2008年7月11日

和光市を語る

ついに12年住んだ和光を離れることになった。手狭なのと家内の仕事のことを考え、隣の朝霞市に引っ越すことになったのである。
次に住むマンションはやや古いが、部屋がひとつ増え駅から5分である。これで遅くまで飲める!というものである。何しろ今の住まいは駅からバスか自転車で無くては帰れない。歩けば30分以上かかるだろう。10時以降はバスもなくなるのだ。

それにしても、僕は割に土地への執着が強く、実家のある鴻巣もいまだ大好きだし、ここ和光は12年住んだからほとんど第二の故郷である。近所には樹林公園や司法研修所・税務大学校・理化学研究所などの広々とした緑が多く、畑や雑木林も多く本当に好きだった。駅から遠いのがネックであるが、自転車通勤なので、朝の空気の中、緑のトンネルを抜けて坂を下っていくのは最高の爽快感があった。 駅といえば、有楽町線の始発駅でも有り、交通アクセスは奇跡的なほどよい。ウイキによると人口の増加はここ10年埼玉一だそうな。若い世代が多く明るくて活気に満ちている町である。

和光に住んだこの12年、僕も家内も多くの仲間を得て音楽を楽しみ、いろいろな機会をいただいてきた。人生には無くてはならなかった時間だろう。なんとも素敵な思い出の詰まったこの町を離れるに当たって、最後の何日かは思い出の場所を一つ一つ尋ねたい・・・なんてセンチメンタルな気分だったのだが、とんでもなかった。
そう、引越しの大変さ。特に我が家は楽譜の類がおそろしく多く、譜面・楽書だけで今のところダンボール10個を超えてもまだ半分くらいしか減らないので恐れおののいている。他の家財道具は一切手をつけられず・・・この引越し本当に終わるのか!? 12年間分、編曲の資料やら、購入したスコア、パート譜、自作のスコア。家内のソロ楽譜の膨大なコレクションなどCDまで含めると2トントラックをはみ出すんじゃないか?よくもこの狭いアパートに溜め込んだと思う。

それに整理していると、ついつい往時を思い出して楽譜に見入ってしまうのも引越しが進まない原因。どんな曲だっけと思わず楽器を取り出しそうになったりして。大昔のバッカスの思わぬ珍資料もぞくぞく。 来し方行く末についてはまた今度。和光についての思い出もまた書くこともあるだろう・・・。