2009年12月25日

年末らしくない年末

気付けば12月も末、とにかく今年も景気が悪い。クリスマスだ年末だと街角も世間も浮かれていたのはもう10年前の話で夢のようだ。まるで年末という感じがしない。

ここまで社会不安がうずまいてみんながお金を使わなければ当たり前か。 戦前の話だが、ある貧しい農村が、村長の号令の元「質素倹約を徹底しませう」と村総出で余計な出費を切り詰めたそうだが、10年後、もっと貧乏になっていたそうだ・・・。

今困っている失業者はともかく、なぜお金を使える立場の国民が将来に不安を感じているかというと、年金や社会保障やら、健康問題、介護、増税、雇用など、数年後、十数年後、もしくは数十年後のことを考えると、不安になってきて消費ができないということだろう。

だが最近おもう。そもそも人間そんなに先のことは考えなくていいのではないか? もともと人間は農耕を始めたときから1年後のこと(作物の種まきや収穫など)を考えていればことは足りた。治水だとか開拓だとか、やはり何年かかけて計画しなければならないことは政治がやった。というか政治はそういう何年というスパンのことをやるための必要悪だった。

十何年、何十年という計画は立てても無駄である。なぜならそれだけ時間がたてば世の中の趨勢は変わってくるからだ。10年後、いや5年後のの世界がどうなっているか誰にもわからない。我々の頭でそんな先のことを考えて、自分が作り出した不安に今を縛られるのは、愚かしいことである。

少なくとも、僕は今後1年(バッカス20)のことだけ考えて今を燃焼したい・・・。

初レコーディング

はやくも2009年の総括になってしまった。今年もあまり更新できず・・・。11月に入り、家内はおなかが大きくなったのだが、四国・東京で宮武さんと弦楽アンサンブルとの演奏会。安定期とはいえちょっと心配になるのだが、以前にもまして容赦のない激弾きである。「奏でる」CDの「アンサンブル・ジョーコ」レコーディングもふうふう言いながら仕切っていたが、なんとピンチヒッターで、僕がドラを引き受けることになってしまった。

僕はドラが好きで10数年来趣味で弾いているが、ステージで本番に乗ったことが2回しかない。ドラに関してはバッカスだけでも、この僕なんか問題にならんすごい使い手がごろごろしている。いい楽器も持っていないし普通は辞退すべきであるが、スケジュール他もろもろの関係で時間がなかったのだ。 人生初のレコーディングは基本一発録りで、曲数も多く絶対間違えられない。ものすごいプレッシャーと緊張だが、何とか大きなミスも無く録りおえた。

後から録音を聞いておもったのは、レコーディングというものは、あとで録音物になってみると、自分がやったつもりの演奏効果が何分の一にしかなっていないことだ。音量とか、感情とか、歌とか。 録音とは、残酷なほどに「事実」しか拾ってくれない。他のメンバーは一流なので演奏そのものは本当に良いが僕のドラだけ物足りない演奏であった。 もう一度チャンスがあったら、この雪辱をして見せるのだが。もう無い気がする・・・。発売中。

2009年12月7日

声を出すこと

ある朝の通勤満員電車の中でのこと。 僕はドア付近に立っていたのだが、同じ側のひとつ向こうのドア付近で、貧血なのか、突然若い女性が青白い顔で座り込んでしまった。 すぐに誰かが席を譲るだろうと思ってみていたのだが、座り込んだ女性のまん前の2人、20代と30代のサラリーマンは携帯か何かいじって完全に無視である。周りの人も手を出そうか、どうしようか迷っている感じだが、誰も何もしようとしない・・・。
離れた場所の出来事ながら、僕は「席を譲ってあげてください」と声をかけようとした・・・。すると、女性からずいぶんはなれたところの若い男性が席を立ったが、手まねで「どうぞ・・・」という感じで、貧血の女性も座ろうかどうしようか迷っている。結局、人並みをかき分けるという大変な体力を使って女性は何とか座ることが出来た。

これらの事態が、驚くべきことに、満員電車の中にもかかわらず全くの沈黙の中で行われた。まるで能を見ているようであった。 (結局自分も何もいわなかったのであるが) いつか、やはり衆人環視の中で暴行を受けた乗務員の事件があった。責任の分散しやすい集団の中だからこそ、声が出ない。判る気はする。 考えてみればみながみな事なかれ主義でも、正義感がないわけでもあるまい。要するに集団の中では「自分がやらなくても」「孤立したくない」「誰かがやってくれるから」という心理になるのだろう。

集団の中で他人の存在を意識しすぎて「お見合い」をしてしまうという現象。 これは合奏にもあることで「だれかががやるから」誰もやらない、というのは寂しいものである。これが最も忌むべき「他の人が入ったのを聞いてから入る」につながってしまう。 また、指揮者からの提案や問いにこたえる声(まぜっかえしやつっこみはともかく)がないと、指揮者も奏者も集団でいながらどんどん孤独になってしまう。

最初に声(音)を出すことは勇気のいることではあるが、来期は20回記念でもあるし、もっとざっくばらんに活気付いてもいいかなとおもうのである。 また、多くのOB・OGさん、新人さんの参加をおまちしているが上記のような「お見合い」は無用である。
メンバーはみんな優しくて太っ腹なので、最初から常連気分で思いっきり楽しんでほしいのだ。 と、久しぶりの書き込みだけあってまとまりがなさすぎるが、小川君、おーむらくんによる新世界の編曲を楽しみに待ちつつ、20回記念シーズン開幕はもうそこまで来ているのである。 (今後はシーズンに入るのでこまめにアップしようとおもいます)