2008年12月17日

オフもそろそろ終わり・・・決起の狼煙をあげよう!

いかにオフとはいえ久々である。いろいろなことがありすぎて、生存確認書き込みさえ出来なかった。

まずやはり家内・桝川千明のドイツ国際マンドリン独奏コンクール(桑原康雄杯)のこと。11月末渡独。僕は仕事が休めないし、飛行機が苦手で同行は断念。
家内は筋金入りのモノ・リンガルなので現地でドイツ斯界通の宮武さんや児島さんに何から何までお世話になったとのこと。本当に感謝。

結果は予選通過でセミファイナルに進出したが、ファイナルには進めず、ベスト8入りというところであった。神戸からわざわざコーチに来てくれた横田さんおかげか、桑原康雄特別賞の候補になったらしいが、惜しくもこれはとれず。
本人はファイナル・入賞を目指していたので目標は達成できなかったが、このコンクールのレベルの高さは、予選落ちの奏者に欧州の名手がごろごろしていることでもわかる・・・。
結果は審査員との相性であろうから、まずは大健闘というべきであろうし、国際的な力量を身につけるという目的は十分果たしただろう。


そしてバッカス19の選曲会。今年はなかなか面白い結果となった。そんなに割れたりせず、アレもいいけどこれもいいな~といった前向きな雰囲気。
1部はザンパ。かなり前からやりたいと思っていた曲。プレリュード3。これも前から上がっていたが、吉水先生の作品はこれでほぼ制覇。東洋の印象第2組曲。まさかの東洋。アマディの鉄板曲。バッカスでこれをやる日がこようとは意外だったが大好きな曲なのでうれしい。
そして2部は「1812年」!実は再演である。第五回だからもう14年前か。当時のメンバーはもう数人しかいないだろう・・・。1812年はバッカスにとっても初期から中期へのターニングポイントになった曲である。
過去の曲目を見ても、前の年に韃靼人をやっっているが、本格的なクラシックの大曲に挑んだのはこれがはじめてであった。当時は関東マンド界では1812年はまだあまり演奏されていなかったようで、編曲を探すのも一苦労。探し探してついに九州のアマチュアの編曲家の方に分けていただいた。
当時、技術的にも周囲からは「無謀」とさえいわれたものである。実際かなりの背伸びであったろう。それまでノリと勘で棒を振っていた僕も、本格的な指揮技術やアナリーゼの習得という壁に阻まれ、苦い洗礼を受けることになった。

練習はまさに悪戦苦闘で、奏者と指揮者が一緒に悩む始末。まだ最後まで通らないのに、いつの間にか本番の舞台に立っている・・・夢をよく見たものである。悪夢にうなされて起きると両手が指揮を振っていた、なんてことがしょっちゅう有った。これはいまだに忘れられない思い出であるし、苦悩の末に迎えた本番で演奏し終えたときの開放感や達成感はこたえられないものであった。

自分の指揮者としての無力さを痛感させられ、成長させてくれた大事な曲である。当時からの人に聞くと、この曲からバッカスは「変わった」のだという。そういう曲をまた演奏できることに、僕は今から興奮している。自分がそしてバッカスがこの14年でどう成長したか知りたいし、この曲の出現は再び新たな時代へのターニングポイントかもしれないし。(クビになったりして・・・大丈夫か?)

この曲のハイライトはもちろん大砲がぶっ放されるあの部分だが、自分的には、後半のさびしげな民謡が荒涼とした大地を思わせた後、ロシアの反撃が始まるあの部分が大好きである。仕事や音楽活動、家庭問題やその他いろいろ、人生において敗北・退却することもけっこうあるが、じっと耐えていればいつも必ずなにかの糸口が出来て、逆転が始まる。そんなとき僕の胸にはいつもあの部分が流れているのである。

僕個人のことだけでなく、いま日本全体が暗い閉塞感にあふれている。1812年という曲は「粘れば最後に勝つ」という歴史の法則をわかりやすく実感させてくれる曲である。

さあ、オフもそろそろ終わり。ここからは決起の狼煙をあげて・・・バッカスの大反撃が始まりますよ。

2008年10月21日

シーズン・オフ~充電しないと、しぼむぞ(古)

またしても久しぶりの生存確認書き込みである。 バッカス18が終わってからの動きを少々。
本番の翌週には試写会。今度は鑑賞者としてバッカス18を追体験する。舞台の上で感 じた事と大きなギャップは無く、多少雑なところもあったが、十分に楽しめた。 やはり、ムーンウオークの部分はしょうもなかった。しかしまあ、ばかばかしすぎて 笑ってしまったのでよしとしたい。
演奏は、やはりみんなすごい・・・。心からバッカスの仲間一人ひとりに拍手を送り たい。賛助さんにも助けられている。

演奏会後の1ヶ月はあっという間に過ぎ去り、シーズンオフがやってきた。9月末、僕 は家内と今年も新田町でのコンサート。今回は企画ネタを満載して、3分の一くらい もトークのコンサート。固定のお客さんも増え、熱気に満ちた会場は今年も満員、絶 え間ない笑いと暖かい拍手をいただいた。
それから念願だった和光市青少年ホームでのコンサート。館長さんはじめスタッフの 皆さんの心づくしで、楽しいコンサートとなった。清水かつらの曲も数曲。朝霞のマ ンドリン愛好者の皆さんもいらして(意外に多いのである)思わぬ交流をした。

図書館が近くなったので、本を乱読。シーズンオフなので、いろん なことを充電する。 少し前の本だがタカ○クの「チェッ○ーズ」。タカ○クの奥さんが僕の同級生なの だ。小・中学校で何度か同じクラスになった。ほとんど話したことは無かったが。チ ○ッカーズって大変なことになっていたんだな・・・。タ○モクとフ○ヤの関係に人 の世の業の縮図を見る。
爆笑問題の本を片っ端から読む。ほぼ同年代のせいか、ギャグが全てつぼにはまって しまう。 中高年のお客さんと上手くコミュニケーションするために綾小路きみまろ、毒蝮三太 夫の著書も押さえる。 兵頭二十八の本を片っ端から読む。開高健を読破する。どういうわけかホームレス関 係や旅関係の本を読む。国際関係や労務関係、金融関係の本も読む。TSUTAYA でドリフのDVDを借りまくる。自分が何をしたいのかわからない状況である。

朝霞市での生活にもだいぶ慣れてきた。 駅から近くなってかえって歩くようになったので、痩せてきた気もする。本当に便利 な町であるが、残念なことに和光市のような豊かな緑は無い。 しかし、自転車に5分も乗ると、黒目川とその河川敷の自然があり、なかなか癒され る。この黒目川、最近水質がきれいになったらしく、けして深くないのだが、底まで はっきり見える。 この川のほとりにたたずんで見つめていると、驚くほどの種類の魚がいる。
ある夏の 日の夕方、川面を眺めているだけで、鯉、草魚、ニゴイ、オイカワ、ボラ、ナマズ、 セイゴ、ヌマチチブ、マハゼ、ミシシッピアカミミガメ、スッポン、ウナギ(川下に 向かって60センチくらいのがひらひら泳いでいった。本当にいるのだ!)。判別で きなかったがアユも上るそうで、都市部の川とは思えない。水が綺麗であるとはこん なにも生き物にとって暮らし易いという事か。実家・鴻巣の元荒川より 魚種は豊富。ちなみに僕はうなぎの蒲焼が好物なのだが・・・あまりに人通りが多く 公然と捕ったり釣ったりできる雰囲気ではない・・・。

10月は大阪国際マンドリンフェスティバルIN東京。去年の大阪国際上位のAnne やSabine、やっぱりすごい。思い切りの良さ、はつらつとした音楽性から言う とAnneが好みだが、Sabineの上品で洗練された演奏も香気に満ちてすばら しい。
日本人もすごいことになっている。特に、丸本さん、堀君の極上の二重奏に聞 きほれてしまうし、石橋さんの曲のセンスと・演奏の超絶技巧ぶりにはもう言葉がで ない。完璧である。 千明氏は歌心・技術・気迫の均衡がとれた、余裕たっぷりの明るく澄んだ音色が異彩を放っている。 横田さんがステージに立つだけで、存在感が炎たつよう。技巧と迫力と精気。桑原康 雄の曲でこの人の右に出るものは外国人も含めもちろんいない。 Natalliaはやはり桁違いのパワーとスピードとテクニック。それでいて細か いところまでよく歌う。

しかしこの日一番のMVPはやはり井上さんであろう。運営はもちろんのこと、司 会、二重奏、指揮、独奏まで、彼以外なしえない超人的な活躍ぶりであった。 このひとの志と力が無ければこういう「世界の今」も見れなかったわけで、「不逞」 ・不屈の魂に心から賞賛と感謝を送りたい。

他にもいろいろと面白いことが起こったり、これから起こりそうだったり・・・こう してみると朝霞に来てからいろいろ良いこと(・・か?・・)があって、やはり引っ 越してよかったのかもしれない。

2008年9月2日

本番レヴュー2008・・・80’sは不滅です。

豪雨の中、バッカス18にご来場くださり、本当にありがとうございました!
団員一同、深く感謝いたします。
では、今年も例によりセルフレビューを。

8/30朝、ここ数日続いている異常気象・ゲリラ雷雨の不吉な予兆を感じつつ、青 砥に到着。団員達と挨拶を交わしつつ、舞台設営に入る。かつしかは14年前使わせ ていただいたのだが、音が散って合わせにくく苦戦した思い出がある。それを思い出 し、8月からはなるべく耳に頼らないで指揮にあわせる練習をしてきた。

久々に見る舞台はかなり奥行きがあるように思えたが、ひな壇2段とドラが5プルあ るのであっという間に指揮台がステージのきわに。早速1部の練習が始まった。客席 で聞いてみると、残響がとても豊かで驚いた。とくにマンドリンのトレモロの長く持 続するような音は、倍音が客席全体に広がるようなイメージでとても良い。その一方 で速いテンポのピッキングの音は、輪郭がぼやけ、スカスカな感じもしたが。

午前 中、1部練習終了。 昼食時、ちょっとしたアクシデント。僕自身が自分のお弁当をフ タを取った状態でさかさまに床に落としてしまったのである。しかし世界共通3秒 ルールをクリアしていたので、問題なくいただいた。 ギター部屋ではワンセグ携帯を持ち込み、YOUTUBEで80'SのPVを鑑賞してモチベー ションをあげる。僕が10代の頃大好きだった曲を、いま、やはり大好きなマンドリ ンオケでトリビュートする。団員の半分以上を占めるようになった若手にはつき合わ せてしまった感があるが、今ではみんなこの曲を愛してくれている。

午後は2部の練習・全曲通しへ。本番に最高のコンディション・テンションを持って くるため、全体にセーブ気味にして、あえてテンポの変わり目の確認程度で淡淡とリ ハをこなす。本番で必ず大爆発してくれることを信じて。 2部はテンポの速いピッキングの曲が多いので、合わせにくいのではと思ったが、そ んなことも無く、天井が高いホールにありがちな音が散るような違和感は無い。とす るとあの14年前の状況はどうだったのだろう。たぶん指揮・アンサンブルの技術が未 熟だったのであろう。あれから少しは成長したということか。


こうして、あっという間に開演時間が近づいてきたが、団員一同の胸に去来していた 懸念はやはりこの日の天候である。午後から、関東圏は傘を差しても下着までぬれる ほどの記録的豪雨になっていた。 自然の猛威には勝てない・・・今日は客席の半分も埋まればよい。こんな年もあるさ ・・・。と半ばあきらめていたのである。


そして開演。舞台にたつと、開演の段階で客席(1階のみ)が7.8割がたお客さまで 埋まっていた!思わず胸が熱くなる。司会のYASUKOさんも同感だったのであろう、ま ず冒頭に雨の中来場いただいたお客さまに感謝の言葉を伝えたが、それはありがちな 事務的な挨拶ではなく、本当に気持ちがこもっていた。同時にそれは我々一人残らず の感謝の気持ちを代弁したものでもあった。 8/30の豪雨の中、かつしかシンフォニーヒルズの幸せなる2時間は、まさ にこの感謝の言葉から始まったのである!


小川君指揮、1部1曲目のシリウス。1楽章はピッキング中心のせいかマンドリンが 聞こえず、まごついたが、指揮をなるべく見るように心がけた。本当は暗譜がかっこ いいのだがそこまでいけないのがくやしい。 2楽章はトレモロ中心で、よく聞こえ、やっと落ち着いた。3楽章はやや速かった が、みんな良く一体になっていた。 終わってみれば、このホールのもつ残響の美しさが、曲の神秘性とよくマッチしてい た。


2曲目は交響的前奏曲。吉水先生の最新作にして最深作。おそらくこの日一番美しく 響いた曲だろう。 各パートの魅力が存分に出せた。ギターソロもやや力んだが会心のでき。 この曲は「1961」コンサートで初演された曲であるが、僕には、小林先生、加賀城先 生、吉水先生が同じく生誕された1961という神秘な年へのオマージュというか、また は吉水先生の半生のようなものがそこに描かれているような気がした。


3曲目は華燭の祭典。マネンテは大好きである。これはほとんど暗譜。やはり2楽章 がとても美しく鳴っていた。打楽器もフルで入る。パーカッションの賛助さんがタイ ミング・音量ともぴたりと調整してくれているので合奏が締まる。 1部は非常に上手くいった。お客さんの拍手も激しい。 曲が終わるたびにお客さんは増え、ほぼ満員(しつこいが1階席のみ)に、次は2部 である。


さて、2部冒頭はYASUKOさんの力を借りて、僕がMJのようにムーンウオークで入っ てくるという、お約束の演出。僕の年代なら誰もが一度はやったであろうムーンウ オーク(の真似)。自信はなかったが、お客さんにリラックスしてもらいたい、笑って もらいたい一心である。笑いのセンスが無い僕は結局中途半端なムーンウオークをし てしまったが、なんとかYASUKOさんにオチをつけてもらい、場だけは和んで指揮台 へ。


さてここからは夢のような10分間であった。MJはもう少し乗りたかったが平板 だったか。ライクアバージンはもっと色っぽくしたかったが、そこは日本人、淡白で シャイなのである。ちょっと物足りない。ビーナスはパーカッション隊の活躍もあり 狂おしいほどノリノリである、ビリージョエルはよく歌えていた。全てをあなたに・ ・・酔いしれそうである。ボーントウラブユー、まさに大爆発で爽快この上なかっ た。ウイーアーザワールドも、しみじみと心の中で大合唱である。この10分間は僕の 一生の宝であった。 お客さんも楽しげに聞いてくださるのが背中でわかった。


そして胡桃割り。小序曲のテンポは冷静にスタート。マンドリンはハイポジで細かい 動きが多いのでどうしても指板を見てしまい、そういう部分が走るのだが、4小節単 位のメロディの始点・力点・終末点があっていれば、そんなに気にする必要はないと 達観。 マーチもそうで、これは歩調をとにかく合わせることを考える。一曲終わるごとに、 お客さんが期待をこめて耳をそばだてているのを背中で感じる。


金平糖、全体にちょっと急いでいるのだがまずまず。トレパーク、いかにもバッカス らしい元気で豪壮な演奏。ストリンジェンドも見事に決まった。アラビア、ゆったり したトレモロはこのホールに一番響く。安心して聞けた。 ここから先は、フルート主役の2曲。バッカスが誇るフルート隊は完璧なアンサンブ ルを聞かせてくれた。


そして終曲の花のワルツ。 冒頭のテーマはもっと自由自在にやりたかったのだが時間切れ。でもこれでよい。少 し崩れてしまったかもしれないが。 マンドリンのカデンツァは相当難しいのだが良くここまで出来たと思う。コンミスの 開き直ったかのような大胆なアルペジオが会場に響き渡った。 第1主題の対のテーマ、クラリネットのゆれ具合が絶品!そして有名なさびだが・・ ・。欲をかけばきりがないが、もっと高く遠く舞い上がりたかった。もっと空気を巻 き込みたかった。これは3セット+発展系があるのだが、一つ一つ違う高度で違う表 情で高ぶっていきたかったのだが、少しスタミナ切れしたか。


フルートの第3のワルツでドーパミンの放出は最高潮に。その後のドラチェロのエス プレーシヴォは、あまりに壮絶な音を搾り出すので感情がほとばしり自分も訳がわか らなくなってしまった。冷静さを欠き裏拍の伴奏とあわなかった気もするが、これは これですごく良かったのではないか。 中盤で力を出し尽くしてしまい、圧倒的なフィナーレ感にやや欠けたが、そこはパー カッションが盛り上げてくれた。心配していた最後のテンポ急変は心をひとつに大団 円で最後のアコードを燃焼させることが出来、これは満足。 指揮台を降りる前から激しいフライング拍手を頂き、うれしさで倒れそうである。


ソリストをたたえ、全員を立たせた後、とまらない拍手の中、1度出入りして、アン コール。トレパークのつもりでいたのだが、その場の気分でウイーアーザワールド に。メドレーの途中から無理やりやるので、絃も大変だったと思うが、管楽器や打楽 器さんは持ち替えやチューニングでパニックだったらしい。軽率であった・・・ごめ んなさい。


さて、このアンコールはお客さんから手拍子をいただいた。ものすごく力強い大きな 手拍子で、これまでに無いほど舞台と客席の一体感を感じた。いつになく快速のバッ カナールを演奏後、また全員を立たせ退場したが、拍手はやまず、珍しいことに奏者 が退場する間も続いた。(会場が暗転しなかったからかもしれないが) ふれあいタイムでロビーに行き、お客様一人ひとりに心からご来場のお礼を言う。懐 かしい顔も。本当にありがとう。


今年は非常に珍しいことだが、何人もの見知らぬ女性が僕に握手を求めてきた。なぜ だかみな一様にオーバー60の淑女たちであった。中には、なにか健康にいいと思わ れたらしく「元気を分けて」といって殺到する淑女たちもおり、僕もけして若く は無いのに残り少ないヘロモンをかなり吸い取られた気がした。 お客様が帰る時間も雨が降り始め、本当に申し訳なく、無事にお帰りいただけるよう 祈った。


我々はタクシーに分乗し、ふたき旅館へ。 豪雨という最悪の条件にもかかわらず例年並みの入場者、上手くいったコンサート・ ・・打ち上げを待たずしてもう僕らは最上の美酒に酔っていたのであった。放歌高吟 の打ち上げの夜はふけ、ふと気付けば、会場は例年通り、ルパン3世、花嫁、ピンク のウサギ、蛇使い、スケスケのベリーダンサー、黒人、ガチャピン、などが走り回る 異様な世界と化していた。


指揮者へのプレゼントとして僕はとても立派な(ドイツ製の!)胡桃割り人形を戴い てしまった。が、その夜の夢にはバレエのようにねずみの王様は出てこず、スケスケ のベリーダンサーや、むらがる淑女たちの幻影に悩まされたのだった・・・。

2008年8月22日

夏合宿~本番直前異常テンションへ

はやいもので演奏会直前である!実は投稿ネタはあったのであるが、モロモロのことがあって・・・。つい、直前での更新になってしまった。 夏休みは実家に帰ったりいろいろあったのだが、省略していきなり後半戦の夏合宿から。 

やる気まんまんの早め集合で、丹念にスコアを読み込む。パートにより参加状況はやや偏りがあるが一日目は小川君の曲及びBACKTO80'Sから。80'Sはそんなに難しくない。後は本当にノリとサービス精神だけ。 しきりにここはもっとマドンナみたいに・・・といっていたら、団員の半分以上がライクアバージンを聴いたことが無いことが判明! 団員の年齢層に幅があるのはいことだが、これはどうすれば。いまさらマドンナの真似をして踊ったってどうにもならない。マドンナにしてしかり、他のアーティストにいたっては・・・。嗚呼、昭和は遠くなりにけり。

しかし他の曲はCMで使われることが多いので、なんとか聞いたことがある程度で結構ノれるのである。特にホイッ○ニーはいい。ク○ーンも。ウイー○ーザワールドも。最後は手拍子したいものである。これを読んでくれたお客さま、よろしければサクラをお願いします。

小川君のシリウスはここに来て大成長。ダークホースである。 吉水先生の最新作・交響的前奏曲・・・。もう耳について離れない。メロディが。響きが。リズムが。 吉水先生の作品の中では難解なほうにはいるが、これはすごい名曲である。やっぱりメロディがダントツにいい。先生ご本人に指導してもらえたのも大きかった。

この日は、みな夜遅くまで個人練。僕もついつい熱気にほだされて個人練する。練習さえすれば、難しいところも必ずできるので、夢中になって個人練するうちに2時。一日目の飲みには参加できず就寝。


翌朝、パート練後は海。今年も結局男祭りだ!でも年齢は少し若返ったかもしれない。それでもうら若き女子が2.3名海に入ってくれた。この日は波が高く、我々はただ騒ぎながら波間に漂うだけであった。来年こそは・・・岩井で男女同率でサーフィン&ゴムボート&騎馬戦。海水以外のしょっぱいものをほほに感じながら、一年にたった1時間の海を後にした。

2日目の午後は、いわゆる曲をツメる時間。容赦ない要求と、新解釈が披露され、夜の通しへのボルテージがだんだん上がっていく。あの川きんホールに65名の奏者がひしめき、もはや立錐の余地も無い。 そして夕食後、本番を除けば最もテンションの高い「全曲通し」。

小川君の華燭。僕には大変に思い出の深い曲である。マンド人なら結婚式で2楽章を弾いて貰う、あるいは弾くのは定番のお約束であり、最高のステイタスであろう。 僕は2楽章の最後でいつも涙ぐんでしまう。そして実は、3楽章の中間がそれ以上に泣ける。コラールの後涙を振り払うようにけなげにアレグロするところが泣かせる。イタリア人っていいヤツだな・・・。

さて、胡桃割り。小穴さんの編曲のすばらしさもあって、天国的な美しさ楽しさである。 小序曲は本当に難しい。しかし、何度も呼吸をあわせ、細かい音符も4小節単位でうたうことで、かなり聞きやすいものになった。マーチは呼吸と歩調。金平糖も原曲のチェレスタの神秘的な感じにどこまで迫れるかが聴き所。トレパークは豪快・快速でまことにバッカスらしい演奏。アラビアはメロディの微妙な陰翳を感じていただければ。シナ・葦笛ともに、管楽器の良さが発揮できそう。

そしてなんといっても花のワルツ。 この曲は、最初は少女クララがおずおずと、そして経験を重ねてだんだん大胆になって、胡桃割り人形=人生の悩みを噛み砕いてくれる存在を探し、めぐり合い、めでたくパカーンして、最後は華やかに大人の女性となって羽ばたく過程を描いているように思える。そもそもホフマンの原作は、大人になっていく時期の不安定な少女の幻想がテーマになっているのである。 勢い今年の合奏の脱線話は、第二次性徴とか、ホルモンの話にならざるを得ず、僕の謹厳という評価がやや失われてしまった。

この日の通しはやや力んで走り気味であったが、後2回の練習で柔らかさ・自由さを追及するつもり。 そしてバッカナール。わが団の象徴というべきエンディング曲だが、なにしろ、難しい、重い、長い。下手するとトリよりキツイという曲である。今年は特に重たい、というか年々重たくなってきている気がするので、大改造。 もともと、フランス作曲家界一の伊達男でイケメン、サン・サーンスの曲であり、エスプリをきかせて垢抜けて行きたい。というわけで、いつもとすこし違うバッカナール。

その夜の打ち上げは新人さん紹介やパート一気で盛り上がった。今年は、学校ごとに無理強いするようなあまり汚い飲みではなく、落ち着いて和気藹藹とした飲みだった気がする。僕も新人さんや常連と語ったりして時間を忘れたが、3時には就寝。

翌朝、リキュール系をがぶ飲みしたせいか結構気持ち悪く、二度寝している間に朝食を食いはぐれてしまった。3日目は合宿のおさらいをして、何事も無く終了。3日間桃源郷にいたので、オリンピックの情報を仕入れながら帰途に着く。今年も熱すぎる合宿が終わった。


そして唐突だが昨日、ソフトボールが金メダル。これには感動した。最後のシーンは何度見ても心の汁が出る。やはり、勝利の女神は普段から努力をしたものにしか微笑まないのだ。いつも勢いで乗り切ってしまう僕&わが団だが、普段から見えない努力をしなければ。身につまされる。

それにしても、硬式テニスより軟式テニス、野球よりソフトボール、普通車より軽自動車、少女隊よりセイントフォーが好きな僕はなんなのだろう。やはりマジョリティよりマイノリティを愛するということなのか。 つまり、語りつくされたように、大編成マンドリンオケ・クラ編は管弦オケの庶民向け「簡易普及版」なのか?そうではない!少なくともそのつもりで作られてはいない。しかしそうでないともいえない。少なくとも比留間賢八氏にはそういう意図が少なからずあったはずだ。

胡桃割り人形。今回は管弦楽オケに対するマイノリティとしての演奏なのか、そうでないのか。ぜひ、会場でお確かめください・・・ご来場をお待ちしております(はあと)

2008年7月22日

和光市を語る②

先週、あやぶまれていた引越しをなんとか遂行。本当に大変だった。
特にバッカス7/12の練習後は異様に疲れ、引越し前日なのに頭痛やだるさでダウン。はじめてクラリネット・パーカッションが入り、興奮しすぎたのかもしれない。

~花のワルツのクラのもたれ具合、ドラチェロのメロディの熱さに気を失いそうであるし、80'Sは、ドラムが入って、特に後半のホイッ○ニーでしんみりし、ク○ーンでたたみかけ、ウイー・○ー・ザ・ワールドで大団円のベタな展開がドーパミンドクドクである・・・聴衆の皆さんには絶対に何かを感じてもらえるはず。ご期待あれ!(以上宣伝)

そんなわけで和光最後の一日は朝から晩まで阿鼻叫喚状態で、名残を惜しむどころではない。
それにしても現代人のいかに物に埋もれて生活していることか。我が家は楽譜だけでもダンボール大10個以上が蓄積されていたのだが、それ以外にも見たこともない家財道具が押入れから、あらゆる収納から大量に出てきた。清貧・貞潔を家訓としている我が家でさえこれである。
結局、もって行くよりも捨てていくるものの処理のほうが大変である。引越し当日も清掃センターやハードオフにピストン輸送を繰り返しながらも、荷物は3トントラック丸々いっぱいということになった! 猛暑日の中、新居に荷物を運び込み、家具を配置して何とか生活できるようにし、近隣にあいさつ回りをして食料品を買い込むと、何とか人心地ついてきた。引越しはすさまじく大変であるが、考えてみると、際限なく溜め込んだ物を整理するという意味で10年に一度くらいはするべきかもしれない。 見も心もやせほそるくらい大変だったが、今はやってよかったという気がしている。

そして今週、退去の立会い。大体きれいに使ってきたが、家でもノリノリで演奏するため、足台やいすの足でフローリングに浅いヘコミや細かい傷が結構ついてしまっていた。それから壁紙や敷居に汚れ。窓のクレセント錠も取れていた。修理費を過分に取られたらどうしようと心配して、原状回復ガイドラインや裁判の判例まで丸暗記して緊張して望んだのであるが、管理会社の人たちは「きれいですね、ほんとに12年も住んだんですか?」と激賞。最近は2.3年でズタボロにして出て行く人も結構いるそうだ。

われわれはアパート中最長老の住人であったし、ほぼ最低限の費用で出れそうである。 鍵を返すと12年前引越してきたときと同じがらんとした部屋に心からお礼を言う。体の一部だったようなあの部屋が、今は他人のような顔をして静かに初夏の日差しに照らされている。 物哀しいような懐かしいような、そんな瞬間であった。

和光市の思い出を語りたいところだが、今は朝霞台での新生活のほうに手一杯で、和光を懐かしむ余裕は無い。あんなになじんでお世話になった場所なのだから、何か恩返しというか、思い出になることをしたかったと思っていたら、よく家内と僕で利用していた和光市勤労青少年センターの館長さんが、10月に市民の皆さんを招いた小さなコンサートを企画してくださることになった。 自分の中では和光市への恩返しコンサート。和光市への想いをマンドリンとギターで語ろう。和光市出身の清水かつらの童謡をアレンジして演奏しようか、などと考えているところである。

2008年7月11日

和光市を語る

ついに12年住んだ和光を離れることになった。手狭なのと家内の仕事のことを考え、隣の朝霞市に引っ越すことになったのである。
次に住むマンションはやや古いが、部屋がひとつ増え駅から5分である。これで遅くまで飲める!というものである。何しろ今の住まいは駅からバスか自転車で無くては帰れない。歩けば30分以上かかるだろう。10時以降はバスもなくなるのだ。

それにしても、僕は割に土地への執着が強く、実家のある鴻巣もいまだ大好きだし、ここ和光は12年住んだからほとんど第二の故郷である。近所には樹林公園や司法研修所・税務大学校・理化学研究所などの広々とした緑が多く、畑や雑木林も多く本当に好きだった。駅から遠いのがネックであるが、自転車通勤なので、朝の空気の中、緑のトンネルを抜けて坂を下っていくのは最高の爽快感があった。 駅といえば、有楽町線の始発駅でも有り、交通アクセスは奇跡的なほどよい。ウイキによると人口の増加はここ10年埼玉一だそうな。若い世代が多く明るくて活気に満ちている町である。

和光に住んだこの12年、僕も家内も多くの仲間を得て音楽を楽しみ、いろいろな機会をいただいてきた。人生には無くてはならなかった時間だろう。なんとも素敵な思い出の詰まったこの町を離れるに当たって、最後の何日かは思い出の場所を一つ一つ尋ねたい・・・なんてセンチメンタルな気分だったのだが、とんでもなかった。
そう、引越しの大変さ。特に我が家は楽譜の類がおそろしく多く、譜面・楽書だけで今のところダンボール10個を超えてもまだ半分くらいしか減らないので恐れおののいている。他の家財道具は一切手をつけられず・・・この引越し本当に終わるのか!? 12年間分、編曲の資料やら、購入したスコア、パート譜、自作のスコア。家内のソロ楽譜の膨大なコレクションなどCDまで含めると2トントラックをはみ出すんじゃないか?よくもこの狭いアパートに溜め込んだと思う。

それに整理していると、ついつい往時を思い出して楽譜に見入ってしまうのも引越しが進まない原因。どんな曲だっけと思わず楽器を取り出しそうになったりして。大昔のバッカスの思わぬ珍資料もぞくぞく。 来し方行く末についてはまた今度。和光についての思い出もまた書くこともあるだろう・・・。

2008年6月4日

魂の演奏

千明氏と指導に行っているK女ギタマン部の3年生の引退式&発表会があった。
今年の3年生は人数も多く個性的でにぎやかな学年であった。積極的に音楽を楽しもうとする姿勢がよく、自分たちからマンドリンオリジナルをやりたいとも言ってくるし、いまどきの高校生らしくポ○ノグラフィティの曲も演奏する。
高校生が「先生、”ポ○ノ”やりましょうよ!」なんて白昼堂々いうのだから恐ろしい時代である。

それぞれ独奏・アンサンブルなど2年間の成果を披露した後、最後に2.3年生で思い出の「シンフォニア」を演奏。これに強く胸をうたれた。
実はこの曲は今年2月のコンクールで演奏、残念ながら僅差で全国大会への出場を逃したのだが、審査員の中にはダントツ1位をつけてくれる先生もいたほど(当然その逆も)賛否両論の演奏だったのである。

この日の演奏を聴いてあらためて思った。音楽に何を求めるか・・・人によっていろんな価値観があっていい。しかし、われらが教え子たちがこういう演奏をする感性をもってくれたことがうれしく、また誇らしく、やはりこの指導でよかったのだとあらためて確信できる自分がうれしかった。

司馬遼太郎の「世に棲む日々」で死を前にした吉田松陰が弟子と獄中で学問をし「こういった透明な心境でこそ真の学問が出来るのだ」というくだりがあるが、この日の彼女たちも、もうコンクールと関係なく、この仲間・後輩との最後の合奏を無心に惜しみ、楽しんでいるのである。
終わったことだが、こういう演奏をこそ大阪の空に響かせたかった。

それにしても楽器を手にして1~2年の20数人の高校生たちの魂の洪水。
80名近い社会人の猛者を擁しながら、僕は今こんな音をオケからひき出せているだろうか?おもわず考え込んでしまう。

社会人団体の活動は良くも悪くもどうしてもルーチンワークになりがちだ。継続的な音楽活動には、時間をかけて音楽を追求し、奏者や組織も成長し、プログラムにシリーズ性を持たせて音楽のはばを広げていくプラス面がある。
しかし「まあ、次があるさ」という考え方が悪い意味で使われたときマイナス面にもなる。最近、自分も含め団にはそのマイナス面がただよってはいなかったか。

一度きりの時間に全てを賭けて燃焼する高校生の演奏を聞いてそう思うのである。

2008年5月29日

豊かさとは・・・

世界の主要都市の地図やガイドブックを作る仕事をしているくせに、飛行機嫌いで小学生のとき以来一切外国に行っていない。しかし各国の政情や民俗・習慣に関心があるので、日本と○○国の比較論、みたいな本が結構好きでよく読む。

マンド業界人である以上イタリア関係のも読むが、この前読んだイタリアのスローライフマンセー!!というノリの本(タイトル・作者は伏せる)にはちょっと違和感を感じた。 イタリア在住の日本人の奥様(たぶん商社の駐在員の)が、イタリアの友人たちの豊かなスローライフと、日本人の仕事に明け暮れる悲惨な生活を比較し、経済的には豊かなはずの日本人はイタリア式心の豊かな生活を目指すべき!と鼻息を荒くしているありがちな展開。 経済論から音楽論、ついにファッション論に及び、イタリア人は美男美女が多いが、日本人は体型も顔もアレなので洋服は似合わないから着物でも着とけ、と大和民族伝統体型を有する自分からすればミもフタも無いことを指摘している。

まぁそれはともかく、著者の方よ!イタリア人の一部の上・中流階級と日本人の大部分の一般サラリーマンを比べてはいけない! われわれ日本の庶民が、この本で言う「ごく一般の」イタリア人のごとく毎年夏休みを1ヶ月取って、別荘で毎日遊び暮らすことが現実にできるか・・・悲しくなるがおそらくそんなことは一生不可能であろう。 日本人だって出来ればのんびり遊びたい。好きでくたくたになるまで働いているんじゃない。そうせざるを得ない状況なのだ。

フォローすると、この本にはそれとは別にラテン人特有の家族愛、宗教心から来る素朴な倫理観、明るく親切な性格、自信にあふれた自己主張とコミュニケーションのうまさなど、日本人が見習うべき点が実例をふんだんに挙げて紹介されているところは非常に共感できる。

ところで著者はイタリア人が仕事は短時間で切り上げ、遊びや楽しみにお金と時間をふんだんに使えるのは、年金制度・社会制度が過剰なほど充実しているからだという。確かにその側面はあるだろうが、果たしてそれはイタリアに住んでいる人全員が手にすることが出来るものなのか?

資源の開発で世界的に凄まじい勢いで森林が減っている中、意外にもその資源の消費先ヨーロッパは全アフリカの約1.5倍、全アジアの約2倍の世界最大の森林面積をキープし、しかもここ数年はむしろヨーロッパの森林面積は増えているという事実(世界森林白書05年)をどう見るのか? 手っ取り早く言えば、この著者が現地の友人たちと優雅なバカンスを過ごす海辺は、毎朝ゴミひとつ無いように完璧に管理されているとのことだが、その掃除はどこ出身の誰がやっているのか?ということである。

要するにこの本でしきりに言うヨーロッパの「豊かさ」とは貧しき人々の犠牲の上に実現した、なんともほろ苦い傍若無人な「豊かさ」なのだ。

しかし今回言いたいのはそれではなく、比較論について。 A国の上流階級の人間とB国の大衆階級の人間の生活を比べて、その上でどちらがよい国かは当然比較にならないということ。 人間も同様、Aという人の長所とBという人の短所を比べても比較にならない。いやそれを言い出した時点でAに完全に肩入れしているということで、もう結論は見えているということ。そしてそれはAの欠点に目をつぶり、Bの長所を見落とす結果となり、かなり危険である。

音楽・演奏は批評するものでも比較するものでもないが、するとしたらこの点だけには気をつけたいものである。

2008年5月23日

なべて世はことばかり・・・

 この連休から5月にかけて、奇妙で悲惨な事件が多かった。女子高生やOLが行方不 明になったり殺されたり。その多くが携帯電話やそのメールがキーポイントなのが特 徴的である。
~昔文通、ちょっと前電話、いまや携帯出会い系~(都都逸調で) 
文通世代の僕から見ると、男女の出会いも発展もスピード化、グローバル化してい る。そっち方面の恩恵は全く受けた事がないが。

最近小中学生に携帯を持たせないようにという機運があるらしいが、この手の事件が これだけ続くとむベなるかなの感がある。いまや携帯を手放せない生活を現に自分が しているのだから、すべてを否定する気は無いが、仕事でもなんでも常に連絡が取れ る状態というのは結構ストレスである。職場での鬱が増えたのは携帯の普及と関係な しとはいえまい。

以前、炭鉱労働者の聞き書きを集めた本で、戦後まもないある地方の炭鉱集落では、 電話はもちろんラジオも新聞も無く、365日家族と近所の人の顔だけ見て暮らしてい た。という話があって可笑しかったが同時にうらやましくも思った。
昔の人はみんなそうだったのだろう。いまそこにいる人間と顔を突き合わせて全身全 霊でコミュニケーションしていたのだろう。いま、そんな風に人間ととことん付き合 えているか?と自分を省みると非常に心もとない。

そうこうしているうちに四川の大地震。昔読んだ春秋左氏伝にはしょっちゅう「地、 震ウ」とあったから、中国は昔から地震が多かったのだろうが、死者が5万人を超え るそうで、これには驚いた。
そしてここのところ悪化していた日中関係にもかかわらず、遅きに失したが日本の救 助隊も向かい、援助もなされたのは本当によかった。日本隊は犠牲者に黙祷をささ げ、それを見た民衆が感動したそうな。ここまできてふと思い出したのだが、やはり 中国の春秋戦国時代にこんな話があった。

~秦国が飢饉になり、隣国に援助を求めたら、卑怯にもこれ幸いと攻め込んできた。 何とか撃退すると今度はその隣国が飢饉になった。さあ今度はこちらが攻める番だと いきまく秦の穆公を、苦労人の重臣・百里渓が諌め、援助を進言した・・・「なるほ ど、憎い相手にあえて徳を施し、国際社会の信頼を得るのじゃな」と納得する穆公 に、「いいえ、気の毒だから援助するのです。災害はお互い様で敵味方関係ありませ ん」と百里渓がいったという話。昔の中国には偉い人がいたものである。

古代中国にはほかにも非攻を唱えた墨テキといった面白い人物が出ている。「非攻」 思想なんて、いまだに戦争をやめたくともやめられない現代の国際社会も大いに参考 にすべき思想だと思うのだが。

2008年5月15日

「成増・80年代・春合宿前後・その他よしなしごと」

4・5月と会社の工場の引越しがあり、またしても大忙し。更新の暇が無く小ネタばかりなので以下連記。
本社工場が成増を去ることになった。成増・・・僕にとっては神保町ほどではないが思い出深い街である。初めての一人暮らしもここであった。
僕にとってこの町のファーストインプレッションは必ずしもよくなかった。一人暮らしをはじめたその日に、家電製品を買おうと用意した大枚20万近い現金入り財布を盗まれてしまったのである。(正確には公衆電話に財布を置き忘れたのを持ってかれた)その後、僕は新入社員でありながら初給料日までもらい物で極貧の生活をすることになった。
夏になると、僕の住んでいた場所は周りに学生や独身者のアパートが多いせいか治安が悪かった。夜パトカーのランプで目を覚ますと、窓のすぐ下に止まっていて、今つかまった侵入犯への尋問が「警察24時間」そのままに聞けたこともある。深夜の成増駅で相撲部同士の乱闘にまきこまれた事もある。
しかしフォローすると、飲食店はたくさんあって、食事には困らなかった。成増駅南口の「どん」の焼肉丼はB級グルメの知るひとぞ知る名品なので一度お試しあれ。基本的に立ち食いそばの店で、だしは僕好みの真っ黒い濃い口の純関東風。

月曜やっているスマップのスペシャル番組で、80年代バンドの雄、バービーボーイズが一曲だけ再結成・演奏した。このたはごとでも何度か書いているが、バービーは僕の神様である。とくにいまみちともたかのギターが無かったらギターを弾き続けようとは思わなかったろう。解散後17年目にして一夜限り再結成したのだが、感無量であった。引きの画像でぱっと見て「変わってないな」と思った。特に杏子はアップにならない限り昔とさほど変わらない。コンタは結構・・・変わっていた。それでもこの年齢にしては奇跡的に若い。あの独特の声も健在。張りがやっぱり落ちたか・・・でも味がある。
イマサのギターの音はぜんぜん変わっていない。小磯もエンリケも外見はともかく音はぜんぜん変わっていない。すごいことだ。胸が熱くなった。
しかし曲が「女ぎつね・・・」というのはデビュー当時からのファンはちょっと欲求不満だろう。できればマイナーだった初期・中期の名曲をお願いしたかった。「負けるもんか」とか「なんだったんだ7Days」とか。
それにしても今年の企画がBackto80'Sだから言うのではないが、今本当に80年代がキテる。洋楽でも邦楽でもだ。やはり今の厳しい時代、底抜けに明るく、みんなハッピーだった80年代が渇仰されているのか。


今年の連休は思い切って9連休としてしまった。去年の9月からほとんど有休を取っていなかったのだからこれくらいはいいだろうと自分に言い聞かせる。
家内と音楽寺にいったり羊山公園に行ったり、近場の定番秩父でいろいろと楽しむ。海外に行く人から見れば涙が出るほどつつましい連休である。
音楽寺というのは秩父の巡礼寺である。その名にもかかわらず音楽とは何の関係も無いらしいが、やはり音楽関係の願掛けで有名な場所で、コンクール入選やらヒット祈願やら、絵馬ならぬチラシやポスターが大量に貼ってあり、それを見ていくのもなかなか楽しい。何年か前、なぜかバッカスのチラシが貼ってあったことがあり驚いた。どこのどなたが貼ってくださったのか・・・ここ数年、いつの間にか1年の音楽活動の報告とかコンサートの成功の祈願をする習慣ができてしまった。禊を除けば無宗教の自分にして唯一の神頼みの場である。

その後数日は練習したり釣りに行ったり実家に帰ったりして楽しむ。実家で新しく猫を飼っていて、これがすごい人見知りなのだが、尻尾の付け根(背側)を刺激するというわが秘術を駆使し(おためしあれ)、だいぶなついたところで明日は合宿・・・。

合宿は今年も岩井である。初日からかなりよい陽気であった。
「BackTO80'S」をおひろめ。みなリズムでてこずっているが、基本的には必ずどこかで聴いている曲だ。「SWINGIN'THE Mandolin」のときのような、「これできるの?」的ヤバさは無い。
またいつか詳細に種明かしするが、思ったよりメロディが浮き立たなくて何がなんだかわからない曲もあるし、テンポが乗らないとかたちにならない曲もある。しかし、そのうちの何曲かは初見にもかかわらず非常にいい出来であった。これは楽しみである。ご期待あれ。
シリウスは相変わらず難しいが、オリジナル版のギターの譜面の音をとってみたら、合奏用のギターパートの5倍くらい難しかった・・・。これくらいで難しいと言ってはいけないのである。
くるみ割りは非常に念入りに出来た。小序曲はやはり難しい!しかし課題だけは発見。アラブなんかはかなりよい出来。どの舞曲も2.3歩前進したが、中でもワルツが大躍進。とくに中間部のフルートと、低音部のあのメロディは、本番4ヶ月前にして天国的な出来である。これも本当に楽しんで弾ける・聴ける曲。
交響的前奏曲は、もしかしたら吉水さんの作品で一番深い深い曲。すごい名曲の予感。やればやるほど発見がある。
華燭はおなじみ。マネンテは本当に安らぐ・・・。
一日目から宴会。珍しく僕も参加する。なかなか楽しめた。2日目の名物行事「禊」はついに僕は引退!今年は若人に任せた。写真が出ると思うが、なかなかいい走りっぷりだが、海に入ってから歩いてしまった。甘い!三浦半島まで走るつもりで海を駆け抜けるのが禊だ。
終わったあとの男女混合ビーチドッジボールがとても楽しかった。
2日目夜の最高のテンションによる合奏。合宿で一番厳粛で心地よい緊張感に浸れる時間だ。この時間は本当に団員の気持ちがひとつになっているのがわかる。目の光が違う。もっとも、この後打ち上げだという期待感や開放感に由来するのかもしれないが。したがって打ち上げ本番は最高の楽しみである。わが団の美点として、打ち上げでしかつめらしい論議なんてものはしない。全員が気さくに酔い騒ぐ、まことに底抜けに明るい打ち上げであった。この日僕はちょっと疲れて2時半に就寝。
翌朝、録音もかねて通し練習。合宿後の練習への課題を確認しつつ、3日間の日程を終了。今年は全体に余裕があり楽しい合宿であった。また、合宿では若手の台頭も著しく、毎年つぎつぎ若い方が参加してくれるのがうれしい。ともあれ、合宿係さん、川金のおかみさん、ありがとうございます。
ああ、今年もこんなに楽しく、事故も無く合宿が出来た。みながそれぞれ忙しくなる中、いつまでこんな事が出来るだろう。これを当たり前と思ってはいけない。気の合う大勢の仲間とこんなことが出来るのは本当はとてつもなく奇跡的に幸せなのだ。
自戒の念をおぼえつつ帰宅。
春合宿が終わった。

2008年4月4日

Back to 80's!!

企画曲の「BACKTO80'S~80'Sへの帰還~」まだ完成してはいないけど、ソフトへの入力は7割がた終わり、一応頭の中では全曲とおったので、なんとか形になった。10分弱くらい。
今回なぜ、80年代なのか・・・単なる自分の好みといわれればそれまでだが、それならこれまでの15年でとっくにやったはず。機運はここ1・2年の80年代ブームにある。人々が音楽を使い捨てにする事のむなしさに気がつき始めたのであろう。
「昔はよかった」というつもりはない。ただ、少しだけ立ち止まって、時代を超えて愛され続けていくものに思いをはせてほしいのだ。

今年は正直行き詰った。去年の「はげ山はホラーパニック」が構想から選曲・着手・完成まで一気呵成で、作っている最中も迷いも悩みもなかったことを考えると、今年はかなり生みの苦しみがあった。
平日も土日も編曲の時間がとれず、入力はむしろ奇跡的なハイペースだったが、今回は僕にとってはテーマが広すぎ、深すぎ、重すぎた。80年代洋楽は僕のルーツなのである。その分、頭の中で選曲し・構想している時間がいつもの3倍くらいあった。

誰もが楽しめるメドレーにするため、選曲にあたってあえて自分の好みをすべて排除した。団員からも意見を募集してもちろん大いに参考にさせてもらった。
ヒットチャートの上位で当時一世を風靡し、誰が聞いてもまさに80年代を感じる曲、しかも音楽的に自分の好みにあい、マンドオケの音色にあうと思う曲をセレクトした。

去年のホラーパニックのように、合間や裏に日本の80’POPSが顔を出すような(バナナラマの裏でCCBが流れるような)コミックメドレーの軽いノリで考えていた時期もあったのだが、編曲をすすめ、名曲たちと真剣に向き合うにつれ、自然にメロディとノリと流れを重視した洋楽純正100%の正統派メドレースタイルになった。
コミック的な見せ場は少ないが、とにかくメロディパートのメリハリのある切り替え、リズムのノリのよさで勝負することになりそうである。

試行錯誤の果てに出来上がってみると、80年代のエッセンスが凝縮され、自分の中では一曲一曲に涙ぐみたくなるほどの宝物のようなメドレーとなった。

バッカスの団員は同世代も多いのだが、最近は半分以上80年代うまれじゃないだろうか。いわば大多数がリアルタイムではない世代だが、それでもこのメドレーを楽しんでもらえるとうれしい。世代を超えてこの思いを共有したいものである。

企画曲を作ってこんな真摯な気持ちになったのは初めてかもしれない・・・

2008年2月26日

初練習まで待てない!!

初練習のシーズンが近づくと、指揮者とTOPのみによる練習が行われる。
全員参加の初練習の前に譜面合わせも兼ね、TOPは曲の全貌をつかみ、指揮者は曲の進め方・引っかかるところを大体つかんでおくことが出来る。
例年、曲によって雰囲気が暗くなったり(難しくて)、明るくなったりするが、今年はわいわい騒ぎながら結構楽しく出来た。

1曲目はシリウス。80人近い団体で!?・・・と思われる方もいようが、これもまた牛刀で鶏を裂くということでアリである。
小川君はメソドをマスターしているので、大人数でも整然と合わせてくれるであろう。

2曲目は吉水先生の交響的前奏曲。最新曲である。むちゃくちゃかっこいい!大注。今回は吉水先生にフルートパートを加筆していただいた。この曲は手ごわいが今回のコンサートの目になりそうである。

3曲目は華燭の祭典。僕にとっては本当に大好きで懐かしい曲である。マネンテはSINFONIA、国境、アゾレス、瞑想、マン芸あたりが好きであるが、華燭は華やかさで一番である。特に2楽章はマンド関係者にとっては披露宴で演奏したい曲上位ではないだろうか?
今年は結婚する団員が多いということで選曲されたといううわさもある。振るのはやはり新婚の小川君。

そして僕が指揮するのは2部のバレエ組曲「くるみ割り人形」。
バレエ組曲なのでおなじみの曲ばかりである。
展覧会に比べればもちろんメカニックは楽ではあるが、どの曲も誰もが知っている曲だけに、余裕を持って美しく演奏しなければいけない。
今回はメロディを軸に自由自在に歌える音楽を目指すつもり。メロディとリズムが他人行儀になることなく、テンポから解放された音楽が表現できるよう挑戦するつもり。

この前に企画曲が入る。実はもうほぼ決定した。今年は去年以上に楽しくにぎやかなステージになるであろう!でもまだ秘密。
今年は楽しそう。初練習まで待てない気分である。

今年の選曲は、久しぶりに復帰できそうな団友さん、あるいは社会人団体というものを見学してみたい方、(学生さんは参加費無料!新人さんは社会人でも半額!こんな団体は他に無いと思う)常連にも新人さんにも気軽にとりくみやすい選曲といえよう。

さあ、3/1は砂町文化センターに全員集合!

2008年2月14日

you might be・・・

なぜか今頃、かなり昔に卒業した大学から小包が届いた。開けてみると17年前の社会教育実習記録(日報・レポート)が入っていた。
大学3年、僕は地元の公民館で社会教育主事資格を目指し2週間社会教育実習をしていたのである。実習そのものは楽しかったし有意義だったが、思うところがあって試験を受けなかったので、実習の日報を大学に提出したまま預けっぱなしにしていた。その後保管期間が過ぎたので送り返されたらしい。

小学生のような拙い字が鉛筆でびっしり書き込まれていて、物怖じせず率直に実習の経過と感想が書かれている。これを読みながら実は不思議な偶然に驚いていた。ここ1ヶ月、それまで17年間忘れていたこの2週間の実習の日々を思い出すことがなぜか多かった。深夜に妙に鮮明に思い出し眠れなくなったこともある。
そんなときにこのレポートが届いたのでなんとも感に耐えず、全部読み終わると胸がいっぱいになり、親切だった人々に思いをはせた。寡黙でやさしかった館長さん、一日中チャゲ&飛鳥をかけまくる愉快な嘱託のおばさんたち、今どうしているんだろうか。

実習は楽しかったし、市民の音楽活動や郷土の歴史に携わる仕事なのだから、自分に向いていただろうに、なぜ資格を取らなかったのだろう。今となってはその心境を思い出せないが、思えば当時は平成3年。バブル経済・就職売り手市場の絶頂期である。先輩たちはだれもが一流企業の内定を2.3個とり、研修旅行に海外に連れまわされていた。自分もできれば大手の出版社に入り、都会的な編集者になりたいと考えていた・・・。

しかし1年後、まるでマンガのようなオチで、バブル崩壊。僕たちの世代からきっかり就職氷河期となり、曲折を経て現在に至るわけである。
最近は厳しい不況の中、理不尽なほど多忙だし、組合の役員をやっている関係で組合争議も多くて疲れる。最近実習のことを思い出すのも、「あのときあの道に進んでいたらなぁ」と無意識のうちに当時の決断を後悔しているからなのかもしれない。

だが、決断したのも自分なら、今ここにいるのも自分である。別の道に進んでいたら今よりいい目にあっていたかもしれないが、それはあくまでも推量である。あの決断をしたから現在の友人に恵まれ、好きな音楽を続けられたのである。
大好きなNik kershawの曲に「You might」というのがある。mightはMayの過去形だから、You might be(=have been)・・・といえば「君はは・・・だったかもしれない」との意。
僕の場合、You might be 社会教育主事orヤンエグ編集者or作曲家orアイドル。だけど歌の通りやっぱり自分は現在の自分でしかないのである。
もしかするとこの小包は、最近なにかと迷いがちな僕を励ますために17年間かけてたどり着いたのかもしれない。

2008年2月5日

スローミュージックを目指そう・・・

マク○ナルド店長の残業不払い問題も大変だが、ちょっと前のペッパー○ンチ、吉○家ギガ盛り、ケン○ッキーのゴキブリ騒動など、外食産業の労働環境に問題が多い。
僕も高校生の頃ケンタ○キーで厨房のバイトをしたことがある。いまでもケン○ッキーに行くと、出てくるチキンの部位と処理の仕方、揚げ方にチェックを入れてしまう。
そこのお店は裏に一歩はいると店長とマネージャーが怒鳴りあいの喧嘩していて怖かった。ドス黒い男女の人間関係が渦巻いていて、まだ純真だった僕はそういう店の雰囲気になじめずに半年でやめてしまった。今思えば貴重な高校時代の一時期を、たかが知れた自給と引き換えにしてしまった。

さて、年明けから再生紙偽装問題でわが業界は騒然とした。製紙会社の立場にもいろいろ事情があるのだが、言語道断だろう。
そして今度は大豆油インキの偽装。紙とインキが偽装ではわが業界はもう大混乱である。
そしてもちろん農薬餃子問題。騒ぎがここまで大きくなれば、このショックで日本の外食産業は曲がり角を迎えるかもしれない。
一昨年の耐震強度偽装に始まって、これはどうしたことだろう。偽装までしてコストダウンした恩恵は僕ら庶民にまったく還元されてはいない。その利益はどこへ行ってしまったのか。株主か外国の投資家か?
今の時代、本物がどれかわからなくなっている。われわれアマチュア音楽家だけは、最初からコストは度外視している(というか持ち出しである)のだから、ひたすら偽りの無い手作りの音楽を作っていきたいものである。

そのあいまいな意味合いはともかくスロー○○という言葉が出来て久しいが、スローミュージックもしくはスローコンサートというものがあってもよい。ひと昔前は楽譜ソフトもなければメールもHPもなかった。団員募集や練習日程を口コミや連絡網でやっていた時期があったのだ。

だから昔に戻せというわけではないが、なにかやはり今はすべてがせわしなく、みんながどこかで無理をしている気がする・・・。

2008年1月28日

インフルエンザと裏バカ

またも久しぶりの更新。このブログの存在が忘れ去られそうだ!
ここで書くことではないが本業のほうが大転換期で、毎日が飛ぶように過ぎていくのである。

年始は珍しいことだが高熱で夫婦ともども4日間寝込んでしまった。病院でインフルエンザと判定され、タミフルを投薬されそうになったのだが、服用による異常行動を起こす事もある旨、誓約書を書かされそうになった。うちの場合、夫婦ともに異常行動を起こしてもとめる人がいないのでタミフルの服用をやめたのであるが、後から聴いたら大人は普通に服用しているらしい。
とにかくそんなこんなでインフルエンザは長引き、仕事始めはふらふらしながら会社に行った。家内はこのインフルエンザのせいでTVの仕事を一本逃してしまった。

年明けも忙しく、音楽活動は出来なかった。バレエ組曲「くるみ割り人形」の譜面を入手して配布したぐらいである。
そう、バッカス18のメインはついに「くるみ割り人形」。究極のポピュラークラシックである。あの難曲・展覧会全曲の年のあとであり、ちょっと「ほっとした」感があるがどうであろう。いやいや、チャイコフスキーだから体力は使うし、小序曲をはじめテクニックがいる。ただ、メロディはお馴染みなので覚え易いだろう。今回はメロディを軸に「歌うマンドリン」「弾むマンドリン」「ささやくマンドリン」て感じで、メルヘンの世界に奥深く作りこんでいきたい。
編曲は小穴さんの原曲に忠実かつMOの魅力を最大限に引き出した既存の名編曲があるので、演奏許可をお願いし快諾をいただいた。この曲を作りこんでいく経過はまたこのブログで実況する事になるだろう。
ほかにも今回はO君が振る1部に面白い曲があるのだがおいおい紹介したい。

そして1月も末に近づくと裏バカ(部内演)の季節である。じつは去年からマンドリンソロで出場している。今年は完全にいろもの・ウケ狙い枠に徹し、曲目は「マンドリンソロのためのラプソディ~チョットだけよ」と「エロカワ☆学園ヒットメドレー」の2曲である。どういう曲かはタイトルでご想像願いたい・・・。
今回は客席との掛け合いもあり、聴衆のみなさんもあきれながらも付き合ってくださった。拍手がことのほかうれしかった。

それにしても前日38歳の誕生日を迎えたというのに「海○隊(ユニット名・自主規制)で~す!」と絶叫する自分をわれながら気に入っているし、あやしげな秘術を尽くして聴衆の皆さんに楽しんでもらうことに喜びを感じる。貧乏暇無しであるが、好きなことをこんなに思いっきりやっている・・・これはこれで幸せだ。
これは出場した皆さんも同じであろう。実際、今年の裏バカはかなり「聴かせ」た。
沖縄特集、ボッケリーニのギター五重奏、フルート二重奏のカルメン、オリジナルピアノ曲、フルートとギター二重奏でブエノスアイレス、同期生アンサンブルによるオリジナル曲演奏、その他のユニットも何かしら心打たれて聞き入ってしまう快演ばかりであった。

新人さんもたくさん見に来てくれた。3月1日、これに懲りずにまた全員集合したいものである。