2011年7月14日

We were born in 1991!

本業が殺人的忙しさで完全にノックアウトの6月であった。 3.4.5月に中止・延期になった仕事が一気に押し寄せた結果。
あれから3ヶ月で震災など無かったかのように前にも増しての仕事量。

さて、久々すぎていろいろまとめてになってしまうが。
ARTE東京旗揚げ公演。家内が出演していて、親子室も使えると言うので、初めての電車での遠出だ。 電車の中で大興奮して騒ぐ息子(ほんとの息子ですよ!)をなだめつつ、トリトンスクエア第一生命ホールへ。 未体験のスピード・パワーと表現力に圧倒される。もはや唯一無比。もう、日本の、マンドリン界の、とかいう話じゃない。丸本さんの曲はドイツをはじめこれから世界で演奏されるでしょう。 井上さん、コンチェルトのソロを弾きながら泣いていたな・・・。 熱い!この熱さが無けりゃダメである。演奏していて泣けなくなったら、即ステージを降りるべき。自分の肝にもそう銘じよう。

練習はいよいよ白熱。今年は6月といっても中だるみしている暇は無い。 航海王子はやっと魂がはいってきたし、アルルもプレリュードはこだわりまくった結果一番の出来に。むしろメヌエット(第一)でてこずっている。こういう舞曲はみんな頭で考えて難しくなってしまう。アンドレ・リュウ・オーケストラをみよ!(アレはやりすぎか・・・。)小さな子供を見ていると好きな音楽を聴くと、無邪気に体を揺らしている。あれでいいんだ。楽器を演奏するときは子供に戻ればいい・・・。

ファランドールは実によく「あっている」・・・。がこれではファランドールではない!刹那にはかなき人生を凝縮し、火花のように燃え尽きてこそのファランドール。壊れるか壊れないかのぎりぎりをお客さんには聞いていただくつもり。うわべだけ整った当たり障りの無い演奏だけは絶対に許さない!

それからアンコール。 特別な年のアンコールだからネタをばらしちゃおう。 ”We were born in 1991!”そう、バッカスが創立された1991年のヒットメドレーである。 1991年、僕が21歳(駒沢の宅間伸と言われていた時期)である。 時代はバブルの絶頂期。バイトの給料もよかった。先輩たちは一流企業の内定をいくつももらい、海外研修旅行に引っ張りまわされていた。いわゆるトレンディドラマ全盛期で、ダブル浅野とか、鈴木保奈美とか、中山美穂とか石田純一とか吉田栄作とかがもてはやされた時代。 渋谷の井の頭通りは毎夜学生たちのコンパで身動きできないほどごった返し、お祭りのような日々が延々と続いていた。

バッカスはこんな時代の空気の中で、コンパの歓声の中で生まれた団体である。 昔がよかったというつもりは毛頭無いが、それにしてもあの日本中が自信に満ちていた日々はなんだったのか。 この年のヒット曲も、すごくポジティブで力強い曲が多い。悪く言えばバブリーで刹那的。 昔が戻ってくることは絶対無いが、あのバッカス結成前夜のイケイケだった頃の日本を追体験しつつ、やがて来る日本の夜明けまでともし続ける灯りのひとつになればと言う気持ちから企画した。

さすがに団員たちも多くはこの頃小学生とか中学生が多い。学生や社会人1年生もいるからへたすりゃ彼らの生まれて間もないころである。 しかし、今でも盛んに聴く名曲ばかりなので、ほぼ全曲わかったとのこと。ほっとした。ご期待あれ。