が付いたら夕食。もう開場か。

ところでこの8/28はマンドリン関係のイベントが多い。早慶ジョイントもあり、しかもこの酷暑・・・20回記念ではあるが特別いつもより派手に宣伝している訳ではない・・・お客さんはたくさん来てくれているだろうか? 期待と不安で押しつぶされそうだ。

入場すると・・・うわっ!1階席も2階席も満員だ!立ち見までいる。ありがたくて涙が出そうだ。ものすごくうれしくもあったが、恐怖に近い緊張も覚える。もう後には引けないぞ!

1部小川君の作ったファンファーレ。みっちゃんのソロ、まっすぐにきれいに響き渡る。幸先がいい。このファンファーレ、TUTTI2小節目のB♭/D→Gm6の動きが、どこかRPGかなにかの冒険のテーマっぽくて小川君らしい。

パストラ、冒頭のモチーフの響き、すごくきれいである。やっぱりこういう音楽には最高のホールだ。その分早いリズムはあわせるのが難しい。指揮をしっかり見てあわせる。

舞踊風も早い部分は最初音がなりきらないうちに先先へ行っているような感じに聞こえるが、パーカスもしっかりあって、合わせにくくはない。中間部のゆったりしたモチーフ、聴いたこともないくらいきれいである。2曲ともマンドリンオリジナルの代名詞というべき名曲だけあって、弾いていても本当に燃える。総じて1部はもちろん大成功である!

2部、はっぴに着替えて舞台裏で待つ。YASUKOさんが僕のリクエストに答え舞台と客席で「オイッス!声が小さい」とやっている。なんでアニメ声・・・。そして結構ノッている客席。舞台裏では笑い転げている。つかみはOKである。

さて全員集合、コラールが泣きたいほどきれい。そして掛け声の後北海盆歌。子供の頃毎週土曜日、胸をときめかせてこの曲を聴いたものだ。そしてタブー。照明が落ち、例のリズムが聞こえてくる。そして卑猥な掛け声の中、ピンクの照明の中で、ソロを弾きながら悩ましく足を組みかえるみっちゃん。もちろん客席は大うけである。

そして早口言葉。はっぴに鉢巻のパフォーマンス隊が、一糸乱れずに例の踊りを踊り狂う。東村山音頭・・・。盆回り。そしてついに今日のハイライトひげダンス。この日のために練習してきた佐藤山下両君の演技が始まった。わざと?はずしたりしてお約束どおりにはらはらさせながら、最後は見事にサーベルに夏みかんを突き刺した。(実はかなり難しい!二人ともアッパレである)おまけの器械体操とおなじみのポーズで、最高潮に盛り上がる客席!すごい勢いの手拍子で曲が聞こえないほどである。これはうれしい計算外であった。

そしてエンディングのビバノン。ここでもパフォーマンス隊が躍り狂い、大団円の楽しいフィナーレとなった。 お客さん手拍子ししてくれるかなー、なんて悩んでいたのがウソのよう。手拍子が激しすぎて困るくらいである。 うーん、狙い以上、想像以上の大うけである。総合演出川田氏、パフォーマンス隊、佐藤やました両君、照明志賀君、本当にありがとう! 楽しい!!満員のお客さんの笑顔がうれしい!!この曲やってよかった!

一旦退場し、大河。 龍馬。こういう早くて内声がうねうね細かい動きをしている曲はこのホールは響きすぎてとても合わせずらい・・・。テンポも戸惑い気味か。しかし最後はかっこよく駆け抜けた。 篤姫。この日一番きれいに鳴ったろう。もうなんともいえない。幸せと感動でちびりそうである。 新撰組。心配していたテンポも安定。思い切り振れた。オケも燃え上がっているよう。最後の隠しだまは合唱。これはカッコいい!鳥肌物である。 なんか特定の人の声がすごく良く聞こえるが・・・もちろんOKだ。

2部も期待をはるかに超えた大成功!! 舞台裏に戻り、スポーツドリンクをがぶ飲みして、休憩。 ついに最後の大曲、新世界に挑む。団員と最後まであきらめずに駆け抜けることを誓いつつステージへ。 (後編へ)

2010年8月23日

ゲネ&最後の練習

8/21。さあ、ゲネである。この日はパーカスさんから司会のYASUKOさんまで参加の総通し。
杉並に集合、楽器の準備(皆さん積極的にセッティングしてくれてありがとう!)、朝からあわただしい。この日は準備と打ち合わせで午前中のオケ練習もどこか上の空、すべてに余裕が無く、ほとんどぶっつけで通しとなる。

  
1.2.3部、基本的に音色と響きは美しかったが、久々の杉並で、天井が高く合わせにくく、特に速い曲で空回りしてしまう。人もかなり増えたので、リズムのキレと音程が厳しい。パーカスさんも約1ヶ月ぶりのうえ、指揮者もアインザッツを出す余裕が無く、かなり合わせにくそう。おまけに大事な4楽章のテンポ設定を誤り遅くなってしまい、勢いを失って僕は体力をかなり消耗した・・・。
と、合宿の順調振りから比べると、全体に厳しい出来であった・・・!いろいろ理由を並べてもやはり最後は指揮者の責任である。みんなごめんよ!


しかしもちろん本番前なのでそんなことはおくびにも出さない。あの名将・東郷司令長官は日本海海戦直前に主力戦艦2隻を機雷で失ったが、号泣する部下達の前で無表情に「ずいぶん沈みましたね」と言って周囲を唖然とさせ、かえって士気を高めた。ここはそれにならって「ずいぶんズレましたね」と他人事のように言っておいた。


毎回上手くいくのなら最初からこんなに練習する必要も無いはず。ポジティブに考えて、とにかくゲネは終了、決起会になだれ込んだ。
この日の決起会では、古株団員のテーブルでいろいろと談義に花を咲かせた。来し方行く末、子育て談義・・・昔からの仲間との話は楽しかった。そしてこの日はどうしたことか、そのあと数人の若手(無論全員男だ)と喫茶店で閉店まで恋愛談義。いいなあ荻窪の夜。
その夜は楽しかったが、帰ると自分のふがいなさが悔しくてあけがたまで眠れなかった。気付くと新世界が頭の中でエンドレスで回っている。この必死な感覚、何年ぶりだろう。


朝、ゲネの録音が早くもMLにアップされてきた。恐る恐る聴いてみると・・・意外に良かった。最近天井の低いところでの練習が多かったので、録音も縦はあっていても音が雑でムラがあったのだが、杉並は合わせにくいけれども、その響きで見事に演奏の粗がカバーされていた。そんなものなのである。


家内も一緒に聞いていたのだが、プロの音楽家である彼女は激賞してくれた。ただし遅い4楽章に関しては「勢いが大事。音程やズレが気になって音楽が死ぬのは本末転倒」とアドバイスしてくれた。


そうなのだ。我々は楽器を置けば第一線の社会人・家庭人またはその予備軍である。いやらしい話、史上最多107人(!!)というこれだけの人間のこれだけの日数・時間・労力を拘束すると、仮にお金にすればとてつもない金額がかかるのだ。それが入場無料のコンサートをする。
この不可解な集団を説明するには、ただ「好きという情熱」・「勢い」という言葉しかないであろう。


最後に言いたいこと・・・何よりも「勢い」を大切にしたい。それがバッカスという情熱の集合体の、動機であり燃料なのだから。

8/22の最後の練習はそんな気持ちで臨んだ。特に言わずともみなそういう気分になってくれたのか最後の練習にふさわしいベストな演奏となった。


練習の最後、自然発生的に沸き起こった拍手。数人は涙ぐんでいた気がする。僕たちはうなずき交わしながら、本番当日での再会を約したのであった・・・。

2010年8月19日

ヴィダル・サスーン!(夏合宿報告2010)

さあ、いよいよ夏合宿!と全力で集中したいところだが、仕事のことで四六時中携帯のチェック。
ああああ。いつから日本はこんなに忙しくなったんだろう。昔の夏休みはもっと一年で一番楽しくて、仕事は一週間前から手に付かず、この岩井だけは電波も届かず治外法権的な楽しさだったのだが。たった6日間の短い夏休みなのに、得意先や協力会社から「休み長いですね~」と。休業中だと言っているのに見積もり依頼がガンガン届き、ぼくは夕べも深夜まで自宅で心中怒り狂いながら仕事をしていたのだった。

人間は家族や趣味や恋愛のために生きているのだ。それに必要な糧のためだけに仕事をしている・・・はずなんだがなあ。
のっけから愚痴ってしまったが、何はともあれ合宿!有る意味本番よりハイテンションで、毎年奇跡が起こる場である。

記録的な猛暑の中、1日目の午後はあまり人数の集まりも良くない。譜面あわせ・パー練。新世界は、楽章を追ってテンポの変わり目などをチェック。また、夜は舞踊風・2部のドリフや大河中心。人数も増えてきて、奏者が牡蠣がらの様に密着している感じ。で、もう2部は最高。よく、なぜ思いっきり盛り上がるドリフをトリにしないのかときかれるが、やはりあえてドリフが前で、大河が後なのだ。笑いの後にシリアス熱血系。これがポイントである。

1日目の夜は、僕も久々に飲みに参加、新人さんたちとも交流する。しかし早々に引き上げ、S君に借りたヌンチャクを振り回して遊ぶ。これが指揮のいい予備運動になるのだ。結婚式の披露宴の余興でこれをやるとウケるらしい。つなぎ紐を赤い紐に替えて「新郎はこっち(振り回すほう)、新婦はこっち(握るほう)です」といって、演技をした後、「こうやってお互い振り回されることもありますが、赤い糸で結ばれた二人は離れることは無いでしょう。」とやるのだ。いつかうまくなってS君の披露宴でやることを提案。

2日目の朝、パーレン回りをした後、海へ。今年は風が強いこともあって、海には入らずに浜辺でぼんやりする。女子団員たちの水着姿を見ると精力をつかうのでそれよりも夜の合奏に備えて休む。なんと修行僧のよう。

午後の合奏は、合宿一番の長丁場。ここを耐えないと夜のテンションは上がらない。1.2.3部と入念かつ執拗に練習。曲想やメンタル部分にも立ち入る。一見和やかに見えて、タクトが振り下ろされるや熱い火花の散る合奏を終えた・・・。
夕食後、夏合宿名物・夜の全通し。

1部は、かなり音が出てきた。快速でも有る。何度か有るG.Pもしっかり決まるようになってきた。

2部はドリフがとんでもないことになってきた。大河はどれもすばらしい。3曲とも名曲中の名曲だからな・・・。新撰組はびっくりの仕掛けが待っています。

3部の新世界。
とにかく奏者が燃えてくれているのがうれしい。1楽章は、機関車のテンポが重要ではあるけれど、割と小刻みな緩急をつけることで各モチーフのよさが出てきた。
2楽章は、変に考えすぎて歌わないほうがいいことが分かってきた。本当の美とは平均的なものの中にあるということが良く分かる音楽。3楽章はあせって急ぎすぎなければ、割に安定している。音が響かないうちに弾きとばしてしまうのは×だ。遅く聞こえない程度に快速のテンポで。難しいが今のテンポでほぼいけるのでは。
4楽章は、安定していて楽しい。ちょっとした音系が崩れてしまうことがあるが、そこは後2回の練習で調整しよう。フィナーレはM界史上最大のffff。

こうして全楽章振り切ったのだが、水着に目もくれなかった禁欲が見事に効いて、ほとんど疲れなかった。

そして大打ち上げ。この夜は新人さんも多く、質問コーナーで例のシャンプー一気が出来て面白かった。みな、ほんとにいろんなシャンプーを使っていること。いろいろ面白い成り行きがあるのだが「ヴィダル・サスーン」にいたっては、全員笑い転げた。

この夜、海へいってちょっとだけ青春したり、新人さんといろいろ話したり、楽しかった。
翌日は通しで気になった部分をおさらいして、合宿を終了。

全体にいって、3日間やはり曲が大変なせいか必死であった。折角歌本を持っていったのにほとんど出番は無く、練習するか、休んでいた。20回記念だからヘビーなのは当然だが、いつかここまで無理せずにできるといい。

さあ、今から夏合宿の録音を聞いて、21日のゲネラルプローベに臨むとしよう・・・。

2010年8月11日

岩井への道のり

8/7東大島!

テンポが速い!士気はいやがおうにも高まっている。
天井も低くてかべにも穴ぼこが一杯。つまりデッドなスペースである。
そこでばっちりきれいに聞こえるときは、つまりしっかりあっているということ。

まだ一喜一憂。でも皆さんを信じてます。有る意味響き過ぎなくて合わせやすくはあるな。

今日はTOPさんたちのこと。
今年は、僕は家庭の事情で練習後の交流・練習前の打ち合わせ、あまり出られなかった。
しかし、TOPさんたちはいつにまして合奏を引っ張り20回記念のテンションを上げて盛り上げてくれた。

最高のTOPさんたちである。

岩井へ・・・!
みんなで行こう。

2010年8月3日

杉並は燃えているか!

考えてみると、これからは一回一回が貴重な日々になると思うので、短くてもいいから練習をレビューしていきたい。。。
8/1、またも杉並である。 ドリフ関係の打ち合わせで早めに会場入り。いろいろ細部まで打ち合わせて、11時から練習開始だ。

きょうは新世界から。 1楽章、ちょっと最初のほうひっかかってしまう。でもファーストコンタクトが一番大事なのだ。ここには本当にこだわりたい。

リズムがはいるととても良くなる。管楽器が全部そろうと本当にいい。しかし長続きしない。くどいようだが同じ速さの汽車に乗ること。線路という未来と過去をたくさんの運命を載せていっしょに疾走したい。 走っている汽車の中でジャンプすると後ろに飛んでいかないのはなぜだろう?ここにグルーブの極意が有る・・・!

2楽章は杉並の音響効果もあって本当に泣きたいほど綺麗。このうえなくウエットで柔らかい。

3楽章、まだ、オケが曲の展開についていけてない気がする。小節に追いかけられている感じ。後一月で克服できるか。

4楽章、もう堂々たる音楽。後は細部のアクセサリーをいかに綺麗に聞かせるか。 年齢のことは言い訳にしたくないのだけど(僕より年上の人に失礼だから)さすがに4楽章全部振ると、いままで経験したことがないくらい疲れる。

龍馬、気持がはいってきた!ただちょっと気持が先走りすぎて上手くあわない。心は熱く頭は冷静に!

篤姫、もう今のままで十分いいのだけれど、もう少し気持とメリハリが付いてもいい。 新撰組、前回は確か、自然発生的に歌っただけだったんだけど。今回はかなりいいと思うのだが。

ドリフ、これは楽しい!! テンション的には17年前をはるかに超えているところがうれしい。

1部は小川君に任せて、この日は家の用事で早く帰宅。

夜、N○アワーでフスマンの新世界全楽章を聞く。こんなことを言うのは妙だといわれるのを覚悟で言うが、今日杉並で聞いた合奏のほうがいい。たぶんオケがすごく燃えているからだと思うのだけれど。

無心になった音楽はいい。人知れぬ練習室で一期一会の名演があってもいい。 本番まで1ヶ月きった!!

バッカス三十六計(抄)

以前、知り合いから、中国人とビジネスをしても日本人には絶対勝ち目が無いという話を聞いた。
大陸のドライな人間性もあるのだろうが、ひとつには多くの中国人は子供の頃から「兵法三十六計」を、掛け算九九のようにそらんじているからだそうな。(日本では一番最後の「三十六計逃げるにしかず」だけが有名)
中国らしいシビアな処世訓であり、「だますよりだまされるほうがいい」という日本人のメンタルとは相容れないものであるが、僕の好きな春秋や三国時代のエピソードがたくさん引用されているので、結構好きで覚えている。
今日はその三十六計をいくつかバッカス風にアレンジして、最近増えてきた新人さんにバッカス内、いや、マンド界、ひいては人生を生き抜く道しるべにしてほしい・・・。

第一計 オケをおだてて海を渡る
練習が始まった頃、難曲でかなり出来がやばい場合、少しでもいいところを無理やりほめておだてると、本当によくなっていき、ついにはうまくいってしまうという計略。バッカスはほとんど毎回これ。

第二計 ギターを囲みてチェロを救う
低音パートが全体にやばいとき、まずギターを攻めてそのすきにチェロがつっこみどころを感知し必死に音を取るという、普通に見られる計略

第四計 逸をもって労を待つ
演奏会場を遠くしたり、猛暑の季節にして、お客様の脳をノンレム睡眠状態にしたところに、満を持して魂のサウンドで迎え撃つという計略

第六計 1stを指してdolaを撃つ
来週は1STを集中攻撃するよ、といいながら、DOLAを攻撃する。1STは予習をしてあるので弾けるし、ドラも極限状態になり弾けるようになるので、一石二鳥の計略。ただし使いすぎると反乱が起こる。

第七計 無中に有を生ず
無いのに有ると見せかけ、あるいはあるのにないと見せかけ、駆け引きをする計略。具体的に何かっっていうと「教養」・「下心」など。

第八計 夜、暗かに東京湾を渡る
合宿いけるかどうか分からないんだよな~、といいつつ、深夜アクアラインや最終のフェリーに乗って打ち上げに参加するという計略。

第十計 笑いに刀を隠す
今日は○○パート少ないね、練習日まちがえてんのかな、アハハハハ・・・といいながら目が笑っていないという計略。

第十一計 李は桃に代わって枯れる
桃と李の木が並んでいたがおいしい李にムシがたかって枯れたという故事から、まじめにがんばりすぎるとぼろぼろになるので、適当にやろうという都合のいい計略。

第十六計 捕らえるために暫く放つ
最終的に末永く団員になってもらうために、ブランク・復帰にゆるやかな団としての戦略。

第二十一計 金蝉脱殻
合宿の最終日、席はあるのにいつの間にかいないという計略。

第二十六計 桑を指して槐を罵る
みんなのためにあえて特定のパートにしつこく絡み、スケープゴートにするという高等計略。心の中では「ごめんね」と言っている。

第二十七計 醒めていて痴を装う
「全然練習してないよ~」といいつつ、合奏が始まるとバリバリ弾いて快感を覚えるという計略。

第二十八計 屋根にのぼらせ梯子をはずす
リハで「じゃあ、みんなでここで立って叫び声ね」と約束しておきながら、本番で立って叫んだのは自分だけだったという現象。

第二十九計 樹上開花
花が咲かないはずの樹に花を咲かせるから転じて、から元気のこと。 テンションが低くても、やけくそで体を動かして演奏していると本当に元気が出てくるという計略。

第三十計 客を転じて主となす
あっ!見学?気楽にみていって!といいながら、いつの間にか楽器を持たせ、あっそこ下弾いて!などと合奏の主役に祭り上げてしまうという計略。

第三十一計 美人計
読んで字のごとくTOPに美人を任命し、指揮者の怒りを和らげ鋭い追求を避けるという計略。バッカスでは今年はbass以外の全パートが使っている・・・(うまいね)

第三十二計 空城計
合奏上に行くと会場に誰もいない。もしかして今日は日にちを間違えたのか?・・・とはいるのをためらっていると、続々と人が集まってきて、単に集まりが遅かっただけという現象。

第三十六計 逃ぐるを上計となす
以上の計略を駆使してもうまくいかないときは、ばっくれるのが一番(いけません)

2010年7月20日

阿津位是2010!!

熱い、暑い、厚い、篤い、アツイぜ~ッ!!バッカスの練習が。
というわけで7/17の練習を点描。2週目のかつしか、今日は毎週楽しみにしている朝の赤ちゃんカフェも早めに切り上げ、会場前に到着。篤いぜ。

まずは舞踊風です。今日はスネアを担当。むずい!でも最後に通すときはうまくいったと思うのだけど・・・。久保田先生にお聞かせするそうな。大丈夫かな。
さてドリフ。広井さん豊田さんのドラムに加えボブさんのパーカスが加わり、さらにパワーアップ。これは傑作だな(あえて自分で言おう)。

さらに今回、盛り上げ隊を結成!これは、余り多くは明かせないのだが、むちゃくちゃ合奏が盛り上がった。前のたはごとにも書いたが、自然発生的に各自自力でノリノリになるのが理想なので、つい「みんな」に任せてしまう。すると結局誰もやらず中途半端に終わってしまうというのがいつものパターンだったが、今回は特定の盛り上げ隊を結成したおかげで、かなりいいものになった。盛り上げ隊以外の人も、楽しそうな顔になり一石二鳥の効果が期待できる。これはいい循環だ。

大河。相変わらずいいなこれは。指揮者の位置からみると、みんな本当に気持ちよさそうにひいてる。特に篤姫、クライマックスで全身から潮のように幸せ感がこみ上げて、頭の中が真っ白に・・・終わった後タバコをすいながら「どう?よかった?」なんて聞いて見たくなる。新撰組、歌うことになった。これはどうなるか?ドリフの余韻があるのでテンションは高く声は出る思う。しかし、ジョン健ヌッツオ、音域が広い・・・。素人のわれわれに歌えるかなこりゃ?

さていよいよ新世界。初めてのティンパニ入り。1-4まで全楽章ぶっとおし。・・・驚愕・・・・ティンパニ、初めての通しで、パーフェクト・・・さすがボブさん。有名曲とはいえ、結構癖をつけていじっているだけに驚きである。タイミング・音のキャラクターの使い分けも申し分なし。
逆にオケの都合で何度か止めてしまった。同じことをできるまで何度もやるのがアマオケの面白さでもあるけれど、たまにこういうプロの集中力を見ると凄みを感じる。ここまで集中すれば練習時間は半分になるんだが。でも、オケのほうもいつもよりずっとよいできであった。

そのあと、ドリフのおさらいとパストラ。
全体にこの日はテンションがたかく熱い練習であった。
練習後はYASUKOさんにも来て頂いて裏方の打ち合わせ。とうとうこの季節が来たか・・・。心意気と気合、演出の派手さだけは20回記念にふさわしくなってきた。

後はお客さん。皆様、時間とおいでいただいた距離の分、絶対に損はさせませんのでよろしくお願いします!

2010年7月13日

夏を待てない!

表題のもとネタが分かった人はお友達だ。
さて、7/11の練習はひさびさのかつしか。子供の世話をしていて10分くらい遅刻する。この日はパーカッションも入りノリノリである。杉並より天井は低いし、ここのリハ室は基本的にデッドなのだが、それでもよく響いている。

舞踊風。人がいなくてタンバリンを叩かせてもらう。初めてだが快感!小学生団友のゆきちゃんはちいさな銅鑼を。変拍子バリバリでも完璧だ。さすがにサラブレッド。
ドリフ。広井さん・豊田さんのドラムが入って最高に楽しい。この日はひげダンスのネタが・・・。これ以上はかけない。当日までの秘密である。

後は大河をパーカッション入りで。これもほんとうに良くなった。篤姫はドーパミン全開。新世界はクラ2本が入って、ああ、こんな音がするんだと思いながら、叩いて通し。振るのはしばらくお休みして、ひたすらにリズムを叩き込むことに。それと、徹頭徹尾呼吸にこだわる。せめて最初の入りだけでも絶対呼吸を合わせよう!あとはドヴォルザークの熱い魂を全身で表現できるか。

ところで、バッカスでも、指導させてもらっている学校やアンサンブルにも、もっと楽しんで全身で演奏しようといっている。しかしこれが難しいらしい。音楽の要求するままに自由に体を動かして(あるいはあえて動かさずに)楽しんでほしいのだが、じゃあどういう風に、どこからどこまで体を動かすんですか?と聞かれてしまうと、これは違う。国民性なのか「体を動かすなら、全員できちんとそろえて」となってしまうのだ。

とはいえ、そうじゃなくてみんな思い思いにノリで、というと、「みんな」という三人称の中に個々の責任が埋没してしまい、何人かはわかっていてやってくれるが、「みんな」としては静止画のように動かない。

僕の理想はここで何度も言っている通りSBYOVである。個々がわれを忘れて音楽に没入してノリまくっているが、それがまた独りよがりに見えず、動きはばらばらでも音楽への想いは見事にひとつになっていて、見ているこちらまで、しみじみ音楽ってすごいな、よくぞ音楽のある時代に生まれた、と思える。もっと自由に無邪気に、ピュアに、ああできないものかなと思う。ドゥダメルが指揮者だから、といわれればそれまでだが。

クラシックは演奏するのも聴くのもじっと品よく微動だにせず・・・。なんてはっきり言って、不幸な勘違いから来た思い込み・錯覚である。それは明治日本の西洋コンプレックスの塊のような人々が、たまたま有る国の有る流派のある時期の音楽がそうだったから、猫も杓子もすべてのクラシックに当てはめてしまったのである。

クラシック音楽を乱暴に定義すると、欧州キリスト教圏周辺の18世紀から20世紀の前半くらいまでの音楽だが、時代によって、人種・地域・文化(ラテン・非ラテンかなど)によって聴衆の楽しみ方や演奏のスタイルは千差万別なのだ。

またクラシックはたしかに再現する芸術だけれど、神経質に重箱の隅をつつきすぎるのも、亜流コンプレックスの強い日本独自の宿阿ではないか?本場の欧州の若手奏者は、もっと古典の呪縛から開放されて自由に演奏して、それがまた喝采を浴びている。

ましてや、誤解を恐れず言ってしまうなら、マンドリンは軽音楽向きのもっと気楽な楽器である!最低限の楽典が頭にはいっていれば自由に演奏してよいし、しゃちほこばるのはかえって滑稽ですらある。(軽音楽団体がなぜシンフォニーを編曲してやるのかといえば、これは壮大でこの上なく真剣なパロディだからである)

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合田道人の紅白歌合戦の真実という本を読んだら、初期の頃の紅白は、観客も制作側も歌手自身も、ものすごく紅組(女)と白組(男)の勝敗にこだわっていて、この勝負に毎回国民が真剣に一喜一憂していた。たまに紅組の応援団に男の歌手が混じっていたりすると「なんで女の応援を男がしているんだ!!」と観客席から本気でブーイングが起こったという。

現在、真剣に紅白どちらが勝ったか気になるとか、どちらかの組を気合を入れて応援している人は少ないだろう。(何かを賭けていたりしない限り)みんな、男女関係なく好きなアーティストの歌やパフォーマンスを楽しんで、勝敗は一種の様式というか、ちょっとした味付けに過ぎないことはみな知っている。

何かに縛られず、自由な魂で音楽の本質を楽しみたいものである。

「夏色☆肩重い」

7月になってしまった!いよいよ本格的な熱い汁のシーズンに入ったわけだ。そんな練習の一日(7/4)を点描。

砂町にさよならして久しぶりの杉並。駅からはまあまあ近いし、とにかくプロっぽくてかっこいい練習場。バッカスMLも事前にフル稼働で結構盛り上がっての当日。
このひろいホールにほぼ一杯の人。かなりの出席率だ。そして見学さんや新入団員さんも増えて、ありがたいことである。

1部の合奏。久しぶりにギターを弾くが、ホールの天井が高くてなんていい音!すごく幸せである。新世界も今日は1楽章の冒頭がすばらしくいい。2楽章も。泣きそうである。ここのリハ室の音は悪魔的な響きである。いいなあ、トレモロが生まれる瞬間の響き。生まれたままの音。なんてピュアなんだろう。

前にも書いたが、バッカス10で木星をやったとき、次の20回はどうしようということになり、じゃあ次の10年後は新世界全楽章やろうかということになったのだが、このときのノリはまさに「100歳まで生きてたら親戚全員おごりでハワイにつれてってやろうか」ぐらいの「有りそうも無いから景気のいい事を言っておけ」的な無責任なノリだったのである。

考えてみれば人生10年単位で考えるということが後2.3回しかないというのは大変なことである。後10年後はどうなるのか?バッカスはあるのか?というか僕はまだ指揮を振っているのか?全く分からないので、無責任なことを言える。

ハルサイ?マラ7?R・シュトラウス?チャイコの5番?涅槃交響曲?エロサロン・ヒメコ?カリンニコフ?はたまた、オリジナルの大作?いや、バッカスの作曲家陣がその頃には押しも押されぬ作曲家になっていて委嘱をお願いする・・・?

この日は少し張り切りすぎたようだ。初めての経験だが、よほど疲れたのか練習から帰る途中こむら返りになってしまった。電車の中で一人ヒクヒクして「あっあっ」ともだえ、怪訝な目で見られてしまった。おまけに翌日、酷使した四十肩がズーンと重たかった。

2010年6月15日

音楽と誤植の話

職業柄、誤植にはいろいろな思い出がある。仕事上のは守秘義務があり語れないが、たわいの無いものなら高校生の頃、当時人気だった雑誌の「宝島」に面白い誤植のコーナーがあって、そこに投稿したこともある。この誤植は「VOW2」にも載っていて、今も見ることができる。堂々と本名で出ているので、暇な人は見てほしい。

内容的には英語の参考書で見つけた章ごとの小見出しにある「ここだけは絶対マスター」というのが、章が変わるごとに「マタスー」「スマター」と三段活用で変化していくというもの。当時は「スマター」がそこそこ受けて、シールをもらった。

演奏会のプログラムやCDのレーベルにも結構誤植が数々ある。身近なところで、業界でも開催の年月日、団体名、曲名、人名などに誤植があり、対応に大変な思いをした団体もあるだろう。特に偉い先生の人名や曲名はシャレにならない。我々も気をつけたいものである。吉水先生が吉永先生というのも時々見る。

業界で言えばドムラ協奏曲が「ドラム協奏曲」なのは良くある話で驚きもしない。入力者が「おいおい、これドラムだろwww」なんて気を利かせたんだろうか?

また「クラシックマ○でやバい話」にあったのだが、現代音楽の偉い先生の「冥」という曲名が、CDでどういうわけか「宴」になっていたとか。冥土とか冥界の「冥」をイメージして作られた曲を、宴会の「宴」という題名の先入観で聴いた人々の戸惑いと腑に落ちなさを想像すると気の毒だが笑える。
またクラシック界で定番の誤植、モーツアルト・ヴァイオリン協奏曲第5番《トルコ風呂》・・・キーボードが暴走してしまったのか、普段からそんな単語ばかり打ち込んでいるのでWordが学習してしまったのか・・・。ソリストがどんなにかっこよくても思わずほほが緩んでしまう。

題名違いといえば、学生の頃、ヴェルキの「組曲第二番」をどういうわけか「スペイン舞曲(モシュコフスキー?か何かの)」と勘違いして2ヶ月くらい練習してしまったことが有る。テープの曲順が間違っていたのか、譜面の題名もドイツ語だったのでよくわからなかったのか・・。
「うーん、この秘めた情熱がスペインっぽいんだよなあ・・・」なんて悦に入っていたのだから、間違いが分かったときは爆笑してしまった。だが、このときもしも最後まで気付かすに演奏していたらどうなっていたろう?スペイン風のヴェルキになっていたかも知れず、なかなか面白い。

たとえば何も知らない学生にmoのための「土偶」の譜面を「細川ガラシャ」と題を差し替えて演奏させたら面白いかもしれない。「細川ガラシャ」ってなにか宇宙人みたいな人だったんですね・・・なんて。
誤植の話からずれた・・・。

このまえ、なんとなくネット検索していたら、バッカス19のコンサートの曲目について、ある掲示板で「そどれみラプソディ」が「それぞれのラプソディ」になっていた・・・シ・シブい!井上陽水の曲みたいである。そどれみよりよっぽど詩的である。こんな曲があったら聴いてみたい。
なぜ、誤植が面白いかというと、無作為の偶然があるからである。無意識のうちに犯してしまうからこそ笑える。

演奏もそうで、わざと間違う人はいないのだが、無意識のうちに間違うときにある種のおかしみが生まれる。そして時には「それぞれのラプソディ」みたいな味のある誤植(ミス)も生まれる。
アマチュアの練習風景においては、こんな音楽上の誤植は日常茶飯事で、それ自体がじつはいつまでも忘れられない暖かな思い出になったりする。

(このたはごとも誤植だらけなことはおいといて)

2010年6月7日

サーベルと夏みかん

やっぱりなかなか更新できず。書きたいネタもあるのだが、まずは最近の練習風景の点描から。

最近ありがたいことに新人さんや見学さんが多い。ついに平成生まれも現われた!一番上のほうと下のほうとの団員の年齢差はついにかぎりなく30歳近くとなった。ほぼワン・ゼネレーション。理想の年齢分布図である。子育て世代の団員たちも、ボツボツ戻ってきてくれている。

練習場の中や外にはいつも数名の子供がいて、最近は子供たちも友達同士になったようである。この中から第2世代の団員が出るかも知れず。

僕ももう少し子供が大きくなったらつれてくるつもりである。そのとき(振っていればだが)はシモネタ厳禁で、謹厳な指揮者を演出するのでみな、話を合わせるように。

最近の新人さんで「CDを買ったことが無い(音楽は全部ダウンロード)」というのが出てきたということで呆然。僕らの間では、初めてレコードからCDに買い換えたのはいつごろ?というのがお互いの年代を知る話題だったのだが。

さて、そんなある日の練習(6/6)を点描。

まずこの日は、とんでもなく出席率が良かった。数日前に僕が「もっと体を動かして、自由な魂で弾け!」という大和魂注入メールを送ったので、早くもその効果が現れたかと二やついていたのだが、単に今日はパート写真を撮るというメールが流されたためらしい。

12時から小川君の1部の練習。舞踊風をインテンポでやっている!すごい轟音である。パストラルも練馬名物・またぐら納豆(がきデカ!古いね)のようなコクと、豪速のフィナーレ。みんな「弾けねー」といいつつ楽しそうである。

みんなが合奏している間、僕は砂町商店街で買ったころころモップとやすりを使ってなにやら作成。タイガージェット・シンがよく口に咥えているあれである。

さて僕の3部・新世界。今日は1楽章から。冒頭の低音のメロディ。ここは本当に重要である。このつかみでお客さんがやるな、と思うかがっかりするか決まってしまう。普通にいいだけじゃダメなのだ。異常に良くないとやる意味が無い。ここは、夏の間もこだわってやっていきたい。

後はリズム。「グルーブ感」は、ブラックなおミュージックの専売特許ではない。リズムに体ごと乗っていく感覚はこの曲を演奏する上での絶対必要条件である。ドヴォルザークだけに、この1楽章のリズムは機関車が疾走するリズムそのものなのである。西洋音楽の基本中の基本をここはあらためて再確認したい。機関車のリズムとは「ガッタン、ゴットン」なのである。けして「ガッタン、ガッタン」ではない。

みんなで同じ機関車に乗ること。なにも同じ方向を向いて行儀よく座っている必要は無い。向かい合ってトランプしたり、弁当を食べたりしてかまわないのだ。ただただ、同じ機関車に乗ること。1楽章は今日はそれを徹底。どうやらみんな同じ機関車に乗れたようである。

2楽章は、この日は通しただけ。バッカスが最も特意とするタイプの音楽である。ただしこの日は考えすぎて棒が死んでいた。

3楽章は、まだ弾くのに必死であるが、かなり形になった。正直こんなにかっこよくなるとは。大村君さすがである。ただ、中間部のチェコの舞曲っぽいモチーフが、生き生きとしてない。テンションがひくいなぁ。

4楽章も、基本的に機関車。冒頭のアレからして、機関車の重たい車輪が動き出す描写(ではなかろうか?)この楽章はみんな安定している。中間部のきれいなところ。ここもだいぶ良い。最後のLargoは宇宙的な音の洪水・・・これは本番ではもっとテンションが上がるのだから、語り草になるのではないか。曲が終わったとき、3分の一くらいのひとの弦が切れていたらおもしろい。

休憩の後2部。ドリフは、演奏のほうはかなり形になった。あとはテンションである。テレがあるなぁ。もっとはじけないと。

大河はもう満点である。とくに篤姫が泣ける。心が洗われる。これは思いっきり楽しんで演奏できそう。


表題のサーベルと夏みかん・・・。これだけで企画との関連が分かる人は、間違いなく80’s・・・いや僕らのお仲間である。
でもこれもどうなるか?諸問題があってまだテスト段階なのだが。
まずは、いろいろお客さんに楽しんでいただくために、合奏も企画も仕込み中なのである。

2010年5月7日

春合宿≒珍世界<震世界

さて!春合宿である。前夜に子供と家内を群馬の実家まで送ったので、群馬の木崎駅からの参加。したがって1時間ほど延着。合宿所につくと4楽章の譜面が上がってきた。小川君ありがとう。そして3楽章は先週もらった。大村君ありがとう!

午後からの合奏はいきなり一番の難曲3楽章。今回の合宿の道中はいつもの愛読書アサヒ芸能も読まずに、スコアをたっぷり読み返してきたおかげもあって、パートの出、音量・テンポの指示がさえる。みんなも初見とは思えないほど良く弾ける。結局、通ってしまった。

夜は4楽章。これは技術的には難しいが、終始安定した4拍子なので、通せば通ってしまう。なによりも最初のドラチェロのメロディが鳥肌が立つほどしびれる。普通ならピッキングで引き飛ばす頭箔の4分音符も、じっくりうたいこむことで、かなり分厚く荘厳なハーモニーに。

なんと初日に大曲2曲が通ってしまった。何事も予習と集中力だ。これを高校受験くらいのときに気付きたかった。夜は1日目からの飲み会。少しだけ顔を出す。1時間くらい話をして寝た。

2日目はギターのパーレンをしたあと海へ。今年のミソギストは清久氏と石川君。海にダイブ付き。まだ寒いというのにほんとうにアッパレではあるが、なんだか去年もこの二人じゃなかったっけ?ここ岩井の海神くしなだ姫は、若いぴちぴちした男がお好きであろうからちょっと心配。来年はぴちぴちのイケメンをささげます、と心に誓う。

午後は企画ステージ中心。ドリフは楽しいし弾けて来た。あとは笑顔で楽しいノリを出せるか。音楽にはいろんな側面があるけれど、これはコントのノリなんだけどなあ・・・。指揮者自身が振るのに必死なのかもしれない。まずは自分が暗示にかからないと。

龍馬は、冒頭のソロアンサンブルがイマイチ決まらない。のでリズムがはいってからもイマイチ締まらない。それ以前にむちゃくちゃ難しいということもある。篤姫はすごくいい。やはり一曲はこういう歌えて泣ける曲がなくては。新撰組は文句なしにカッコいい。滅びの美学。

夜の合奏はいよいよ新世界全曲通しである。昨日譜面を配られていきなり新世界全曲。すごすぎである。おもえば、第10回がおわった頃から冗談半分で、20回まで楽団があったら新世界全楽章でもやろうか?といっていたのだが、本当にこの日がこようとは。僕のこの感傷が伝わったのか奏者の士気は高く、音圧はいつもの1.5倍だ。1楽章は技術的な最難曲であるにもかかわらず破竹の推進力で、2楽章は思わず涙腺が危うくなるほど美しく、3楽章はリズム的難曲であったが最後まで通り、4楽章は豪快な響きで大団円で終わることが出来た。1&2は振って、3&4は叩いて一応通ったのである。

以前演奏した新世界の編曲は、金管パートを主にギターに振っていた。金管が肝となるドヴォにおいては当然物足りない。原曲愛好者からしたら「珍」世界だったろう。今回は金管パートが無理なくドラ・チェロにふられトレモロとピッキングを上手く組み合わせて、メロディが立つように工夫してあり、オリジナル(管弦楽)のラウドネス・音色の多彩さにはかなわないとしてもこの震えるような音の洪水にかならずや驚いてもらえることだろう。

ドヴォルザークは本当に自分の地のキャラクターで振れる。同じ高血圧、高コレステロール系だし。鉄オタ、鳩飼育オタというなにか偏執的なところも似ているし、音楽がむずかしすぎない(けして簡単という意味ではない)ところもいい。1部はといえば、舞踊風もオリジナルの快速で飛ばすし、パストラも小川君の棒で、相当濃く練りこまれてきた。

2日目の夜、打ち上げである。いつもながらにぎやかに始まったが、今年もまた結婚や出生まどのおめでたい報告が続いた。今年も新人さんがたくさん入ってくれたのだが、この合宿の打ち上げには、若い男性の新人が多く、女子新人へのいつもの質問タイム「どんなシャンプーを使ってるんですか?」「えーと・・・アジ○ンス」「アジ○ンス!アジ○ンス!」(清○氏ら、シャンプーそのものが必要なさそうな連中が立って一緒に飲む)という一連のネタができず、その点寂しかった。最近は羽目をはずさないので、3時間くらい飲んで話したあと、おとなしく寝た。

3日目は昨日の課題を復習。まず龍馬のソロを各パートTOPを集めて練習。譜面も重音を増やし荒々しい感じに変えた。するとどうだろう。震えが来るほどかっこよくなった。不思議なもので冒頭のアンサンブルがまとまると、合奏も輪郭がはっきりしてきた。あとはやはり一番の難曲3楽章。この曲は体で覚えるタイプの曲である。全てのパートが自信たっぷりに弾きこなすにはもう少し時間がかかるだろう。


子供と家内を迎えに行くため、いそいで木崎にとんぼ返りする必要があるので、昼ごはんをカットして岩井駅に急ぐ。しかし結局12時台の電車には乗り遅れて、みんなと同じ電車になり、昼食を食べ損ねた形になってしまった。

こうして春合宿はおわり、前半の折り返し地点まで来たわけだが、もちろん練習はまだまだこれからである。久しぶりの団友・新人さんもまだまだこれから大いに参加してほしいのである。この僕自身が前期子育て中で、練習に行く時間を捻出するのに四苦八苦状態だが、それでも短時間でもすごく集中して練習すれば、この合宿のようにすごい効果はあるのだから。

2010年4月27日

バッカスは祭りだ!!人生の折り返し地点にて。

なんとたはごと始まって以来最長の沈黙。何しろ、ここ3ヶ月身の回りが激変しすぎた。
まず3月、アラフォーにして始めての子供(元気な男の子)が無事生まれたこと。もうこれで生活が180度変わってしまった。もちろん楽しいほうにである。それから4月また本業が大波乱!リストラの人手不足から営業部隊の下士官役をやることになり連日深夜残業と休日出勤。

そんなこんなで今年は余裕の無い練習になってしまっているかもしれない。無理にがんばり、真剣になりすぎると、つい合奏に焦りが出る。音が硬くなる。そうなると何一ついいことが無いのはこの20年で身にしみているのでこんなときこそ、野放図にいきたいもの。
宿題に全く手をつけていない夏休み最終日の気分。だがそれでもあえて無邪気に笑っていないといい音楽は出来ない。人も集まらない。今は落ちこぼれで結構。心していきましょう。

さて、20回記念企画祭り一発目は「バッカスだよ!全員集合!」これは団員による再演アンケートのダントツ1位。1993年当時の題名は、序曲「宿題やれよ」。当時は「ドリフのシングルコレクション」というCDを聴きまくっていたのでドリフのシングルメドレーの性格が強かった。今回はどちらかというと「全員集合」の音楽を中心に再編成。冒頭のフルートや絃のコラール、おなじみ「TABOO」、爽快な「バイのバイのバイ」やお約束の「いい湯だな」を残しつつ、新たに北海盆歌や東村山音頭、盆周り、早口言葉、ひげダンスなどを挿入し、文字通りあの頃の土曜の夜を追体験できるようなアレンジになっている。純粋に楽しめるドタバタなメドレー。

企画第二発目、お客さんの再演アンケート1位は、2005年の「大河ドラマオープニング特集」である。これは当時奏者も客席もかなり燃えたのを記憶している。今回は他にやりたい曲をぐっとこらえて、幕末維新編にしぼった。幕末維新といえば、花神、竜馬が行く(昔の)、翔ぶがごとく、獅子の時代など垂涎モノの名曲があるが、お客さんのことを考え、比較的新しいものに。龍馬伝で始まり篤姫で涙ぐみ新撰組で〆る。いやあ、どれも震えがくるほどの名曲である。企画の全ての編曲は、今年からわが団の新アレンジャーである茶位甲介氏。

さて、駆け足で企画を紹介したが、次は新世界と練習風景、あ、合宿報告になってしまうか?公私共にもう少し落ち着けばまたアップをしていく予定である。

僕だけではない。時節柄みんなも忙しいだろう。忙しいけど一緒になって腐っていてはつまらない。バッカスは祭りだ!楽器を握っている間は全てを忘れてはじけよう。

2010年1月22日

編曲が神です!

初練習はいつものメンバーに混じり、久しぶりの団友、新人さんや現役の学生さんも参加(バッカスは学生参加費無料、新人は割引、こんな団体はほかに無いぜ・・・!)して、非常ににぎやかに始まった。

1部の合奏は小川君のパストラル。若き日の思い出がこみ上げる。舞2も、つい最近ほかでやったばかりだが、やっぱり名曲。もちろん小川君だから正統メソドでやるつもりであろう。マンド界の2大名曲をいきなり1部で立て続けって・・・。「富士そば」でカツどんと天丼を同時に頼むようなものだ。なんと言う贅沢!

後半は僕の新世界。編曲はわが団が誇る大村君・小川君のコンビ。 コレがむちゃくちゃいい!すごい完成度である。 ドヴォルザークの命というべき金管セクション(それがゆえにマンオケでドヴォルザークをやるのはナンセンスといわれてしまうのだが)の代替パートがぜんぜん不自然じゃない。 原曲の豪快さを失っていない(奏者の力でもあるだろう)もう完全に脱帽である。今後は僕の編曲はコミックメドレー限定にさせてもらおう。

マンド界で新世界を全楽章やったのは、僕が知る限り慶応さんと福岡シンフォニックさんぐらいであろう。こんな機会はめったにないとおもうので、興味のある方は、団体、宗派、老若男女、ブランク年月等関係なくぜひ合流! とりあえず最初なのでテンポは落としたが、今までの苦行に比べれば難易度はさほどでもなく、しかもかっこよすぎでしびれっぱなしであった。初日からベースが充実し、クラがいるのも大きい。

練習後は砂町銀座を通って決起大会へ。この砂町銀座、すごく旨そうな総菜屋さんや、安い古着屋がたくさん有り、いつもとおれないほどごった返しているナイスな商店街であるが、3月にみんなでここで思い切りおつまみを買い物して、持込で新歓コンパをやるそうな。すごく楽しそうなので今から歌本の手配である。
そして、初日の決起大会。常連・新人・復帰組で集会は大いに盛り上がり、僕のめがねは水蒸気で曇りっぱなしであった。

次回練習はは1/30!

2010年1月6日

汁がドヴォドヴォ!

初練習にむけて、新世界スコアリーディング中。いやあ、あらためてドヴォルザークって音楽史上まれにみるロマンチストである。平たく言うと猛烈にクサい。納豆やクサヤどころじゃない。シュールストレイミング並みである。

くさいというのが不適切なら、濃い。熱い。コテコテである。いまどき死語となった努力・友情・人類みな兄弟・一日一善という文字が脳裏を掠める。もっとわかりやすくいうなら都会の洗練などとは無縁のオス臭い六尺兄貴の世界である。本人の写真を見ても、猛烈なひげを生やした竹中直人みたいである。

自身が鉄道マニアであったせいかリズムに現代の8ビートに通ずるドライブ感があるし、この東欧人特有のメロディのセンスはツボである。それでいて、技巧的にチャイコフスキーほど理不尽に難しくないところが奏者には涙が出るほどありがたい。

かつて、わが音楽の師が「ドヴォルザークって良く聞くと全然関係ないメロディを強引につなげてるだけで変なんだよなあ・・・でもそこがまたいいんだ」といったっけ。ブラームスの崇高な憂鬱、チャイコの病的なデカダンの美、どれも好きだが、ドヴォルザークの理屈抜きの生命力・天然ものの泥臭いタレント性は一番自分にしっくり来るのである。

つまり僕が地で振れる曲であるといえる。今年もいい汁がドヴォドヴォ出そうだ。
初練習に期待!!