2008年5月29日

豊かさとは・・・

世界の主要都市の地図やガイドブックを作る仕事をしているくせに、飛行機嫌いで小学生のとき以来一切外国に行っていない。しかし各国の政情や民俗・習慣に関心があるので、日本と○○国の比較論、みたいな本が結構好きでよく読む。

マンド業界人である以上イタリア関係のも読むが、この前読んだイタリアのスローライフマンセー!!というノリの本(タイトル・作者は伏せる)にはちょっと違和感を感じた。 イタリア在住の日本人の奥様(たぶん商社の駐在員の)が、イタリアの友人たちの豊かなスローライフと、日本人の仕事に明け暮れる悲惨な生活を比較し、経済的には豊かなはずの日本人はイタリア式心の豊かな生活を目指すべき!と鼻息を荒くしているありがちな展開。 経済論から音楽論、ついにファッション論に及び、イタリア人は美男美女が多いが、日本人は体型も顔もアレなので洋服は似合わないから着物でも着とけ、と大和民族伝統体型を有する自分からすればミもフタも無いことを指摘している。

まぁそれはともかく、著者の方よ!イタリア人の一部の上・中流階級と日本人の大部分の一般サラリーマンを比べてはいけない! われわれ日本の庶民が、この本で言う「ごく一般の」イタリア人のごとく毎年夏休みを1ヶ月取って、別荘で毎日遊び暮らすことが現実にできるか・・・悲しくなるがおそらくそんなことは一生不可能であろう。 日本人だって出来ればのんびり遊びたい。好きでくたくたになるまで働いているんじゃない。そうせざるを得ない状況なのだ。

フォローすると、この本にはそれとは別にラテン人特有の家族愛、宗教心から来る素朴な倫理観、明るく親切な性格、自信にあふれた自己主張とコミュニケーションのうまさなど、日本人が見習うべき点が実例をふんだんに挙げて紹介されているところは非常に共感できる。

ところで著者はイタリア人が仕事は短時間で切り上げ、遊びや楽しみにお金と時間をふんだんに使えるのは、年金制度・社会制度が過剰なほど充実しているからだという。確かにその側面はあるだろうが、果たしてそれはイタリアに住んでいる人全員が手にすることが出来るものなのか?

資源の開発で世界的に凄まじい勢いで森林が減っている中、意外にもその資源の消費先ヨーロッパは全アフリカの約1.5倍、全アジアの約2倍の世界最大の森林面積をキープし、しかもここ数年はむしろヨーロッパの森林面積は増えているという事実(世界森林白書05年)をどう見るのか? 手っ取り早く言えば、この著者が現地の友人たちと優雅なバカンスを過ごす海辺は、毎朝ゴミひとつ無いように完璧に管理されているとのことだが、その掃除はどこ出身の誰がやっているのか?ということである。

要するにこの本でしきりに言うヨーロッパの「豊かさ」とは貧しき人々の犠牲の上に実現した、なんともほろ苦い傍若無人な「豊かさ」なのだ。

しかし今回言いたいのはそれではなく、比較論について。 A国の上流階級の人間とB国の大衆階級の人間の生活を比べて、その上でどちらがよい国かは当然比較にならないということ。 人間も同様、Aという人の長所とBという人の短所を比べても比較にならない。いやそれを言い出した時点でAに完全に肩入れしているということで、もう結論は見えているということ。そしてそれはAの欠点に目をつぶり、Bの長所を見落とす結果となり、かなり危険である。

音楽・演奏は批評するものでも比較するものでもないが、するとしたらこの点だけには気をつけたいものである。

2008年5月23日

なべて世はことばかり・・・

 この連休から5月にかけて、奇妙で悲惨な事件が多かった。女子高生やOLが行方不 明になったり殺されたり。その多くが携帯電話やそのメールがキーポイントなのが特 徴的である。
~昔文通、ちょっと前電話、いまや携帯出会い系~(都都逸調で) 
文通世代の僕から見ると、男女の出会いも発展もスピード化、グローバル化してい る。そっち方面の恩恵は全く受けた事がないが。

最近小中学生に携帯を持たせないようにという機運があるらしいが、この手の事件が これだけ続くとむベなるかなの感がある。いまや携帯を手放せない生活を現に自分が しているのだから、すべてを否定する気は無いが、仕事でもなんでも常に連絡が取れ る状態というのは結構ストレスである。職場での鬱が増えたのは携帯の普及と関係な しとはいえまい。

以前、炭鉱労働者の聞き書きを集めた本で、戦後まもないある地方の炭鉱集落では、 電話はもちろんラジオも新聞も無く、365日家族と近所の人の顔だけ見て暮らしてい た。という話があって可笑しかったが同時にうらやましくも思った。
昔の人はみんなそうだったのだろう。いまそこにいる人間と顔を突き合わせて全身全 霊でコミュニケーションしていたのだろう。いま、そんな風に人間ととことん付き合 えているか?と自分を省みると非常に心もとない。

そうこうしているうちに四川の大地震。昔読んだ春秋左氏伝にはしょっちゅう「地、 震ウ」とあったから、中国は昔から地震が多かったのだろうが、死者が5万人を超え るそうで、これには驚いた。
そしてここのところ悪化していた日中関係にもかかわらず、遅きに失したが日本の救 助隊も向かい、援助もなされたのは本当によかった。日本隊は犠牲者に黙祷をささ げ、それを見た民衆が感動したそうな。ここまできてふと思い出したのだが、やはり 中国の春秋戦国時代にこんな話があった。

~秦国が飢饉になり、隣国に援助を求めたら、卑怯にもこれ幸いと攻め込んできた。 何とか撃退すると今度はその隣国が飢饉になった。さあ今度はこちらが攻める番だと いきまく秦の穆公を、苦労人の重臣・百里渓が諌め、援助を進言した・・・「なるほ ど、憎い相手にあえて徳を施し、国際社会の信頼を得るのじゃな」と納得する穆公 に、「いいえ、気の毒だから援助するのです。災害はお互い様で敵味方関係ありませ ん」と百里渓がいったという話。昔の中国には偉い人がいたものである。

古代中国にはほかにも非攻を唱えた墨テキといった面白い人物が出ている。「非攻」 思想なんて、いまだに戦争をやめたくともやめられない現代の国際社会も大いに参考 にすべき思想だと思うのだが。

2008年5月15日

「成増・80年代・春合宿前後・その他よしなしごと」

4・5月と会社の工場の引越しがあり、またしても大忙し。更新の暇が無く小ネタばかりなので以下連記。
本社工場が成増を去ることになった。成増・・・僕にとっては神保町ほどではないが思い出深い街である。初めての一人暮らしもここであった。
僕にとってこの町のファーストインプレッションは必ずしもよくなかった。一人暮らしをはじめたその日に、家電製品を買おうと用意した大枚20万近い現金入り財布を盗まれてしまったのである。(正確には公衆電話に財布を置き忘れたのを持ってかれた)その後、僕は新入社員でありながら初給料日までもらい物で極貧の生活をすることになった。
夏になると、僕の住んでいた場所は周りに学生や独身者のアパートが多いせいか治安が悪かった。夜パトカーのランプで目を覚ますと、窓のすぐ下に止まっていて、今つかまった侵入犯への尋問が「警察24時間」そのままに聞けたこともある。深夜の成増駅で相撲部同士の乱闘にまきこまれた事もある。
しかしフォローすると、飲食店はたくさんあって、食事には困らなかった。成増駅南口の「どん」の焼肉丼はB級グルメの知るひとぞ知る名品なので一度お試しあれ。基本的に立ち食いそばの店で、だしは僕好みの真っ黒い濃い口の純関東風。

月曜やっているスマップのスペシャル番組で、80年代バンドの雄、バービーボーイズが一曲だけ再結成・演奏した。このたはごとでも何度か書いているが、バービーは僕の神様である。とくにいまみちともたかのギターが無かったらギターを弾き続けようとは思わなかったろう。解散後17年目にして一夜限り再結成したのだが、感無量であった。引きの画像でぱっと見て「変わってないな」と思った。特に杏子はアップにならない限り昔とさほど変わらない。コンタは結構・・・変わっていた。それでもこの年齢にしては奇跡的に若い。あの独特の声も健在。張りがやっぱり落ちたか・・・でも味がある。
イマサのギターの音はぜんぜん変わっていない。小磯もエンリケも外見はともかく音はぜんぜん変わっていない。すごいことだ。胸が熱くなった。
しかし曲が「女ぎつね・・・」というのはデビュー当時からのファンはちょっと欲求不満だろう。できればマイナーだった初期・中期の名曲をお願いしたかった。「負けるもんか」とか「なんだったんだ7Days」とか。
それにしても今年の企画がBackto80'Sだから言うのではないが、今本当に80年代がキテる。洋楽でも邦楽でもだ。やはり今の厳しい時代、底抜けに明るく、みんなハッピーだった80年代が渇仰されているのか。


今年の連休は思い切って9連休としてしまった。去年の9月からほとんど有休を取っていなかったのだからこれくらいはいいだろうと自分に言い聞かせる。
家内と音楽寺にいったり羊山公園に行ったり、近場の定番秩父でいろいろと楽しむ。海外に行く人から見れば涙が出るほどつつましい連休である。
音楽寺というのは秩父の巡礼寺である。その名にもかかわらず音楽とは何の関係も無いらしいが、やはり音楽関係の願掛けで有名な場所で、コンクール入選やらヒット祈願やら、絵馬ならぬチラシやポスターが大量に貼ってあり、それを見ていくのもなかなか楽しい。何年か前、なぜかバッカスのチラシが貼ってあったことがあり驚いた。どこのどなたが貼ってくださったのか・・・ここ数年、いつの間にか1年の音楽活動の報告とかコンサートの成功の祈願をする習慣ができてしまった。禊を除けば無宗教の自分にして唯一の神頼みの場である。

その後数日は練習したり釣りに行ったり実家に帰ったりして楽しむ。実家で新しく猫を飼っていて、これがすごい人見知りなのだが、尻尾の付け根(背側)を刺激するというわが秘術を駆使し(おためしあれ)、だいぶなついたところで明日は合宿・・・。

合宿は今年も岩井である。初日からかなりよい陽気であった。
「BackTO80'S」をおひろめ。みなリズムでてこずっているが、基本的には必ずどこかで聴いている曲だ。「SWINGIN'THE Mandolin」のときのような、「これできるの?」的ヤバさは無い。
またいつか詳細に種明かしするが、思ったよりメロディが浮き立たなくて何がなんだかわからない曲もあるし、テンポが乗らないとかたちにならない曲もある。しかし、そのうちの何曲かは初見にもかかわらず非常にいい出来であった。これは楽しみである。ご期待あれ。
シリウスは相変わらず難しいが、オリジナル版のギターの譜面の音をとってみたら、合奏用のギターパートの5倍くらい難しかった・・・。これくらいで難しいと言ってはいけないのである。
くるみ割りは非常に念入りに出来た。小序曲はやはり難しい!しかし課題だけは発見。アラブなんかはかなりよい出来。どの舞曲も2.3歩前進したが、中でもワルツが大躍進。とくに中間部のフルートと、低音部のあのメロディは、本番4ヶ月前にして天国的な出来である。これも本当に楽しんで弾ける・聴ける曲。
交響的前奏曲は、もしかしたら吉水さんの作品で一番深い深い曲。すごい名曲の予感。やればやるほど発見がある。
華燭はおなじみ。マネンテは本当に安らぐ・・・。
一日目から宴会。珍しく僕も参加する。なかなか楽しめた。2日目の名物行事「禊」はついに僕は引退!今年は若人に任せた。写真が出ると思うが、なかなかいい走りっぷりだが、海に入ってから歩いてしまった。甘い!三浦半島まで走るつもりで海を駆け抜けるのが禊だ。
終わったあとの男女混合ビーチドッジボールがとても楽しかった。
2日目夜の最高のテンションによる合奏。合宿で一番厳粛で心地よい緊張感に浸れる時間だ。この時間は本当に団員の気持ちがひとつになっているのがわかる。目の光が違う。もっとも、この後打ち上げだという期待感や開放感に由来するのかもしれないが。したがって打ち上げ本番は最高の楽しみである。わが団の美点として、打ち上げでしかつめらしい論議なんてものはしない。全員が気さくに酔い騒ぐ、まことに底抜けに明るい打ち上げであった。この日僕はちょっと疲れて2時半に就寝。
翌朝、録音もかねて通し練習。合宿後の練習への課題を確認しつつ、3日間の日程を終了。今年は全体に余裕があり楽しい合宿であった。また、合宿では若手の台頭も著しく、毎年つぎつぎ若い方が参加してくれるのがうれしい。ともあれ、合宿係さん、川金のおかみさん、ありがとうございます。
ああ、今年もこんなに楽しく、事故も無く合宿が出来た。みながそれぞれ忙しくなる中、いつまでこんな事が出来るだろう。これを当たり前と思ってはいけない。気の合う大勢の仲間とこんなことが出来るのは本当はとてつもなく奇跡的に幸せなのだ。
自戒の念をおぼえつつ帰宅。
春合宿が終わった。