2009年12月25日

年末らしくない年末

気付けば12月も末、とにかく今年も景気が悪い。クリスマスだ年末だと街角も世間も浮かれていたのはもう10年前の話で夢のようだ。まるで年末という感じがしない。

ここまで社会不安がうずまいてみんながお金を使わなければ当たり前か。 戦前の話だが、ある貧しい農村が、村長の号令の元「質素倹約を徹底しませう」と村総出で余計な出費を切り詰めたそうだが、10年後、もっと貧乏になっていたそうだ・・・。

今困っている失業者はともかく、なぜお金を使える立場の国民が将来に不安を感じているかというと、年金や社会保障やら、健康問題、介護、増税、雇用など、数年後、十数年後、もしくは数十年後のことを考えると、不安になってきて消費ができないということだろう。

だが最近おもう。そもそも人間そんなに先のことは考えなくていいのではないか? もともと人間は農耕を始めたときから1年後のこと(作物の種まきや収穫など)を考えていればことは足りた。治水だとか開拓だとか、やはり何年かかけて計画しなければならないことは政治がやった。というか政治はそういう何年というスパンのことをやるための必要悪だった。

十何年、何十年という計画は立てても無駄である。なぜならそれだけ時間がたてば世の中の趨勢は変わってくるからだ。10年後、いや5年後のの世界がどうなっているか誰にもわからない。我々の頭でそんな先のことを考えて、自分が作り出した不安に今を縛られるのは、愚かしいことである。

少なくとも、僕は今後1年(バッカス20)のことだけ考えて今を燃焼したい・・・。

初レコーディング

はやくも2009年の総括になってしまった。今年もあまり更新できず・・・。11月に入り、家内はおなかが大きくなったのだが、四国・東京で宮武さんと弦楽アンサンブルとの演奏会。安定期とはいえちょっと心配になるのだが、以前にもまして容赦のない激弾きである。「奏でる」CDの「アンサンブル・ジョーコ」レコーディングもふうふう言いながら仕切っていたが、なんとピンチヒッターで、僕がドラを引き受けることになってしまった。

僕はドラが好きで10数年来趣味で弾いているが、ステージで本番に乗ったことが2回しかない。ドラに関してはバッカスだけでも、この僕なんか問題にならんすごい使い手がごろごろしている。いい楽器も持っていないし普通は辞退すべきであるが、スケジュール他もろもろの関係で時間がなかったのだ。 人生初のレコーディングは基本一発録りで、曲数も多く絶対間違えられない。ものすごいプレッシャーと緊張だが、何とか大きなミスも無く録りおえた。

後から録音を聞いておもったのは、レコーディングというものは、あとで録音物になってみると、自分がやったつもりの演奏効果が何分の一にしかなっていないことだ。音量とか、感情とか、歌とか。 録音とは、残酷なほどに「事実」しか拾ってくれない。他のメンバーは一流なので演奏そのものは本当に良いが僕のドラだけ物足りない演奏であった。 もう一度チャンスがあったら、この雪辱をして見せるのだが。もう無い気がする・・・。発売中。

2009年12月7日

声を出すこと

ある朝の通勤満員電車の中でのこと。 僕はドア付近に立っていたのだが、同じ側のひとつ向こうのドア付近で、貧血なのか、突然若い女性が青白い顔で座り込んでしまった。 すぐに誰かが席を譲るだろうと思ってみていたのだが、座り込んだ女性のまん前の2人、20代と30代のサラリーマンは携帯か何かいじって完全に無視である。周りの人も手を出そうか、どうしようか迷っている感じだが、誰も何もしようとしない・・・。
離れた場所の出来事ながら、僕は「席を譲ってあげてください」と声をかけようとした・・・。すると、女性からずいぶんはなれたところの若い男性が席を立ったが、手まねで「どうぞ・・・」という感じで、貧血の女性も座ろうかどうしようか迷っている。結局、人並みをかき分けるという大変な体力を使って女性は何とか座ることが出来た。

これらの事態が、驚くべきことに、満員電車の中にもかかわらず全くの沈黙の中で行われた。まるで能を見ているようであった。 (結局自分も何もいわなかったのであるが) いつか、やはり衆人環視の中で暴行を受けた乗務員の事件があった。責任の分散しやすい集団の中だからこそ、声が出ない。判る気はする。 考えてみればみながみな事なかれ主義でも、正義感がないわけでもあるまい。要するに集団の中では「自分がやらなくても」「孤立したくない」「誰かがやってくれるから」という心理になるのだろう。

集団の中で他人の存在を意識しすぎて「お見合い」をしてしまうという現象。 これは合奏にもあることで「だれかががやるから」誰もやらない、というのは寂しいものである。これが最も忌むべき「他の人が入ったのを聞いてから入る」につながってしまう。 また、指揮者からの提案や問いにこたえる声(まぜっかえしやつっこみはともかく)がないと、指揮者も奏者も集団でいながらどんどん孤独になってしまう。

最初に声(音)を出すことは勇気のいることではあるが、来期は20回記念でもあるし、もっとざっくばらんに活気付いてもいいかなとおもうのである。 また、多くのOB・OGさん、新人さんの参加をおまちしているが上記のような「お見合い」は無用である。
メンバーはみんな優しくて太っ腹なので、最初から常連気分で思いっきり楽しんでほしいのだ。 と、久しぶりの書き込みだけあってまとまりがなさすぎるが、小川君、おーむらくんによる新世界の編曲を楽しみに待ちつつ、20回記念シーズン開幕はもうそこまで来ているのである。 (今後はシーズンに入るのでこまめにアップしようとおもいます)

2009年10月30日

新しき世界へ

 本番以後、本業やらイベントで手一杯でご無沙汰しておりました。またしても2ヶ月更新せず・・・。ごめんなさい。でも次シーズンは20回記念でスタートも2ヶ月以上早く、始動開始である。

本番終了後はやや虚脱状態であったが、9月末の家内との地方コンサートに向けて選曲と練習開始。今年は、熊蜂やナポリなど、結構きつい曲。おたのしみはみんな大好き、リロイ・アンダーソン特集で、ベルやらラッパやらゴムホーンなどのオチ楽器を駆使。タイプライターの「チン」が受けてた。もちろんギターで演奏しながらチンをするのは大変で、特殊な装置と練習が必要であった。

今年は続けて2箇所でコンサートしたが入りも上々、お客さんの反応も暖かい。去年しゃべりすぎたので今年はトークは軽めに。最近やっと人前でもまともにしゃべれるようになった。客席と心をひとつに出来た喜びを胸にささやかなコンサートツアーを終了。

10月にはいると本業が忙しくなり・・・。友人のコンサートにもなかなかいけず不義理を重ねてしまった。プライベートでも結構大きな事件があり、毎日が夢のように過ぎていく。

次回のトリはいわずと知れた「新世界」全曲。記念すべき20回に、これ以上ないほどの曲である。選曲カードにそれこそ10年以上上がってきたが「20回までとっておく」を合言葉に見送られてきた曲。
逆に言うとバッカスがもしも20回まで続いたら・・・まあ、夢のような話だけどそのときは・・・という曲であったからして、この曲が決定した時点で、我々はすでに勝利者であるといえる。

それにしても大好きなドヴォルザーク。学生の頃、一時期目覚ましにスラブ舞曲1番を使っていたっけ。ニッケル・錫の国チェコの作曲家らしく、金管の響きがすばらしい。弦楽セレナーデも繊細可憐で、一度聴いたら忘れられないメロディの宝庫。

ドヴォルザークへの愛は今後語るとして。それから最近決まった1部の曲、2部のメドレー傑作選は今年中にたっぷり紹介するとして。

ところでこのまえふとしたきっかけで映画「楢山節考」のDVDを借りて観てみた。いやあ、この映画・・・。濃い。濃すぎである。ある貧しい農村の陰惨な風習と生活・風俗を丹念に描いた、日本人の原体験的な重~い物語なのであるが、とにかく最初から最後まで衝撃の連続で鳥肌が立ちっぱなしである。これが我々の歩んできた厳かでどこか滑稽な生命の輪廻なのである。

緒方拳も坂本スミ子もすごいが、なかでも左とん平がじつにいい味を出してる!まあ、このブログは映画の感想を書くところではないのだが、いいたいことは、最近のうそだらけのきれいごとで何も起こらず何も訴えてこないあの映画やこの映画になれきっていた自分がいきなり殴りつけられたような気がしたのであった。

音楽だってそうである。僕は非常に仲間と機会・環境に恵まれて、やりたいことをやらせてもらい、やりつくしたあまり、いま、無欲・ことなかれ主義になっている気がする。

何かわけのわからない衝動に突き動かされ、汗を流して、体を張って訴えたいものがないなら、指揮者なんてやめたほうがいい。奏者もしかり。

新世界は久しぶりに「マンオケで出来るわけない」「どうせ擬似音楽~ギミックだろう」という逆境に僕を追い込んでくれそうである。

あと一年で何が出来るか・・・表現ということについてもっと考えてみたい。

2009年9月1日

騒魂序曲「2009年」~本番セルフレヴュー~

いよいよ本番である!

本番の数日前、不吉なニュースが流れた。どこぞの合唱コンクールが新型インフルエンザを警戒して観客無しで行われたというのだ。このニュースを見たお客さんに過剰反応がおこり、集客に影響が出たら・・・。去年は暴風雨、今年は疫病。天は我々を見放したか。

前日はあまり緊張もせずに良く寝れた。当日かつしかに9時半集合、セッティングを始める。去年このホールは経験済みであるからスムーズに進行、1部からの練習となる。やはり今年も、マンドリンの音は大変きれいに鳴っている。ドラ・チェロが、練習時に比べると少し寂しいか。ギターとベースは、ややこもって、輪郭がはっきりしない傾向。菅と打楽器は今年も柔らかく鳴り、バランスはいい。僕は客席で聞きながらアドバイス、調整していく。舞台上では天井も高いしほとんど他のパートの音が聞こえないようだ。縦の線はあいづらい。

僕の練習の番。音の響きはとてもきれいだが、速いテンポのときは指揮棒より少し遅れて音がついてくるような気がしてならない。それを何とか棒で引っ張りあげようとつい手首を使ってしまい、もっとあわなくなり、気力・体力のロスが激しい。菅パートや打楽器からはむしろ走って聞こえるとのことで、頭を抱えたくなる。やはり耳に頼ってはいけない。あくまで棒を見る訓練を普段からすべきなのだ。わかっているはずなのに毎年このくり返しである・・。 しかし、奏者のノリはよく、音色・音量は申し分ない。ギターベースも、弾き方や向き・位置を変えて改善された。あとは本番の集中力があれば、何とかなるとたかをくくる。

あとはお弁当を食べたり、Sさんと馬鹿話をして緊張をほぐしたりして楽屋で過ごす。演奏会の各係りが非常に機能的に動いているので、トラブルもなく、全て順調、僕は音楽に専念できた。リハの合間に遊びに来てくれるOBたちと雑談しながらも、いつの間にか開場時間。やっとこみあげてきた緊張とともに本ベルに誘導され入場。インフルエンザによる客足の心配は・・・全く杞憂に終わった。 いつもどおりの大勢のお客さんが客席に。でも今年は立ち見がいない、と思ったら、今年は2階を開けたので、そこにお客様が結構入っていたのだった。無論お客様数は去年より多い。よかった!


さて、曲を追っていこう。

ザンパ
本番では快速、迫力、素直にかっこよいアンサンブルとなった。リハであれだけ苦心した縦の線もしっかりあった。お客さんが入ると何か音響的に効果があるのか?それとも、本番のアドレナリンが奏者の感覚と集中力を高めるのか不思議。ギターアンサンブル、無難に終わったがライトの熱のせいかナイロン弦が少しくるってしまった。

プレリュード3
やっぱり名曲。プレ2のほうがメジャーだが、この曲はさらに大人向け・通好みといえる。序曲から始まりふたもち、EXト、3ディメ、プレ2、交響的、と合奏曲のメジャーどころはほとんど演奏させていただいたが、吉水先生の曲はやはりいい。100年後もマンドリンオーケストラがあったとしたら、吉水作品群は必ず演奏されているであろう。

東洋の印象(2)
大好きな曲であり、安心して演奏できる曲である。1楽章の冒頭にうっとりする。トレモロ中心の2楽章はこのホールの特性にぴったりである。3楽章もリハとは打って変わって、音の粒がそろった。もう少し圧倒的なフィナーレ感がほしかったか。でもお客さんには一番聞きやすい曲だったろう。 総じて1部は完成度が高い演奏であったと思う。

そどれみ☆ラプソディ
最初にYASUKOさんが鉄琴を使ってソドレミの音を鳴らし、曲も弾いてお客さんのモチベーションを上げてくれた。かなりマニアックなメドレーであったが、演奏者も面白がってくれたし、ここ数年の企画のなかでは演奏のレベルも非常に高かった。終わった後浴びた拍手の音量と勢いで、お客さんを絶対飽きさせない、という企画の目的を達成できたと思えた。

1812年
毎年トリ曲には思い入れがたっぷり出来るのであるが、かつてバッカスの運命を変えた曲だけに、かなり特別な気持ちで本番を迎えた。

冒頭のコラールの部分、時々指揮者と奏者の間に見えない壁を感じていた。それは半年間本音を言い合い、合宿では同じ釜の飯を食い、取っ組み合うように合奏をやってきても、それでもまだお互いに遠慮とか不信とか虚栄が介在していたのである。この日僕はついにリハで「裸でぶつかってきてくれ」と言ってしまった。と同時に気付いた。未練がましく本心を隠していたのは自分もであったと。

本番では心から裸になり一心に音楽のことだけを考えた。そしてこの冒頭のコラールが曲全体を決したようだ。この本気のコラールに呼応するように、マンドリンの刻み、クラの嘆き、低音のとどろき、最も難関のアレグロはボロジノの戦いの緊張感を余すところ無く表現していたし、リハで危惧したバラつきは無く、オケとパーカッションのツボが全てキマった。
ボロジノ民謡は本当に美しかった。そして、パルチザンが復活し、ロシアが大逆転するあの部分の楽しさといったら・・・。血沸き肉踊るという慣例句では表現しきれない。勝利の大合唱、大行進。大砲と鐘の乱打。大胆で強い気持ちで最後のユニゾンを思うざま鳴らすことができた。フライング拍手とブラボー! なんともうれしく、心から奏者をたたえたくなった。奏者を立たせ、全くやむ気配のないうれしい拍手の中、2回ほど出入りしてアンコール。

ディスコモスクワ
今回、アンコールはMJの「BAD」か、ジンギスカンの「目指せモスクワ」のどちらかに決まりかけていた。が、7月の競演2009でこの曲を聞いたとき、運命は決まったのである。 ご挨拶を少しした後、思いっきり砕けてラフに。80人全員がノリノリでスタート。この曲は夏合宿で「ノリノリ以外禁止令」が発布されており、一人でもノリノリでない場合はほんとに合奏中止なのである。パーカッションさんも大盛り上がり(Hさんが一番乗っていたという)で、中間部は全員楽器を回す回す。最後には聞いてない大人数のタオル回しまで現れ、シモンボリバルにはまだ及びもつかないが、なかなか壮観であった。

いよいよ大きな拍手をいただいて何度か出入りさせていただいているうちに、また僕の悪い癖が。どうしてももう一曲やらずにいられないのだ。全くのぶっつけ、タオル回しへのお返しである。東洋の第3楽章でも良かったのだが、譜面が無いと困るので、「そどれみ」の「シャボン玉」から。奏者もアクシデントに慣れっこな顔なので、いたずらをしたくなり、最後のロッシーニをすごい速さにしてやったら、みんな目を白黒させ、それでも弾ききっていた。これぞバッカスである。お客さんも喜んでくれたと思う。

いつまでもつづく暖かい拍手の中、最後のお辞儀をして退場した。 こうして今年も楽しい時間が過ぎた。 本当に演奏会は最高である。お客さん、そしてご協力いただいた皆さんに心から感謝したい。演奏会後ご来場くださったお客さんにご挨拶する、ここでもいろいろな出会いがあった。

タクシーで打ち上げ会場に向かい、盛大な打ち上げ開始。この日、意外にも指揮者の挨拶が最初に来てしまい、突然振られたので、とにかくすごく良かった、皆さんの演奏が好きだ、というようなことしかいえなかった。本当はもっと一曲一曲語りたかったのだが・・・。 ともあれ、こうして演奏会を開けることは幸せである。体力気力・本業・家庭の事情・みんなの堪忍袋・・・・これらが続くうちは、こうやってギターを弾いたり棒切れを振り回していたい・・・。

今年の打ち上げはTOPへの着ぐるみプレゼントはあまり無かったが、それでも海賊(ザンパ)ナポレオン(帽子だけ)さまざまな体格のロシア娘、などが会場を徘徊していた。宴は果てしなく続き、歓声は旅館中にこだましたのであった。僕は翌日、群馬で朝から練習があり、2時頃には一人寝室に戻った。

翌早朝、眠りこけている連中を起こさないように、そっと旅館の玄関を出ると、空は高く澄んでもうさわやかな秋風がふいていた。例年にぎやかに帰る道を一人歩いていると、夕べの思い出とともに来年度のとてつもない20回記念コンサートへの決意がこみ上げてきた。
こうしてバッカスマンドリーノの半年間に渡る死闘と勝利を描いた騒魂なる序曲「2009年」は秋風とともに終わったのであった。

2009年8月27日

夏合宿~本番前夜

やっと夏休みである。一日目実家に一泊した後、翌日は地元の荒川に釣りに行く。この4~5時間ほどだけが、僕の本当の夏休みである。しかし夢中になって川の中で3回転んだ。すぐそばには武蔵水路が渦を巻いていてかなり危険な場所であった。もし急流に飲まれたら、人気の全くない場所なので、そのまま行方不明、合宿はおろか本番にも穴を開け、会社にも家族にも楽団にも大変な迷惑をかけることになったろう。夜になってからすごく反省して眠れなくなり、ほとんど寝ないで合宿に行くこととなった。

夏休み3日目の朝、武蔵野線で岩井に。 暑い!ようやく夏らしい夏となった。汗だくで川金に到着。 合宿の日常については、バッカスBLOGのほうがよっぽど面白いので、そちらに譲ることとし、曲を中心に。

ザンパ
もともと大好きな曲で、今までバッカスでやらなかったのが不思議な曲である。出だしのテンポや途中のアッチェルに苦労しているようだが、音の抜けはすばらしく良い。

プレ3
やっぱり吉水先生の曲はいい。一曲はいっているだけで去年の交響的に引き続き、演奏会の雰囲気がすごく良くなる。最近プレ4も完成ということで・・・先生、ぜひとも・・・。小川君も自由自在に歌えるようになった。

東洋
なんていうか、やっぱりアマディは安心する。このメロディ&リズムっていう単純な構造がシンプルで心地よい。ともすると単調になりがちだが、メロディに魅力があるので何度演奏しても飽きない。

そどれみ
何しろ忙しいメドレー、10分間で37の人格(音格か?)を使い分けなければならない。でも、とても楽しい。我ながら凝りすぎて笑ってしまう部分もあるし、不意を突かれて涙してしまう箇所もある。お客さんで37曲全部わかった人はすごい。何か上げたい。

1812
この合宿ではあやふやな部分をすべてつぶした。特に難関・アレグロ・ギストをできるまで何度もパート弾き。いつにない本気のこだわりにみな肝をつぶしたようだ。最後の大合唱・大行進も重点的にやった。 ナポレオンのこと、ロシアという国について・・・。いろいろ話したのもこのとき。すべては心のこもった生きた音楽をお客さんに届けるためである!

ディスコ・モスクワ
吉田剛士・湯淺隆さんの曲。もし、ソ連時代のモスクワにディスコがあったら・・・という感じの曲。剛士さんにお許しを得て、パーカスもろもろを入れさせていただいたが、もうノリノリ!演奏会は最後の最後にとんでもないことになりそうだ。

前の晩ほとんど寝ていなかったので1日目の宴会は敬遠、ぐっすり寝るつもりだったが・・・。階下の宴会が盛り上がりすぎて眠れない!1日目から朝まで。いったいなんであんなに盛り上がっているのか。1日目寝たい人は耳センが必要である。

翌日はパー練後恒例の海へ。 もう期待も無く、一種さとりをひらいてアラフォー男だけで繰り出したが、2名ほど女子も水着で参加してくれた。ありがとう。30代最後の夏の記憶にそこだけ色がついている・・・。気のせいかビーチも例年よりさびしい気がする。

2日目昼は合宿最長の練習時間。いつに無く長く真剣な練習。夜の合奏は、例によって、テンション・人数ともに最高潮の演奏である。 かなりの手ごたえを覚えつつ2日目の練習を終えた。 そして打ち上げ。今年も盛り上がって楽しかった。深夜若人たちは流星群を見に海へ行き、比較的古株の連中で、いつに無く来し方行く末いろいろ語って、楽しかった。 飲みながらいろいろ聞いたが、今年もいくつもカップルが出来たようだ・・・。若いってうらやましい。ここ何年かバッカス女子が他団体男子にさらわれることが多く焦りを感じていたのだが、最近は必ずしもそうでもないらしい。この日も興奮と喧騒で朝方までほとんど眠れなかった! 翌日、軽く練習する。疲れきって帰宅。ここ3日ほとんど寝ていないことになり、家に帰るや、即爆睡した。

合宿があけて翌週、クラリネットの賛助さんが入って土日連続練。ゲネの日は気合が入りすぎてところどころのパートで絃が切れた。今年のバッカスは「強い」。本番直前に絃がキレまくるとは、実に昔のよき時代のようだ。この日の飲みは、5.6年に一度といっていいほど強烈に酔ってしまった。 最終日の合奏は、パーカッション全員参加。パー練を交え、とことん要注意箇所をやる。本音をいうと、例年、合宿後の練習は割りと力を抜いて、ああ、もう速く本番が来ればいいのに、なんて思うのであるが、今年は最後まで音楽に向き合っている感じだ。完成度が達していないわけではなくて、ただひたすらに合奏が楽しいのである。
最後の練習、最後の1812、正直涙が出そうなくらいよかったのだが、本番前なので、「OK!」くらいの感じにしておいた。涙は本番までとっておこう・・・。

そして本番直前。今は早くも秋風が吹き出している。が、夏はまだ終わっちゃいない。終われない!バッカスを聴くまでは。

というわけで、8/29(土)17時、かつしかシンフォニーヒルズにて団員一同ご来場をお待ちしております。

2009年8月21日

夏合宿都市伝説

夏だ、怪談だ、都市伝説だ!というわけで、バッカスの夏合宿にまつわる都市伝説をいくつか。


岩井で出会う万度人たちの挨拶・・・。音楽系サークルが多い岩井でも、垢抜け洗練された雰囲気のマンド人。仲間と思しきマンド人をみかけたら「マンドローネ!」と叫ぶのがマンド界の常識になっている。この場合「ロ」にアクセントをいれ、少し巻き舌にするのがポイント。


朝まで大騒ぎで飲み明かす・・・。モノのたとえでよく使われる表現だが、バッカスの合宿の場合、本当の本当にこれをやる。しかも連日。いつ寝てるんだろう。途中で抜けて寝るのはもちろん可能だが、耳栓が必要。


男女混合騎馬戦・・・。数年前岩井海水浴場で行われ、伝説になったイベント。男たちが作る馬に水着の女子が乗り、頭につけた「ポイ」を水鉄砲で撃つもの。5.6騎が生き残りをかけて激闘し、一般の海水浴客もこれを見物。その後、なぜか定着せず、現在はアラフォー男数人が波間に戯れるという寂しい展開に。


川きん百物語・・・。数年前、本格的百物語をやることになり、夜、各自用意したシャレにならないほど怖い怪談を語りつつ、本当にろうそくを一本一本消していった。結局合宿では何も起こらなかったが、その年の本番、パーカッションが本番ギリギリまで届かない、指揮者が礼服のズボンを忘れる、トリ曲の最後がズレる、などの怪現象が頻発した。その後、夏合宿で怪談大会をやることは究極のタブーとなっている。


打ち上げ伝説・・・。最近はけしてそんなことは無いが、バッカスの夏合宿の打ち上げといえば、盛り上がったあまり暑いのか、涼しい格好になるかたが結構いた。そんな際、フルーツ盛り合わせ用の半分に割ってくりぬいたパイナップルが活躍した。まれにあわびやサザエ・鯛のおかしらも・・・。隠しきれたのだろうか。また、あわびと紐で女性用の水着を作ったものがいたとか、さらにそれを着用したものまでいたと言う伝説もあった。また、女装は定番だが、中には凝りに凝って完全脱毛してチャイナドレスを着るものまで現れ、その美しさはシャレにならなかったそうな。


本当はもっとすごい都市伝説もあるのだが・・・。ここにはかけない。
20年近くやっているといろんなことがあるものだ。もっと知りたい人は、本番および、練習見学にどうぞ!!

2009年8月19日

1812リットルの汗と涙と汁と

1812年であるが、いよいよ佳境に入ってきたので、曲のモチーフと史実についてすこし。

日本で言えば徳川家康の頃まで、ロシアはタタール(モンゴル人の末裔)に支配されていた。モスクワ大公イワン3世によって開放されたものの、ロシアはヨーロッパとは言いがたいほどに後進的で、ピョートル大帝によって急激な西欧化を果たし、有名なエカテリーナ2世によって東欧最大の強国に成り上がるが、農奴制という前近代的なシステムを固持していた。

そして18世紀末、革命後、周辺から袋叩きにあった瀕死のフランスから、一人の英雄が現れる。ナポレオンである。常識を超えた移動の速さ、効率的な大砲の運用、必要な時と場所に兵力を集中する緻密な作戦能力であっという間に全ヨーロッパを席巻する。 しかし調子に乗って皇帝になった頃から雲行きが怪しくなる。大陸封鎖令に従わないロシアに宣戦布告、同盟国を合わせて60万でポーランドから侵攻。時は1812年6月、ロシアの初夏は南国の兵たちが震え上がるほど涼しかったという。

最初のコラール、ロシア正教の聖歌。これは、リムスキー=コルサコフのロシアの復活祭でも冒頭に出てくるが、ロシアの精神文化にとってこの東方教会の存在ほど大きいものはない。数あるキリスト教の分派の中でも、飛び切り荘厳・重厚な様式は、ロシア皇室の神権的絶対君主制と結びついて、ロシアの風土に深く根ざしている。 ロシア皇帝アレクサンドルは、全ロシアの正教会にフランスの調伏・ロシアの勝利を祈らせたというから、ロシア各地でこの曲の冒頭のような光景が見られたに違いない。人々の不安と絶望と嘆きのコラールの中から一筋の光のように一節の聖句がひびく。「神は必ず皇帝を守りたもう」ここから人々の気持ちがナポレオンとの対決に決然と向かっていく。

この曲の秀逸な点は、臨場感あふれる戦闘描写だと思う。ナポレオンの頃の戦争を描いた絵を見ると、広々とした丘陵などで、色とりどりの派手な軍服に身を包んだ兵士たちが、規則正しく隊列を組んで向かい合っている。戦場にはところどころに砲煙がたちこめているが、入り乱れて戦うというよりも、指揮官により規律正しく進退している感じである。この頃すでに中世的な個人的武勇は不要となり、大砲などの重火力を中心に、兵士を分散・集中・移動させることで敵の退路を断ち、打撃を与え、戦意を失わせる、という近代戦争の形式が出来上がっている。

そういえばこの時代の小銃はまだ先込め式の単発銃が中心である。一発撃ったら、次弾の装填にとてつもなく時間がかかるので、どちらが先に撃つか・・・その駆け引きのスリルは、かなりのものだったろう。あせって先に射程外で撃ってしまえば、あとは敵の弾を待つしかない。この恐怖とあせりをアレグロ・ギストの切迫感が見事にあらわしている。 馬蹄のとどろき、銃剣のひらめき、吹き上がる砲煙をよくもこれだけ音符でリアルに表現できたものである。やがて高らかに響くラ・マルセーズ。無論ナポレオンの凱歌である。

ラ・マルセーズはナポレオンの時代にはフランスの国歌に制定されていなかったが、颯爽としたヨーロッパ最強のナポレオン軍を現すのにはぴったりである。 このマルセーズと後に出てくる泥臭いロシア国歌との対比が面白い。 ナポレオン軍はとにかくヨーロッパ最強・最先端で洗練されている。その制服は世界の服飾史上、この上なく華麗で豪華で粋である。 何よりも規律とスピードを愛し、道路の右側通行を考案している。兵站を重視し、缶詰や瓶詰めを発明した。偵察のため気球すら研究している。彼が考案した腕木通信(人の腕のような標識をいろいろな形に曲げ、望遠鏡でそれを真似し情報を逓伝していく)は無線が発明されるまで最速の通信手段であった。

砲煙を潜り抜けてこの上なくかっこよく鳴り響くトランペットの響き。フランスにあこがれていたチャイコフスキーだけあって、敵方であるナポレオンにも敬意を抱いているのが良くわかる。 激闘の末ナポレオンがモスクワに入ったのは9月。占領してみればそこはもぬけの殻であった。住民が軍の厳命により、一人残らず避難していたのである。これは無論、住民の安全を図るというより、住民が占領軍に食事や宿泊施設を提供することを嫌ったのである。国民にそんなことを強制できるのは、皇帝が神に近い権力を持つロシアならではの戦術である。

その後、モスクワはロシア側によって放火される。モスクワは全焼。ロシアの恐ろしい冬を前にナポレオンは宿舎はもちろん持ち込んだ食料さえも失った。 自信家のナポレオンはモスクワにまで攻め込めば、アレクサンドルは講和に応ずると見ていた。しかし、ナポレオンの苦境を読みきっているアレクサンドルは高飛車な講和条件をはねつける。 11月、大地が凍り始め、日に日に食料不足と寒さに少なくなるナポレオン軍の背後でパルチザンとなった民衆がひそかにうごめき始める。

このくだりは音楽で見事に再現されている。 凍っていく大地をあらわすティンパニのかすかなロール。虚勢を張るがどこかうつろなナポレオンのマルセーズ。その背後で跳ね回る絃のロシアの民衆(パルチザン)を現すテーマ。 そしてこれはキリストの「復活」を非常に重視する正教の精神とも通じる。復活というキーワードにはロシア人の死生観が良くあらわれている。 ここからは一気呵成だ。有名な長い長い分散和音。これはどんどんritしてくるが、勢いを失うナポレオン、逆に人数と重みを増していくロシア勢、という対比を見事に表している。

また、思うに悪名高いロシアの悪路のぬかるみをイメージしているような気もする。かつて、ローマ帝国がわざわざ石畳の軍用道路を作ったことでもわかるように、ヨーロッパの柔らかい大地に出来た道は非常にもろい。一日に何万もの兵士、馬車が通れば、道はでこぼこでぬかるみの溝のようになってしまったという。道が悪いことで有名なロシアはなおさらだ。 こんな道路を敗走していくナポレオン軍は最悪の状態だったろう。 飢えと寒さと疲れとぬかるみに足をとられる兵士たちを、地元の農民たちが次々に捕らえて処刑したという。

この当時戦利品を兵から買い取り、運ぶために商人たちが多数軍隊に従っていたが、彼らは積み込んだ財宝を惜しみ、乗せていた負傷兵を捨てて逃げた。かくして60万人のナポレオン軍で無事戻ったのは5000人。 ロシア軍も一方的に勝ったわけではない。ナポレオン軍と同等の戦死者を出したというし、戦闘地域や通過地域の農民の死者はそれをはるかに上回ったという。両軍および一般民衆合わせて数百万人単位というのだから、近代の大量殺戮戦争の走りだったのだ・・・。

その悲惨な戦争から70年後・・・ある楽譜出版社から「こんどの産業博覧会で大衆ウケしそうな派手な序曲をなにかかいてくれない?」と持ちかけられて激怒したチャイコフスキーだったのだが、その割には大昔に起きた戦争を良く取材し、忠実に再現したものだと思う。たった2週間で書き上げられたわかりやすい描写音楽だが、少しもチャイコの芸術性を失っていないのはさすがである。

さて、バッカスの1812年・・・14年前と変わったところ。 まず編曲が小穴さんなのでマンドリンオケではこれ以上のものはないであろう。メンバーも大きく入れ替わりほとんど全て第3世代以降の若い人たち。前回の1812を経験している人は10名いるかいないか。 一番変わったのは・・・たぶん僕の棒だろう。前回よりも20倍くらいにましになっていると自負しているのだが。 しかし、2度目でも手ごわいものは手ごわい・・・。合宿では相当根を詰めた。数年ぶりに「必死」である。今の気分はなんとか、冬の訪れが来るあの大逆転のあたりだろうか?

2009年8月6日

全国高校マンドリンフェスティバル

コーチしている館林女子高が15年ぶりに全国大会に出場。大阪まで同行してきた。
数多くのプロや名プレイヤーを輩出した全国高校フェスティバル、家内は20年ぶり、僕は初めてである。

7月19日、直接会場入り、1日目の午後の部から演奏を見る。7校しか見れなかったが、この日度肝を抜かれたのは坂野さんの月の記憶をやった静岡の学校と、シェヘラザード4楽章をやった長野の学校。
前者は、坂野さんのこの曲をやるというセンスもさることながら、奏者がノリノリである。リズムが生命にあふれきっていて、かつ音が抜けきって爽快この上なかった。中間部の神秘的な感じもよし。
後者は、とにかくきびきびしたリズム感とスピード・メリハリに驚愕。複雑なリズムの絡み合いの中で、メロディをはっきり聞かせるこだわりが見える。とにかく豪快。僕の好み直球ストライクな曲目・演奏である。 凄腕のコーチと、その期待にこたえるだけの生徒のノリと技量がすばらしい。

ホテルに戻って、自分の高校の練習。父兄の皆さんも呼んで最後の練習。とんでもなくハイレベルな他校の演奏を聴いて、生徒たちの気合も違う。 女子高とは思えない豪快かつ繊細、歌にあふれた会心のプレ2である。 いつになく真剣かつ貴重な時間の後、たこ焼きで打ち上げ。

大阪の夜は、父兄の方や先生たちと一杯なんて思っていたのであるが、あいにくの大雨で僕と家内は近所の喫茶店で深夜までコーヒーを飲みつつ、今日の感想や明日への期待を語る。
翌朝、会場で出番まで直前練習。ここで取って置きのサプライズ。突然の吉水先生の登場である。生徒たちは大好きなプレ2の作曲者に直接指導してもらえるということで大感激。もちろんこれは事前に僕のほうから吉水先生に打診をしていたのであり、当日お忙しい中、わざわざお越しくださったのである。

そして15分程度だったが先生ご自身の指導により、プレ2はさらに生き生きと生まれ変わった。特に何度指導しても歌いきれなかった部分が、吉水先生の指揮で見事に歌えるように・・・。僕としては「いままでなんだったんだよ!」という気がしないでもないが。 それから直前ではあるが、吉水先生の提案で、ある部分で微妙に音楽をとめることに。直前でこれは厳しいかと思ったが、できそうだし、劇的によくなったのでやることに。ほとんどぶっつけだ。がんばれ。

さて、出番。つかみのドラとチェロの冒頭のメロディが、非常に美しく柔らかく出来たのでほっとした。指揮者も奏者も体を動かし、のびのびと全身で歌っている。アレグロではきびきびと鬼気迫るテンポ。マンドリンは咆え、ギターは狂い。重厚なベースはしかし俊敏に斬り込んで来る。百雷が落ちかかるようなユニゾンのストローク。これはたった20数人の音とは思えない。いままで指導してきた歴代の1~4期生たちのかなわなかった想いが、生霊のようにステージに立ち、一緒にかき鳴らしているのであろう・・・。 吉水先生に指導いただいた一瞬止める部分も上手くいった。あっぱれ! 見ているこちらも悔いなく聞き終えることが出来た。

結果は優秀賞!もちろん十分すぎるうれしい受賞である。 演奏後の講評で、F掛先生が指揮者の音楽性とアンサンブルの良さ・迫力をほめてくださったとともに、歌がすばらしいと何度も言って下さった。どんな賞よりもこの言葉がうれしい。

さてこのあと、引き続き他校の演奏を聴く。時間の関係上やはり午後から8校分しか聞けなかった。 その中で言えば、兵庫・広島・奈良の高校の演奏が卓絶していたが、僕にとって今回(といっても15校しか聞いていないが)の中で一番の演奏は兵庫の福崎高校の「イーゴリ公」序曲であった。指揮者がとにかくすばらしいし、奏者も自由な魂でのびのびと演奏している。リズムは野生馬のように剽悍で、音色は色彩にあふれ明るく豊か。歌ごころもたっぷりで、なにより、指揮者を中心に奏者の表情が嬉々としていた。 高校生とか社会人とか関係なくこれは理想の演奏である。

あと2校は特別賞の常連だけあって、うわさどおりの奇跡のような凄演であった。技術もぬきんでており、超有名な高校である。ほかに期待していた高校もあったのだが、時間の関係で聞けず、残念であった。


個人的には、音楽は奏者の自由な魂で、多少ラフでもいきいきと演奏されるのが僕の好みであり、「合奏」というのは、それぞれ違う個性・技量の持ち主が心をひとつに合わせるから「合奏」であり、一人残らず全てを一糸乱れずそろえたらそれは合奏ではなく「マスゲーム」なんじゃないか?などと、そんなことも考えた。
いずれにしろ、高校生たちのすさまじいパワーに圧倒された二日間であった。

2009年6月29日

シモン・ボリバル・ユースオーケストラ・オブ・ベネズエラ

もうすっかり有名だが、いまさらながらシモンボリバルオケについて。
最初にN響アワー(だったか?)でドゥダメル指揮のこのオケの演奏を聞いたときは衝撃だった。チャイコの5番、最後まで画面から目が離せず引き込まれてしまった。とにかく演奏が熱い!炎のように熱いのだ。

指揮者の棒に全員が狂ったように全身でむしゃぶりついてくる。音楽するみずみずしい喜び、無我夢中の快演であった。ユースオケということで若いし、ラテンのノリもあるだろうがなんとも明るくて躍動的。

以前やはりNHKのドキュメントで見たのだが、ベネズエラでは貧困層の子供に、音楽教育をしているプロジェクトがあるとの事。シモンボリバルオケはそこの選抜オケ。世界的指揮者に成長しつつあるドゥダメルもそこの出身だそうで、まさに奇跡のオケなのである。小難しい理屈や、深遠なアカデミズムとは無縁なこの純粋な熱い感動。クラシックファンは長い間こういう音楽を求めてきたのだと思う。

ねがわくはバッカスもこんな演奏をしたいものである。いや、かつては出来ていたのかもしれない。自分も含めて最近めっきりオケの心と体が動かなくなったと思う。

やっぱり音楽も体も「動く」ことだ。

かりにシモンボリバルオケの心がどんなに熱かろうと微動だにしなかったら、ここまで人の心を打つだろうか?

音楽と心の高揚に合わせて自然に体を動かすことだ。
体を動かす場所や方向・大きさを決めるという手もあるかもしれないが、それは違うと思う。 あくまで、内面のたかまりがあって体は動くものだ。

毎回違ってていていい。一人だけ反対方向でもいい。動きの大きい人・小さい人もいるだろう。
しかし、大事なのはあきらめないでまずは一人ひとりが「動く」ことだ。

音楽に感じやすい無邪気な心、その心の高まりを素直に表現できる柔軟な関節と恥ずかしいと思わない自意識。 これが必要である。

あんな演奏がしたい!!
間に合うかわからないがやってみよう。
年齢は関係ないはずだから。

静定工夫試忙裡・・・。

あぁ。今年は本当にこのたはごとを書く暇がない。
題名は文字化けではなく欧陽脩の言葉。・・・和平気象看怒中と続き、忙しさの中でこそ静かな余裕を持ち、怒りの中でこそ和やかになれと。キャパに乏しい僕には無理である。いろんなことに手を出している間に、あっという間に本番2ヶ月前である。

前からかこうと思っていたそどれみ編曲ノート。というほどでもないが、編曲で気付いたことを軽く。

選曲に当たってまずはクラシックから曲を集めていったのだが、傾向として北欧・東欧・ロシア・ドイツ・イギリスといった寒い国、どちらかといえば大陸的な気候の国の音楽にこの音階が多いようだ。作曲家でいえば、グリーグ、スメタナ、ブラームス、ベートーベン、チャイコフスキーなど。とくにベートーベン・ブラームスは多い。
イタリア・フランス・スペインといった温暖な海洋性のラテン系の作曲家には少ない。ビゼー・ロッシーニ・フォーレくらいしか発見できなかった。 アメリカは少ない。フォスターくらいか。

この違いはなんだろう。 そどれみの「そ」と「ど」のあいだの4度の飛躍、どうもここに鍵があるように思える。なにかこう、「そ」で大地に鍬を打ち込んで「ど」で持ち上げるような。土臭い、重い、力づよい、垢抜けない何か。 ヨーロッパ音楽を大陸民族・海洋民族の音楽に分けるとしたら、そどれみの香りはまさに前者だ。

クラシック音楽以外でたくさん発見したのは、明治大正の日本の唱歌。これは、日本歌曲の父山田耕作がドイツに留学していたからか。質実剛健なドイツの音楽が、明治日本の富国強兵の世相にあっていたのか。 明治大正の音楽の流れがそのまま受け継がれた形で、いわゆる昭和の懐メロからはかなり発見できる。昭和歌謡史は「そどれみ」の歴史といっても過言ではない。アニソンにも多い。あの日曜夜の国民的アニメのオープニングの冒頭など。

もちろん新旧ポピュラーでもたくさん発見できた。特にユーミンやサザンが非常に多い。現在も高い人気を誇るシティ・ポップスの旗手が、実は明治以来の日本の農耕的旋律を脈々と受け継いでいたのはなかなか面白い。 洋楽では、あまり見当たらない。最近そどれみはあまり人気がない・・・というわけでもなく、最近のアーティストで言えばG○eeeenなどの曲にもそどれみはある。

詳しい曲名は当日のお楽しみ。涙有り笑いありの10分間に37曲詰め込んだ超早変わりメドレーである。 いまのところ、若い団員たちのために、それぞれの曲について解説したり歌わなければならないのでなかなか合奏が進まないのである・・・。

2009年5月7日

まとめてアップ。一応生きてます!

まめに更新しようと宣言して2ヶ月半音沙汰なし・・・本業などで、なかなか手が回らずすみませんでした。あまりに沈黙期間が長かったので、練習のこと、企画のこと、春合宿のこと、まとめてアップしちゃおう。
まず初練習はなかなかの出来。小川君の曲も特にプレ3は最初からすばらしい完成度。僕の1812も再演だけあって練習前から練りに練っていたもの。もっともメカニック的な難しさは、史上有数。まだまだ克服は先の話である。
新人さんも来てくれてうれしい。

今年からテストケースとして練習の真ん中に結構長くパー練の時間を設けてたのだが、ピンポイントの練習・TOPさんやパート員間の交流や活発な質疑も出来て予想以上にいい・・・か?指揮者もパート回りはするが、まずは休めるのがうれしい。
せっかくの休日に、指揮者のアラフォー親父のむさい顔と声だけでははつらかろう(小川君はともかく)。時にはパート内で向き合って曲について個々の考えを述べたり、アイデアを出し合う場があってもいい。パー練をそんな風に使ってくれたら・・・。

さて、今年の企画であるが、「そどれみ☆ラプソディ」に決定した。正直、今年は3月頭まで迷った。ネタ切れではなく、いつにましてものすごい量の小ネタが湧き上がったのだが、次回第20回は過去の企画の傑作選(たぶん)なので、今回が16年間続いた企画シリーズの集大成と考えると、どれも決め手に欠けているように思えた。

そこで古くて新しい究極のテーマ「そどれみ」にたどり着いたわけである。ご存知のように、ソドレミメドレーはやわらか系のピアノや吹奏アンサンブルコンサートなどではわりとお約束といっていい題材であり、マンド界でもTMGなどで演奏されている。

じつは過去にも何度かチャレンジを企てていたが、まだ無理だと思って手をつけられなかった。いずれにしろあえて今、企画の王道に挑戦することで、バッカス・オリジナル冗談音楽の集大成を世に問うつもりである。などとはいってみたが、要するにいつものノンジャンル・ドタバタメドレーである。やってみるとこれが非常に面白く、楽しんで出来た。また、数々の思わぬ音楽的発見があった。このくだりは後日「編曲ノート」としてまとめてみようと思う。

そんなことをしているうちに早くも春合宿。初日からかなりの白熱。初お目見えのザンパは、最初から快調。ニ長調だからって鳴りすぎである。ソドレミも、次々と変わるテンポと調性(12分に37曲!)にてんてこ舞いだが、奏者自身がウケて乗ってくれている。早くも成功の予感がしてきた。

無論東洋・プレ3・1812もかなりの進歩。自分の曲では1812の冒頭がすごいことになっている。確か前回は一番自信が無くて、この部分は「早く終わってくれ」なんて思っていたが今は違う。最も自信がある、聞かせたい部分だ。この日のためにナポレオンの文献や、司馬遼太郎の「ロシアについて」を読んできたのだ。夏までに「戦争と平和」も読破するつもり。

そして禊・・・。今年ぶっつけながら3人も参加してくれましたか。なんとわが同期のよってぃ氏。あとは若手2名。僕は、まだ寒い海に飛び込んで玉体に何かあっては恐れ多いという団員からの願いをしぶしぶ受け入れ(もちろんそんなことは無い)高みの見物である。

春合宿の飲みだが、おめでたい報告が続いたりして、なごやかであまり乱れず、品のいい和気藹々とした飲みだったように思う。10年位前は、誰が考えるのか、宴会というよりはイベントのように、次から次へとさまざまなエログロな出し物・ゲーム・一気合戦が続き、朝までめちゃくちゃになったものだが・・・少し懐かしい。

さあ、本格シーズンをまえに、新人さんもでもどりさんもまだまだ大歓迎です。

5月は編曲ノートも含め、今度こそ定期的アップを目指します。

2009年2月18日

ずぼらですみません!

またも久しぶり!いろいろあってズボラな僕を堪忍して頂戴。

年末はマンドリン系のバンドのライブに参加した。ギター、しかもピックでカッティングのみというマンド界で培った経験は全然関係ない形態での参加であったが、作曲家のNさんの曲のすばらしさ(間違いなく大天才である)、無国籍な衣装に身を包みオール暗譜で演奏する経験、貴重であった。

年末年始、朝から晩までTVでも新聞・週刊誌でも大不況と派遣切り問題などで持ちきりである。僕が覚えている限りオイルショックや円高不況・バブル崩壊のときさえこんなにも世間は騒いでいなかった気がする。まさに異常事態なのである。

会社の組合の執行部員であったから、この辺の事情はいろいろと語りたいのであるが、このブログとは関係ないのでやめることとする。経団連のお偉方や大手メーカーの社長は、派遣の契約期限を守らない不当な行為を「国際競争力」のためと弁護していたが、アメリカ・EU諸国の現状・労働環境は、日本以上に病んでいるし、煮詰まっている。日本は、製造業もサービス業もまだまだ世界の超一流なのだ。大衆労働力の質の高さが可能にした日本的経営でここまでやってきたのに、この点ではどうしても太刀打ちできない外国に、同じ土俵に引きずりおろされてしまった。

歴史的に(主に対外的危機感から)少数のエリートが大多数の愚民をコントロールしてきた西欧や大陸とは違う。誰がなんと言おうと、企業は社員とその家族のためにある。もともと日本にはそういう働く人を大切にする文化があったはずなのに。

1月末、家内の門下生の新年会で演奏があるため、うらばかには参加できず。残念である。今年も思いっきりエロカワなメドレーを用意していたのであるが。そのぶん新年会での演奏に賭ける。中国の太鼓やらチャールダーシュやら結構きつい曲をやったのだが、あらためて発見。速い曲は暗譜するとすごく余裕が出来るということだ。ゆっくりの曲は楽譜を読みながら、味わいながら弾けるのだが、速い曲で譜面を追いながら、追いかけながら演奏するのでは、どうしても遅れたり走ったりする。

これも年末のライブで得たもの。いつも思うのだが、団体によって習慣・常識というものは良くも悪くも全く違う。ここでは全曲暗譜が常識なのである。バッカスではいろいろ事情があって難しいとは思うが、特に速い曲で譜面に首っ引きなのは見た目もリズムも余裕が無くなる。速い所だけでいい。今年は挑戦できないだろうか?

2月、家内とコーチしている館女ギタマン部が、県大会において2位に躍進、悲願の全国大会出場が決まった。もちろんこれは、歴代の部員の努力の積み重ねであり、ちょっと偉そうな言い方をさせてもらうと、革命はすでに去年起こしていたのであるが、今年はやっと評価がついてきたのである。

そして2月中旬のバッカスTOP練。ふと見ると、今年のTOP陣は圧倒的に女子が多数である。そして、そのせいなのか音取りは完璧。1812がほぼ通ってしまった・・・。自分も含めて男ってやはりスロースターター(=ズボラ)なんだろうか?今年のTOP陣のパワーと実力におののきつつ、池袋で打ち上げ。こうして今年のバッカスは始動した・・・。駆け足でまとめて近況報告になってしまったが、今後はシーズンなので、まめにアップしようと思う。