2007年4月27日

「人生相談」

開高健の人生相談「風に訊け」を読んだ。開高健といえば清濁併せ呑む博覧強記、ちょっととっつきにくい孤高の作家のイメージがあるが、実はすごく細かい気遣いを持った優しい人なのが良くわかる。
どんなバカのアホウな相談にも相手を尊重し、真剣に優しく答えてくれるのだ。以前学研「MOMOCO」で北方謙三と美保純の人生相談もあった。北方のも男気があり、野蛮だが優しかった。知性と言うものは、つまりむき出しの優しさを包む照れ隠しのようなものなのだろう。

氏によると、男の中には永遠に子供が一人住んでいて、男が自分の人生の限界を知り、あきらめたときに、夢を追おうとする子供を納得させるために飲んだり遊んだりする必要があるそうだ。
またいわく、釣り師は誰しも心に傷を持っていると。このばあい釣り師を「マンド師」に替えてもいい。いずれにしろ知性があって厳しくも優しい人が答える人生相談には含蓄がある。「地獄に落ちるわよ」なんてのは相談じゃなくて恐喝である。

昔、ラジオの「こども電話相談室」というのがあった。有名な話で、子供「ヘビメタってなんですか?」無着成恭先生「それはね・・・蛇の一種じゃないですか?」というのがあるが、あれである。
小学生のころあれに出損なった(穴を開けた?)ことがある。放送中に電話をかけて、なぜだか「明治時代の船(たぶん帆船とスクリュー船の間という意味)はどんな仕組みで進んでいたか?」という質問をした。なぜそれが訊きたかったかは今ではぜんぜん覚えていない。すると、今日は答えられる先生がいないから、来週のこの時間、番組が始まる30分前に確認の電話をこちらから入れるので自宅で待機しているようにと言われた。

一週間後、約束の時間に待機していたのだが電話はかかってこず、番組が始まり、終わりかけてもかかってこないので、今週はやらないんだ、と思って外に遊びに行ってしまった。
すると帰宅後、家の人にすごく怒られた。僕が出て行った直後にラジオ局から電話がかかってきて、本人がいないので近所まで人を出して探し、大騒ぎしたらしい。
結局どうなったのか・・・折角呼ばれた船舶関係の先生(もし船舶振興会のアノお方だったとしたら恐ろしい)は面目をつぶして帰ったのか・・・それとも適当にサクラの子供を調達して質問をさせたのか・・・今となっては覚えていない。

思うに、番組スタッフが放送前の確認の電話をかけ忘れ、それで今日は放送が無いと早合点して僕がすっぽかしてしまった、というのが真相であろう。
TBSラジオさん、あの時はごめんなさい!

2007年4月18日

英語やっとけば良かった。

4/7、ギタリスト金さんとベルギー在住のピアニスト高橋康子さん、ベルギー人ヴィオラ奏者サンダーさんご夫妻の演奏会をGGサロンまで見に行く。

金さんの剛柔自在の美音を改めて味わえたし、ピアニスト高橋さんの飾らない自然体のトークや、情熱的な演奏がすばらしかった。特にサンダーさんのヴィオラがなんともいえない音色であった。コンサートでヴィオラのみを聴くことはあまり無いのだが、ヴァイオリンでもチェロでもないこの深い響きは、そのまま人の歌声のようで心を揺さぶられた。

演奏会が終わった後、打ち上げにお招きいただいたので、あつかましくも家内と参加させていただいた。とにかく金さんの親戚の方々のやさしくてにぎやかで楽しいこと!この前のマンドリンリサイタルにも来てくださっていて、感想もいただいてうれしかった。親戚の方にはマリンバ奏者の方もおられて、さすが音楽家の血筋なのだろう。

さて、サンダーさんの隣の席だったので、少しお話をさせていただいた。この人は若くしてベルギー放送管弦楽団のヴィオラ副主席奏者というとんでもない雲の上の人であり、日本に来て怪しい一般中年から話しかけられてさぞお困りになったろうが、紳士的ないい人で、快くお話をしてくださった。

お住まいのアントワープはオランダ語圏だそうだが、この日は英語でお話をした。僕は英語は読むのも話すのも常人以下。しかし、なんとかなるもので、先方も英語は外国語なのだから、片言で結構通じた。しかし会話の半分以上はチャイコフスキーやブラームス、マーラーの曲を歌って笑わせていたのであった。音楽は英語以上に万国共通の言葉だと改めて感じる。

通常ヨーロッパ人は英語は話したがらないとのことだが、こちらがそれしか話せなければ話してくれるし、お互い外国語だから意外にわかりやすい。大阪国際でもそうだった。それにしても自分の中学生並みのボキャブラリーの少なさに地団太を踏む思いであった。英語といえば、「アメリカの公用語を決めるとき、ドイツ語が優勢だったのだが投票の結果、一票差で英語になった」というネタを「トリビア」に送ったがそのままになっている。ガセビアだったのか?ちなみにジモティであるサンダーさんはやはりフランダースの犬の話は日本のアニメではじめて知ったとの事。

2007年4月9日

古地図に思う

昔から地図が好きで、特に明治の古地図を集めていた。図書館にある古地図コレクションなんて最高に好きだ。航空写真地図のグーグルマップにはyoutube以上に興奮した。それで今、一応地図を作る仕事にかかわっているので、これでも少しは好きな仕事をしているといえる。
ところで民族の文明度が最も反映されるのはその国の地図だと思う。地図こそその時代の最新の数学・測量術・絵画の技法・人文地理など、あらゆる技術の結晶だから。ある未開の部族に、地面に世界地図を書いて俺たちはここから来た、お前たちの国はここだ、と説明をしたら、何でこの地面にお前たちの国があるんだ、とまったく理解できなかったらしい。
頭の中の観念を2次元にして表現できることが文明そのものといっていいだろう。

それでその図書館の日本の古地図コレクションが面白い。現存する日本最古の公式地図、行基図(室町)だが、すごくいい加減なのだ。国ごとに丸いもちみたいなのを葡萄の房状にくっつけて、簡単な道路が書いてあるだけ。しかも仏教の関係で西つまり九州が上になっているので、かなり変である。
その後、戦国・江戸時代初期まで時代は下っても日本地図は概念図程度のもので、よく昔の人はこれで旅や政治をしたと思う。戦国時代なんて他領の地図なんて無いから、大名はまず戦争をする前に隣国の道路と地形を詳細に調べなければならなかったろう。また地元の案内人を味方につけないとどうにもならなかったろう。名将といわれる人々はこういった地道な努力を惜しまなかったに違いない。

江戸時代になって、だいぶ日本列島の形がさまになってくるが、北海道の北半分がものすごく北に伸びて粉々に吹き飛んでいるようなとんでもない形をしているし、朝鮮が島になったりしている。海のすぐ向こうには、女人国(本当にあったら行きたい)とか羅刹国とか黒人国とかがありまだまだである。

それで、江戸後期になるとようやく伊能忠敬の大日本沿海與図がでてくる。これはすごい精密さで、今の日本地図とほぼ同じである。この人は特に幕府から命じられてやったわけではない。隠居してから趣味をかねて自費で始めてここまですごい地図を作ってしまったのである。何年もかかっているが、未調査の部分を想像で書いたり、勝手に女人国を作ったりせずに「白」にしてある。ここが実にすばらしい。江戸の数寄者文化と世界レベルの合理精神の集大成である。

のちに幕末、イギリス人が日本の海岸を測量したいといってきたそうだが、幕府はこれがあるからその必要は無いと伊能図を見せた。イギリス人はあまりに精密なのに驚き、測量を取りやめた。攘夷熱が盛り上がっている当時の日本の津々浦々にイギリスの測量船が現れたら、とんでもない騒ぎになっていたろう。薩長勢力の後ろ盾だったイギリスとの関係が悪化していたら、明治維新もどうなっていたかわからない。
伊能忠敬の遊び心が日本を救ったとさえいえる。

2007年4月5日

「不名誉なる撤退」

実名は出せないが会社の近辺に某有名ラーメン屋があるのだが、ここがいつ見ても行列がすごい。昼時と夜しかやっていないのだがいつも長蛇の列で、入っている大きなビルをグルりと半周してしまっている。一年中毎日そうである。何年も前から行こうと思っていたのであるが、いつもすさまじい行列で並ぶ気がしなかった。

ところが今日開店直前に前を通ると20人くらいしか並んでいない。(いつも40人くらい並んでいるのだ!)かなりお腹がすいていたし、今日しかないと思って並んだ。10分近く待って開店。一度に10人しかはいれないので結局いすに座るまで30分以上待った。

客は良く見ると大学生風の若いのがほとんど。中の雰囲気は「ラーメン道」を探求する道場のような雰囲気で、満員なのにラーメンをすする音以外一切会話は無く、全員黙ってひざに手を置いてラーメンが出てくるのを待っている。常連らしいこれらの客たちと2人の店員が注文時交わす隠語だけが響く。僕の番が来た。ぜんぜん意味がわからなかったが前の客が言った「野菜・ニンニク辛め!」といっておく。

さて、出てきた・・・多い!!これは大食い選手権か?ただでさえでかいどんぶりに大量のモヤシがそのどんぶりの高さ以上に積み上げてある。その下にものすごい量のふと麺と厚切りチャーシューが埋まっていた。スープは背油入りのとんこつ風だが、表面に5ミリくらいの透明な油の層がある!!

思えば僕は昔から大食を売りにしてきた。お替り自由のトンカツ屋に入ればまず味噌汁とおしんこで1杯食べ、その後おもむろにとんかつ2切れで1杯の配分、合計4杯食べたものだ。
また、学生のころ行きつけの食堂でお替り自由の定食を食べるときは、店の人から面倒だからと専用のおひつでたべさせられていた。
ところがそんな僕もここ2年ほど麦飯や野菜中心のの淡白な(量はあいかわらずだが)食事を好むようになっていたのである・・・

量はともかく、このラーメンの脂っこさにはかなわなかった。
それに、この豚くささは僕にとってはどうしてもうまいとは思えなかった。無理やり詰め込んでもいつまでも量が減らない。

こんなことは初めてだったが、なんと3分の一くらい食べたところで箸が止まってしまった!それでも必死に詰め込んだが、まだ半分以上残して完全に胃が受け付けなくなってしまった。わが大食人生であまりにも情けない不名誉な撤退である。ご馳走様をしながら逃げるように店を出た。

やはりもう若い胃袋ではないのだろう。それにしてもあんな油っぽい、ブタくさいものが最近の流行なのか?まあ,若い人には人気なのだろう。
物好きなので、人気のラーメン屋に1時間近く並んで食べることは結構あるのだが、そういうときに限ってあまりおいしく感じないのはなぜだろう。

脂っこさとボリューム・・・音楽にはある程度必要だと思うのだが。