2009年8月19日

1812リットルの汗と涙と汁と

1812年であるが、いよいよ佳境に入ってきたので、曲のモチーフと史実についてすこし。

日本で言えば徳川家康の頃まで、ロシアはタタール(モンゴル人の末裔)に支配されていた。モスクワ大公イワン3世によって開放されたものの、ロシアはヨーロッパとは言いがたいほどに後進的で、ピョートル大帝によって急激な西欧化を果たし、有名なエカテリーナ2世によって東欧最大の強国に成り上がるが、農奴制という前近代的なシステムを固持していた。

そして18世紀末、革命後、周辺から袋叩きにあった瀕死のフランスから、一人の英雄が現れる。ナポレオンである。常識を超えた移動の速さ、効率的な大砲の運用、必要な時と場所に兵力を集中する緻密な作戦能力であっという間に全ヨーロッパを席巻する。 しかし調子に乗って皇帝になった頃から雲行きが怪しくなる。大陸封鎖令に従わないロシアに宣戦布告、同盟国を合わせて60万でポーランドから侵攻。時は1812年6月、ロシアの初夏は南国の兵たちが震え上がるほど涼しかったという。

最初のコラール、ロシア正教の聖歌。これは、リムスキー=コルサコフのロシアの復活祭でも冒頭に出てくるが、ロシアの精神文化にとってこの東方教会の存在ほど大きいものはない。数あるキリスト教の分派の中でも、飛び切り荘厳・重厚な様式は、ロシア皇室の神権的絶対君主制と結びついて、ロシアの風土に深く根ざしている。 ロシア皇帝アレクサンドルは、全ロシアの正教会にフランスの調伏・ロシアの勝利を祈らせたというから、ロシア各地でこの曲の冒頭のような光景が見られたに違いない。人々の不安と絶望と嘆きのコラールの中から一筋の光のように一節の聖句がひびく。「神は必ず皇帝を守りたもう」ここから人々の気持ちがナポレオンとの対決に決然と向かっていく。

この曲の秀逸な点は、臨場感あふれる戦闘描写だと思う。ナポレオンの頃の戦争を描いた絵を見ると、広々とした丘陵などで、色とりどりの派手な軍服に身を包んだ兵士たちが、規則正しく隊列を組んで向かい合っている。戦場にはところどころに砲煙がたちこめているが、入り乱れて戦うというよりも、指揮官により規律正しく進退している感じである。この頃すでに中世的な個人的武勇は不要となり、大砲などの重火力を中心に、兵士を分散・集中・移動させることで敵の退路を断ち、打撃を与え、戦意を失わせる、という近代戦争の形式が出来上がっている。

そういえばこの時代の小銃はまだ先込め式の単発銃が中心である。一発撃ったら、次弾の装填にとてつもなく時間がかかるので、どちらが先に撃つか・・・その駆け引きのスリルは、かなりのものだったろう。あせって先に射程外で撃ってしまえば、あとは敵の弾を待つしかない。この恐怖とあせりをアレグロ・ギストの切迫感が見事にあらわしている。 馬蹄のとどろき、銃剣のひらめき、吹き上がる砲煙をよくもこれだけ音符でリアルに表現できたものである。やがて高らかに響くラ・マルセーズ。無論ナポレオンの凱歌である。

ラ・マルセーズはナポレオンの時代にはフランスの国歌に制定されていなかったが、颯爽としたヨーロッパ最強のナポレオン軍を現すのにはぴったりである。 このマルセーズと後に出てくる泥臭いロシア国歌との対比が面白い。 ナポレオン軍はとにかくヨーロッパ最強・最先端で洗練されている。その制服は世界の服飾史上、この上なく華麗で豪華で粋である。 何よりも規律とスピードを愛し、道路の右側通行を考案している。兵站を重視し、缶詰や瓶詰めを発明した。偵察のため気球すら研究している。彼が考案した腕木通信(人の腕のような標識をいろいろな形に曲げ、望遠鏡でそれを真似し情報を逓伝していく)は無線が発明されるまで最速の通信手段であった。

砲煙を潜り抜けてこの上なくかっこよく鳴り響くトランペットの響き。フランスにあこがれていたチャイコフスキーだけあって、敵方であるナポレオンにも敬意を抱いているのが良くわかる。 激闘の末ナポレオンがモスクワに入ったのは9月。占領してみればそこはもぬけの殻であった。住民が軍の厳命により、一人残らず避難していたのである。これは無論、住民の安全を図るというより、住民が占領軍に食事や宿泊施設を提供することを嫌ったのである。国民にそんなことを強制できるのは、皇帝が神に近い権力を持つロシアならではの戦術である。

その後、モスクワはロシア側によって放火される。モスクワは全焼。ロシアの恐ろしい冬を前にナポレオンは宿舎はもちろん持ち込んだ食料さえも失った。 自信家のナポレオンはモスクワにまで攻め込めば、アレクサンドルは講和に応ずると見ていた。しかし、ナポレオンの苦境を読みきっているアレクサンドルは高飛車な講和条件をはねつける。 11月、大地が凍り始め、日に日に食料不足と寒さに少なくなるナポレオン軍の背後でパルチザンとなった民衆がひそかにうごめき始める。

このくだりは音楽で見事に再現されている。 凍っていく大地をあらわすティンパニのかすかなロール。虚勢を張るがどこかうつろなナポレオンのマルセーズ。その背後で跳ね回る絃のロシアの民衆(パルチザン)を現すテーマ。 そしてこれはキリストの「復活」を非常に重視する正教の精神とも通じる。復活というキーワードにはロシア人の死生観が良くあらわれている。 ここからは一気呵成だ。有名な長い長い分散和音。これはどんどんritしてくるが、勢いを失うナポレオン、逆に人数と重みを増していくロシア勢、という対比を見事に表している。

また、思うに悪名高いロシアの悪路のぬかるみをイメージしているような気もする。かつて、ローマ帝国がわざわざ石畳の軍用道路を作ったことでもわかるように、ヨーロッパの柔らかい大地に出来た道は非常にもろい。一日に何万もの兵士、馬車が通れば、道はでこぼこでぬかるみの溝のようになってしまったという。道が悪いことで有名なロシアはなおさらだ。 こんな道路を敗走していくナポレオン軍は最悪の状態だったろう。 飢えと寒さと疲れとぬかるみに足をとられる兵士たちを、地元の農民たちが次々に捕らえて処刑したという。

この当時戦利品を兵から買い取り、運ぶために商人たちが多数軍隊に従っていたが、彼らは積み込んだ財宝を惜しみ、乗せていた負傷兵を捨てて逃げた。かくして60万人のナポレオン軍で無事戻ったのは5000人。 ロシア軍も一方的に勝ったわけではない。ナポレオン軍と同等の戦死者を出したというし、戦闘地域や通過地域の農民の死者はそれをはるかに上回ったという。両軍および一般民衆合わせて数百万人単位というのだから、近代の大量殺戮戦争の走りだったのだ・・・。

その悲惨な戦争から70年後・・・ある楽譜出版社から「こんどの産業博覧会で大衆ウケしそうな派手な序曲をなにかかいてくれない?」と持ちかけられて激怒したチャイコフスキーだったのだが、その割には大昔に起きた戦争を良く取材し、忠実に再現したものだと思う。たった2週間で書き上げられたわかりやすい描写音楽だが、少しもチャイコの芸術性を失っていないのはさすがである。

さて、バッカスの1812年・・・14年前と変わったところ。 まず編曲が小穴さんなのでマンドリンオケではこれ以上のものはないであろう。メンバーも大きく入れ替わりほとんど全て第3世代以降の若い人たち。前回の1812を経験している人は10名いるかいないか。 一番変わったのは・・・たぶん僕の棒だろう。前回よりも20倍くらいにましになっていると自負しているのだが。 しかし、2度目でも手ごわいものは手ごわい・・・。合宿では相当根を詰めた。数年ぶりに「必死」である。今の気分はなんとか、冬の訪れが来るあの大逆転のあたりだろうか?