2008年7月22日

和光市を語る②

先週、あやぶまれていた引越しをなんとか遂行。本当に大変だった。
特にバッカス7/12の練習後は異様に疲れ、引越し前日なのに頭痛やだるさでダウン。はじめてクラリネット・パーカッションが入り、興奮しすぎたのかもしれない。

~花のワルツのクラのもたれ具合、ドラチェロのメロディの熱さに気を失いそうであるし、80'Sは、ドラムが入って、特に後半のホイッ○ニーでしんみりし、ク○ーンでたたみかけ、ウイー・○ー・ザ・ワールドで大団円のベタな展開がドーパミンドクドクである・・・聴衆の皆さんには絶対に何かを感じてもらえるはず。ご期待あれ!(以上宣伝)

そんなわけで和光最後の一日は朝から晩まで阿鼻叫喚状態で、名残を惜しむどころではない。
それにしても現代人のいかに物に埋もれて生活していることか。我が家は楽譜だけでもダンボール大10個以上が蓄積されていたのだが、それ以外にも見たこともない家財道具が押入れから、あらゆる収納から大量に出てきた。清貧・貞潔を家訓としている我が家でさえこれである。
結局、もって行くよりも捨てていくるものの処理のほうが大変である。引越し当日も清掃センターやハードオフにピストン輸送を繰り返しながらも、荷物は3トントラック丸々いっぱいということになった! 猛暑日の中、新居に荷物を運び込み、家具を配置して何とか生活できるようにし、近隣にあいさつ回りをして食料品を買い込むと、何とか人心地ついてきた。引越しはすさまじく大変であるが、考えてみると、際限なく溜め込んだ物を整理するという意味で10年に一度くらいはするべきかもしれない。 見も心もやせほそるくらい大変だったが、今はやってよかったという気がしている。

そして今週、退去の立会い。大体きれいに使ってきたが、家でもノリノリで演奏するため、足台やいすの足でフローリングに浅いヘコミや細かい傷が結構ついてしまっていた。それから壁紙や敷居に汚れ。窓のクレセント錠も取れていた。修理費を過分に取られたらどうしようと心配して、原状回復ガイドラインや裁判の判例まで丸暗記して緊張して望んだのであるが、管理会社の人たちは「きれいですね、ほんとに12年も住んだんですか?」と激賞。最近は2.3年でズタボロにして出て行く人も結構いるそうだ。

われわれはアパート中最長老の住人であったし、ほぼ最低限の費用で出れそうである。 鍵を返すと12年前引越してきたときと同じがらんとした部屋に心からお礼を言う。体の一部だったようなあの部屋が、今は他人のような顔をして静かに初夏の日差しに照らされている。 物哀しいような懐かしいような、そんな瞬間であった。

和光市の思い出を語りたいところだが、今は朝霞台での新生活のほうに手一杯で、和光を懐かしむ余裕は無い。あんなになじんでお世話になった場所なのだから、何か恩返しというか、思い出になることをしたかったと思っていたら、よく家内と僕で利用していた和光市勤労青少年センターの館長さんが、10月に市民の皆さんを招いた小さなコンサートを企画してくださることになった。 自分の中では和光市への恩返しコンサート。和光市への想いをマンドリンとギターで語ろう。和光市出身の清水かつらの童謡をアレンジして演奏しようか、などと考えているところである。

2008年7月11日

和光市を語る

ついに12年住んだ和光を離れることになった。手狭なのと家内の仕事のことを考え、隣の朝霞市に引っ越すことになったのである。
次に住むマンションはやや古いが、部屋がひとつ増え駅から5分である。これで遅くまで飲める!というものである。何しろ今の住まいは駅からバスか自転車で無くては帰れない。歩けば30分以上かかるだろう。10時以降はバスもなくなるのだ。

それにしても、僕は割に土地への執着が強く、実家のある鴻巣もいまだ大好きだし、ここ和光は12年住んだからほとんど第二の故郷である。近所には樹林公園や司法研修所・税務大学校・理化学研究所などの広々とした緑が多く、畑や雑木林も多く本当に好きだった。駅から遠いのがネックであるが、自転車通勤なので、朝の空気の中、緑のトンネルを抜けて坂を下っていくのは最高の爽快感があった。 駅といえば、有楽町線の始発駅でも有り、交通アクセスは奇跡的なほどよい。ウイキによると人口の増加はここ10年埼玉一だそうな。若い世代が多く明るくて活気に満ちている町である。

和光に住んだこの12年、僕も家内も多くの仲間を得て音楽を楽しみ、いろいろな機会をいただいてきた。人生には無くてはならなかった時間だろう。なんとも素敵な思い出の詰まったこの町を離れるに当たって、最後の何日かは思い出の場所を一つ一つ尋ねたい・・・なんてセンチメンタルな気分だったのだが、とんでもなかった。
そう、引越しの大変さ。特に我が家は楽譜の類がおそろしく多く、譜面・楽書だけで今のところダンボール10個を超えてもまだ半分くらいしか減らないので恐れおののいている。他の家財道具は一切手をつけられず・・・この引越し本当に終わるのか!? 12年間分、編曲の資料やら、購入したスコア、パート譜、自作のスコア。家内のソロ楽譜の膨大なコレクションなどCDまで含めると2トントラックをはみ出すんじゃないか?よくもこの狭いアパートに溜め込んだと思う。

それに整理していると、ついつい往時を思い出して楽譜に見入ってしまうのも引越しが進まない原因。どんな曲だっけと思わず楽器を取り出しそうになったりして。大昔のバッカスの思わぬ珍資料もぞくぞく。 来し方行く末についてはまた今度。和光についての思い出もまた書くこともあるだろう・・・。