2007年12月20日

再始動ですよ!

牛乳の大仕事が一段落したものの、貸金業の法律が変わるので、また猛烈な忙しさである。たはごとの存続が危うい。今回は生存確認のかきこみ。

毎日終電帰りだと思考能力は全くなくなるし、土日も仕事か地方に行っている状態で皆様には不義理を重ねている。11月は朔太郎授賞式の演奏が終わるや、バッカスの鋭鋒C君の結婚式。ここで、家内と演奏をさせていただく。K先生の前で緊張したが、チャールダーシュの「結婚式バージョン」を演奏した。ネタをばらすと、中間部のハーモニクスの部分がいつのまにかメンデルスゾーンの結婚行進曲に・・・ってやつである。

その翌日は前橋で高校総合文化祭のプレ大会。K女はどの学校よりもキレの有るMusicforplayを快演。上出来であった。いや上出来すぎて浮いていた。

深夜残業の息抜きは無論Youtube。小川範子、今見ると演技力がすごい。85年頃のスタンドバイミー・きまぐれ白書って覚えているだろうか。小川範子が反抗期の中学生を憎憎しく演じきっていて話題になった。しかしこの迫真の演技力があだになったか、金八先生では汚れ役をやったりして僕は当時そんなに好きではなかった。しかし今見るとルックスも歌もgood!本当にいい。

Youtubeにはよくラジオの録音も載っているのだが、これがなかなかにいい。吉田照美のてるてるワイドなど今聞いても感動モノである。しかし何よりも感激したのは鶴光のANNサンスペの「この歌は~」の83年7月31日の録音が聞けたこと。実はまさにこの日のサンスペは僕が深夜放送にはまったきっかけの回なのである。
あれは中2の夏休み、なかなか寝付けずラジオのスイッチを入れると聞こえてきた鶴光のだみ声と「この歌はこんな風に聞こえる」コーナー。僕は瞬時につぼにはまった。深夜なので必死に笑いをこらえたが、ついにこらえきれずからだががくがく震えてきて死ぬかと思った。このときの空耳のネタを僕は全部ではないが覚えていたのである。そして自分の中で反芻していた。今聞き返すともっとハイレベルの空耳に慣れ親しんだせいかそんなにおかしくもないし、ネタ自体がだいぶ違っていて愕然とした。タモリ倶楽部と混同していたのである。

行田の「フライ」がTVで紹介されていた。僕の地元も県北なので高校生の頃たしかに通学路に「フライや」というものがあった。当時はファーストフード店などというものは無くて、部活帰りに肉屋でハムカツを買い、ソースをかけて食べるのがはやっていた。みんな素朴で喫茶店など入ったことも無かった。ある日山岳部のちょっと不良っぽいY先輩が、フライやに誘っておごってくれたのである。
なぜか2人だけだったと思うのだが、でてきたフライはまん丸で平べったく、綺麗な黄色で皿からはみ出さんばかりに大きく、箸も使わずにかぶりつき、うまかったのを覚えている。Y先輩、いい先輩だったなあ。ところがTVのフライなるものは当時の記憶にあるものとは全く違っていた。ソース
のたっぷりついたお好み焼き状の物・こんなだったかなあ。と記憶が怪しい。

ふと気が付くと昔話ばかりしている自分がいる!こんなんではいけない。忙しすぎて文字通り心を亡くしているのだ。実は次回のバッカスの曲目もめでたく決まった。去年のような難曲ぞろいではなく、適度に楽しめるカッコいい曲、斯界最新の話題曲、往年のファンも喜ぶ定番曲、そして大トリは壮大なファンタジーをお送りする予定。これは楽しいぞ!!いずれ選曲の結果については改めて発表したい。

もう後ろは振り向かないつもり。でも何で昔の記憶はこんなに楽しいのか?
脳は人間など高等動物になるほどその記憶はあいまいだそうである。鳥などの下等動物ほど、写真に撮ったように正確な記憶を持っているらしい。たとえば隠したエサの場所を忘れたりするのは記憶が正確すぎて、季節や地形・建物の変化に対応できないからという。
人間は記憶を知性と感情で補うので、ひどく自分に都合のいい記憶を育てることも出来るのである。
自分が音楽を続けていられるのも、記憶が極端に美化されているせいではあるまいか・・・。