2009年9月1日

騒魂序曲「2009年」~本番セルフレヴュー~

いよいよ本番である!

本番の数日前、不吉なニュースが流れた。どこぞの合唱コンクールが新型インフルエンザを警戒して観客無しで行われたというのだ。このニュースを見たお客さんに過剰反応がおこり、集客に影響が出たら・・・。去年は暴風雨、今年は疫病。天は我々を見放したか。

前日はあまり緊張もせずに良く寝れた。当日かつしかに9時半集合、セッティングを始める。去年このホールは経験済みであるからスムーズに進行、1部からの練習となる。やはり今年も、マンドリンの音は大変きれいに鳴っている。ドラ・チェロが、練習時に比べると少し寂しいか。ギターとベースは、ややこもって、輪郭がはっきりしない傾向。菅と打楽器は今年も柔らかく鳴り、バランスはいい。僕は客席で聞きながらアドバイス、調整していく。舞台上では天井も高いしほとんど他のパートの音が聞こえないようだ。縦の線はあいづらい。

僕の練習の番。音の響きはとてもきれいだが、速いテンポのときは指揮棒より少し遅れて音がついてくるような気がしてならない。それを何とか棒で引っ張りあげようとつい手首を使ってしまい、もっとあわなくなり、気力・体力のロスが激しい。菅パートや打楽器からはむしろ走って聞こえるとのことで、頭を抱えたくなる。やはり耳に頼ってはいけない。あくまで棒を見る訓練を普段からすべきなのだ。わかっているはずなのに毎年このくり返しである・・。 しかし、奏者のノリはよく、音色・音量は申し分ない。ギターベースも、弾き方や向き・位置を変えて改善された。あとは本番の集中力があれば、何とかなるとたかをくくる。

あとはお弁当を食べたり、Sさんと馬鹿話をして緊張をほぐしたりして楽屋で過ごす。演奏会の各係りが非常に機能的に動いているので、トラブルもなく、全て順調、僕は音楽に専念できた。リハの合間に遊びに来てくれるOBたちと雑談しながらも、いつの間にか開場時間。やっとこみあげてきた緊張とともに本ベルに誘導され入場。インフルエンザによる客足の心配は・・・全く杞憂に終わった。 いつもどおりの大勢のお客さんが客席に。でも今年は立ち見がいない、と思ったら、今年は2階を開けたので、そこにお客様が結構入っていたのだった。無論お客様数は去年より多い。よかった!


さて、曲を追っていこう。

ザンパ
本番では快速、迫力、素直にかっこよいアンサンブルとなった。リハであれだけ苦心した縦の線もしっかりあった。お客さんが入ると何か音響的に効果があるのか?それとも、本番のアドレナリンが奏者の感覚と集中力を高めるのか不思議。ギターアンサンブル、無難に終わったがライトの熱のせいかナイロン弦が少しくるってしまった。

プレリュード3
やっぱり名曲。プレ2のほうがメジャーだが、この曲はさらに大人向け・通好みといえる。序曲から始まりふたもち、EXト、3ディメ、プレ2、交響的、と合奏曲のメジャーどころはほとんど演奏させていただいたが、吉水先生の曲はやはりいい。100年後もマンドリンオーケストラがあったとしたら、吉水作品群は必ず演奏されているであろう。

東洋の印象(2)
大好きな曲であり、安心して演奏できる曲である。1楽章の冒頭にうっとりする。トレモロ中心の2楽章はこのホールの特性にぴったりである。3楽章もリハとは打って変わって、音の粒がそろった。もう少し圧倒的なフィナーレ感がほしかったか。でもお客さんには一番聞きやすい曲だったろう。 総じて1部は完成度が高い演奏であったと思う。

そどれみ☆ラプソディ
最初にYASUKOさんが鉄琴を使ってソドレミの音を鳴らし、曲も弾いてお客さんのモチベーションを上げてくれた。かなりマニアックなメドレーであったが、演奏者も面白がってくれたし、ここ数年の企画のなかでは演奏のレベルも非常に高かった。終わった後浴びた拍手の音量と勢いで、お客さんを絶対飽きさせない、という企画の目的を達成できたと思えた。

1812年
毎年トリ曲には思い入れがたっぷり出来るのであるが、かつてバッカスの運命を変えた曲だけに、かなり特別な気持ちで本番を迎えた。

冒頭のコラールの部分、時々指揮者と奏者の間に見えない壁を感じていた。それは半年間本音を言い合い、合宿では同じ釜の飯を食い、取っ組み合うように合奏をやってきても、それでもまだお互いに遠慮とか不信とか虚栄が介在していたのである。この日僕はついにリハで「裸でぶつかってきてくれ」と言ってしまった。と同時に気付いた。未練がましく本心を隠していたのは自分もであったと。

本番では心から裸になり一心に音楽のことだけを考えた。そしてこの冒頭のコラールが曲全体を決したようだ。この本気のコラールに呼応するように、マンドリンの刻み、クラの嘆き、低音のとどろき、最も難関のアレグロはボロジノの戦いの緊張感を余すところ無く表現していたし、リハで危惧したバラつきは無く、オケとパーカッションのツボが全てキマった。
ボロジノ民謡は本当に美しかった。そして、パルチザンが復活し、ロシアが大逆転するあの部分の楽しさといったら・・・。血沸き肉踊るという慣例句では表現しきれない。勝利の大合唱、大行進。大砲と鐘の乱打。大胆で強い気持ちで最後のユニゾンを思うざま鳴らすことができた。フライング拍手とブラボー! なんともうれしく、心から奏者をたたえたくなった。奏者を立たせ、全くやむ気配のないうれしい拍手の中、2回ほど出入りしてアンコール。

ディスコモスクワ
今回、アンコールはMJの「BAD」か、ジンギスカンの「目指せモスクワ」のどちらかに決まりかけていた。が、7月の競演2009でこの曲を聞いたとき、運命は決まったのである。 ご挨拶を少しした後、思いっきり砕けてラフに。80人全員がノリノリでスタート。この曲は夏合宿で「ノリノリ以外禁止令」が発布されており、一人でもノリノリでない場合はほんとに合奏中止なのである。パーカッションさんも大盛り上がり(Hさんが一番乗っていたという)で、中間部は全員楽器を回す回す。最後には聞いてない大人数のタオル回しまで現れ、シモンボリバルにはまだ及びもつかないが、なかなか壮観であった。

いよいよ大きな拍手をいただいて何度か出入りさせていただいているうちに、また僕の悪い癖が。どうしてももう一曲やらずにいられないのだ。全くのぶっつけ、タオル回しへのお返しである。東洋の第3楽章でも良かったのだが、譜面が無いと困るので、「そどれみ」の「シャボン玉」から。奏者もアクシデントに慣れっこな顔なので、いたずらをしたくなり、最後のロッシーニをすごい速さにしてやったら、みんな目を白黒させ、それでも弾ききっていた。これぞバッカスである。お客さんも喜んでくれたと思う。

いつまでもつづく暖かい拍手の中、最後のお辞儀をして退場した。 こうして今年も楽しい時間が過ぎた。 本当に演奏会は最高である。お客さん、そしてご協力いただいた皆さんに心から感謝したい。演奏会後ご来場くださったお客さんにご挨拶する、ここでもいろいろな出会いがあった。

タクシーで打ち上げ会場に向かい、盛大な打ち上げ開始。この日、意外にも指揮者の挨拶が最初に来てしまい、突然振られたので、とにかくすごく良かった、皆さんの演奏が好きだ、というようなことしかいえなかった。本当はもっと一曲一曲語りたかったのだが・・・。 ともあれ、こうして演奏会を開けることは幸せである。体力気力・本業・家庭の事情・みんなの堪忍袋・・・・これらが続くうちは、こうやってギターを弾いたり棒切れを振り回していたい・・・。

今年の打ち上げはTOPへの着ぐるみプレゼントはあまり無かったが、それでも海賊(ザンパ)ナポレオン(帽子だけ)さまざまな体格のロシア娘、などが会場を徘徊していた。宴は果てしなく続き、歓声は旅館中にこだましたのであった。僕は翌日、群馬で朝から練習があり、2時頃には一人寝室に戻った。

翌早朝、眠りこけている連中を起こさないように、そっと旅館の玄関を出ると、空は高く澄んでもうさわやかな秋風がふいていた。例年にぎやかに帰る道を一人歩いていると、夕べの思い出とともに来年度のとてつもない20回記念コンサートへの決意がこみ上げてきた。
こうしてバッカスマンドリーノの半年間に渡る死闘と勝利を描いた騒魂なる序曲「2009年」は秋風とともに終わったのであった。