2010年7月20日

阿津位是2010!!

熱い、暑い、厚い、篤い、アツイぜ~ッ!!バッカスの練習が。
というわけで7/17の練習を点描。2週目のかつしか、今日は毎週楽しみにしている朝の赤ちゃんカフェも早めに切り上げ、会場前に到着。篤いぜ。

まずは舞踊風です。今日はスネアを担当。むずい!でも最後に通すときはうまくいったと思うのだけど・・・。久保田先生にお聞かせするそうな。大丈夫かな。
さてドリフ。広井さん豊田さんのドラムに加えボブさんのパーカスが加わり、さらにパワーアップ。これは傑作だな(あえて自分で言おう)。

さらに今回、盛り上げ隊を結成!これは、余り多くは明かせないのだが、むちゃくちゃ合奏が盛り上がった。前のたはごとにも書いたが、自然発生的に各自自力でノリノリになるのが理想なので、つい「みんな」に任せてしまう。すると結局誰もやらず中途半端に終わってしまうというのがいつものパターンだったが、今回は特定の盛り上げ隊を結成したおかげで、かなりいいものになった。盛り上げ隊以外の人も、楽しそうな顔になり一石二鳥の効果が期待できる。これはいい循環だ。

大河。相変わらずいいなこれは。指揮者の位置からみると、みんな本当に気持ちよさそうにひいてる。特に篤姫、クライマックスで全身から潮のように幸せ感がこみ上げて、頭の中が真っ白に・・・終わった後タバコをすいながら「どう?よかった?」なんて聞いて見たくなる。新撰組、歌うことになった。これはどうなるか?ドリフの余韻があるのでテンションは高く声は出る思う。しかし、ジョン健ヌッツオ、音域が広い・・・。素人のわれわれに歌えるかなこりゃ?

さていよいよ新世界。初めてのティンパニ入り。1-4まで全楽章ぶっとおし。・・・驚愕・・・・ティンパニ、初めての通しで、パーフェクト・・・さすがボブさん。有名曲とはいえ、結構癖をつけていじっているだけに驚きである。タイミング・音のキャラクターの使い分けも申し分なし。
逆にオケの都合で何度か止めてしまった。同じことをできるまで何度もやるのがアマオケの面白さでもあるけれど、たまにこういうプロの集中力を見ると凄みを感じる。ここまで集中すれば練習時間は半分になるんだが。でも、オケのほうもいつもよりずっとよいできであった。

そのあと、ドリフのおさらいとパストラ。
全体にこの日はテンションがたかく熱い練習であった。
練習後はYASUKOさんにも来て頂いて裏方の打ち合わせ。とうとうこの季節が来たか・・・。心意気と気合、演出の派手さだけは20回記念にふさわしくなってきた。

後はお客さん。皆様、時間とおいでいただいた距離の分、絶対に損はさせませんのでよろしくお願いします!

2010年7月13日

夏を待てない!

表題のもとネタが分かった人はお友達だ。
さて、7/11の練習はひさびさのかつしか。子供の世話をしていて10分くらい遅刻する。この日はパーカッションも入りノリノリである。杉並より天井は低いし、ここのリハ室は基本的にデッドなのだが、それでもよく響いている。

舞踊風。人がいなくてタンバリンを叩かせてもらう。初めてだが快感!小学生団友のゆきちゃんはちいさな銅鑼を。変拍子バリバリでも完璧だ。さすがにサラブレッド。
ドリフ。広井さん・豊田さんのドラムが入って最高に楽しい。この日はひげダンスのネタが・・・。これ以上はかけない。当日までの秘密である。

後は大河をパーカッション入りで。これもほんとうに良くなった。篤姫はドーパミン全開。新世界はクラ2本が入って、ああ、こんな音がするんだと思いながら、叩いて通し。振るのはしばらくお休みして、ひたすらにリズムを叩き込むことに。それと、徹頭徹尾呼吸にこだわる。せめて最初の入りだけでも絶対呼吸を合わせよう!あとはドヴォルザークの熱い魂を全身で表現できるか。

ところで、バッカスでも、指導させてもらっている学校やアンサンブルにも、もっと楽しんで全身で演奏しようといっている。しかしこれが難しいらしい。音楽の要求するままに自由に体を動かして(あるいはあえて動かさずに)楽しんでほしいのだが、じゃあどういう風に、どこからどこまで体を動かすんですか?と聞かれてしまうと、これは違う。国民性なのか「体を動かすなら、全員できちんとそろえて」となってしまうのだ。

とはいえ、そうじゃなくてみんな思い思いにノリで、というと、「みんな」という三人称の中に個々の責任が埋没してしまい、何人かはわかっていてやってくれるが、「みんな」としては静止画のように動かない。

僕の理想はここで何度も言っている通りSBYOVである。個々がわれを忘れて音楽に没入してノリまくっているが、それがまた独りよがりに見えず、動きはばらばらでも音楽への想いは見事にひとつになっていて、見ているこちらまで、しみじみ音楽ってすごいな、よくぞ音楽のある時代に生まれた、と思える。もっと自由に無邪気に、ピュアに、ああできないものかなと思う。ドゥダメルが指揮者だから、といわれればそれまでだが。

クラシックは演奏するのも聴くのもじっと品よく微動だにせず・・・。なんてはっきり言って、不幸な勘違いから来た思い込み・錯覚である。それは明治日本の西洋コンプレックスの塊のような人々が、たまたま有る国の有る流派のある時期の音楽がそうだったから、猫も杓子もすべてのクラシックに当てはめてしまったのである。

クラシック音楽を乱暴に定義すると、欧州キリスト教圏周辺の18世紀から20世紀の前半くらいまでの音楽だが、時代によって、人種・地域・文化(ラテン・非ラテンかなど)によって聴衆の楽しみ方や演奏のスタイルは千差万別なのだ。

またクラシックはたしかに再現する芸術だけれど、神経質に重箱の隅をつつきすぎるのも、亜流コンプレックスの強い日本独自の宿阿ではないか?本場の欧州の若手奏者は、もっと古典の呪縛から開放されて自由に演奏して、それがまた喝采を浴びている。

ましてや、誤解を恐れず言ってしまうなら、マンドリンは軽音楽向きのもっと気楽な楽器である!最低限の楽典が頭にはいっていれば自由に演奏してよいし、しゃちほこばるのはかえって滑稽ですらある。(軽音楽団体がなぜシンフォニーを編曲してやるのかといえば、これは壮大でこの上なく真剣なパロディだからである)

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合田道人の紅白歌合戦の真実という本を読んだら、初期の頃の紅白は、観客も制作側も歌手自身も、ものすごく紅組(女)と白組(男)の勝敗にこだわっていて、この勝負に毎回国民が真剣に一喜一憂していた。たまに紅組の応援団に男の歌手が混じっていたりすると「なんで女の応援を男がしているんだ!!」と観客席から本気でブーイングが起こったという。

現在、真剣に紅白どちらが勝ったか気になるとか、どちらかの組を気合を入れて応援している人は少ないだろう。(何かを賭けていたりしない限り)みんな、男女関係なく好きなアーティストの歌やパフォーマンスを楽しんで、勝敗は一種の様式というか、ちょっとした味付けに過ぎないことはみな知っている。

何かに縛られず、自由な魂で音楽の本質を楽しみたいものである。

「夏色☆肩重い」

7月になってしまった!いよいよ本格的な熱い汁のシーズンに入ったわけだ。そんな練習の一日(7/4)を点描。

砂町にさよならして久しぶりの杉並。駅からはまあまあ近いし、とにかくプロっぽくてかっこいい練習場。バッカスMLも事前にフル稼働で結構盛り上がっての当日。
このひろいホールにほぼ一杯の人。かなりの出席率だ。そして見学さんや新入団員さんも増えて、ありがたいことである。

1部の合奏。久しぶりにギターを弾くが、ホールの天井が高くてなんていい音!すごく幸せである。新世界も今日は1楽章の冒頭がすばらしくいい。2楽章も。泣きそうである。ここのリハ室の音は悪魔的な響きである。いいなあ、トレモロが生まれる瞬間の響き。生まれたままの音。なんてピュアなんだろう。

前にも書いたが、バッカス10で木星をやったとき、次の20回はどうしようということになり、じゃあ次の10年後は新世界全楽章やろうかということになったのだが、このときのノリはまさに「100歳まで生きてたら親戚全員おごりでハワイにつれてってやろうか」ぐらいの「有りそうも無いから景気のいい事を言っておけ」的な無責任なノリだったのである。

考えてみれば人生10年単位で考えるということが後2.3回しかないというのは大変なことである。後10年後はどうなるのか?バッカスはあるのか?というか僕はまだ指揮を振っているのか?全く分からないので、無責任なことを言える。

ハルサイ?マラ7?R・シュトラウス?チャイコの5番?涅槃交響曲?エロサロン・ヒメコ?カリンニコフ?はたまた、オリジナルの大作?いや、バッカスの作曲家陣がその頃には押しも押されぬ作曲家になっていて委嘱をお願いする・・・?

この日は少し張り切りすぎたようだ。初めての経験だが、よほど疲れたのか練習から帰る途中こむら返りになってしまった。電車の中で一人ヒクヒクして「あっあっ」ともだえ、怪訝な目で見られてしまった。おまけに翌日、酷使した四十肩がズーンと重たかった。