はやくも2009年の総括になってしまった。今年もあまり更新できず・・・。11月に入り、家内はおなかが大きくなったのだが、四国・東京で宮武さんと弦楽アンサンブルとの演奏会。安定期とはいえちょっと心配になるのだが、以前にもまして容赦のない激弾きである。「奏でる」CDの「アンサンブル・ジョーコ」レコーディングもふうふう言いながら仕切っていたが、なんとピンチヒッターで、僕がドラを引き受けることになってしまった。
僕はドラが好きで10数年来趣味で弾いているが、ステージで本番に乗ったことが2回しかない。ドラに関してはバッカスだけでも、この僕なんか問題にならんすごい使い手がごろごろしている。いい楽器も持っていないし普通は辞退すべきであるが、スケジュール他もろもろの関係で時間がなかったのだ。 人生初のレコーディングは基本一発録りで、曲数も多く絶対間違えられない。ものすごいプレッシャーと緊張だが、何とか大きなミスも無く録りおえた。
後から録音を聞いておもったのは、レコーディングというものは、あとで録音物になってみると、自分がやったつもりの演奏効果が何分の一にしかなっていないことだ。音量とか、感情とか、歌とか。 録音とは、残酷なほどに「事実」しか拾ってくれない。他のメンバーは一流なので演奏そのものは本当に良いが僕のドラだけ物足りない演奏であった。 もう一度チャンスがあったら、この雪辱をして見せるのだが。もう無い気がする・・・。発売中。
バッカスマンドリーノの指揮者たちが日々の雑感などを徒然なるままに書き綴ります。マンドオケを中心とする音楽への飽くなき探求から、マニアックな趣味、果ては社会問題・現代世相まで何でもアリです。
2009年12月25日
2009年12月7日
声を出すこと
ある朝の通勤満員電車の中でのこと。 僕はドア付近に立っていたのだが、同じ側のひとつ向こうのドア付近で、貧血なのか、突然若い女性が青白い顔で座り込んでしまった。 すぐに誰かが席を譲るだろうと思ってみていたのだが、座り込んだ女性のまん前の2人、20代と30代のサラリーマンは携帯か何かいじって完全に無視である。周りの人も手を出そうか、どうしようか迷っている感じだが、誰も何もしようとしない・・・。
離れた場所の出来事ながら、僕は「席を譲ってあげてください」と声をかけようとした・・・。すると、女性からずいぶんはなれたところの若い男性が席を立ったが、手まねで「どうぞ・・・」という感じで、貧血の女性も座ろうかどうしようか迷っている。結局、人並みをかき分けるという大変な体力を使って女性は何とか座ることが出来た。
これらの事態が、驚くべきことに、満員電車の中にもかかわらず全くの沈黙の中で行われた。まるで能を見ているようであった。 (結局自分も何もいわなかったのであるが) いつか、やはり衆人環視の中で暴行を受けた乗務員の事件があった。責任の分散しやすい集団の中だからこそ、声が出ない。判る気はする。 考えてみればみながみな事なかれ主義でも、正義感がないわけでもあるまい。要するに集団の中では「自分がやらなくても」「孤立したくない」「誰かがやってくれるから」という心理になるのだろう。
集団の中で他人の存在を意識しすぎて「お見合い」をしてしまうという現象。 これは合奏にもあることで「だれかががやるから」誰もやらない、というのは寂しいものである。これが最も忌むべき「他の人が入ったのを聞いてから入る」につながってしまう。 また、指揮者からの提案や問いにこたえる声(まぜっかえしやつっこみはともかく)がないと、指揮者も奏者も集団でいながらどんどん孤独になってしまう。
最初に声(音)を出すことは勇気のいることではあるが、来期は20回記念でもあるし、もっとざっくばらんに活気付いてもいいかなとおもうのである。 また、多くのOB・OGさん、新人さんの参加をおまちしているが上記のような「お見合い」は無用である。
メンバーはみんな優しくて太っ腹なので、最初から常連気分で思いっきり楽しんでほしいのだ。 と、久しぶりの書き込みだけあってまとまりがなさすぎるが、小川君、おーむらくんによる新世界の編曲を楽しみに待ちつつ、20回記念シーズン開幕はもうそこまで来ているのである。 (今後はシーズンに入るのでこまめにアップしようとおもいます)
離れた場所の出来事ながら、僕は「席を譲ってあげてください」と声をかけようとした・・・。すると、女性からずいぶんはなれたところの若い男性が席を立ったが、手まねで「どうぞ・・・」という感じで、貧血の女性も座ろうかどうしようか迷っている。結局、人並みをかき分けるという大変な体力を使って女性は何とか座ることが出来た。
これらの事態が、驚くべきことに、満員電車の中にもかかわらず全くの沈黙の中で行われた。まるで能を見ているようであった。 (結局自分も何もいわなかったのであるが) いつか、やはり衆人環視の中で暴行を受けた乗務員の事件があった。責任の分散しやすい集団の中だからこそ、声が出ない。判る気はする。 考えてみればみながみな事なかれ主義でも、正義感がないわけでもあるまい。要するに集団の中では「自分がやらなくても」「孤立したくない」「誰かがやってくれるから」という心理になるのだろう。
集団の中で他人の存在を意識しすぎて「お見合い」をしてしまうという現象。 これは合奏にもあることで「だれかががやるから」誰もやらない、というのは寂しいものである。これが最も忌むべき「他の人が入ったのを聞いてから入る」につながってしまう。 また、指揮者からの提案や問いにこたえる声(まぜっかえしやつっこみはともかく)がないと、指揮者も奏者も集団でいながらどんどん孤独になってしまう。
最初に声(音)を出すことは勇気のいることではあるが、来期は20回記念でもあるし、もっとざっくばらんに活気付いてもいいかなとおもうのである。 また、多くのOB・OGさん、新人さんの参加をおまちしているが上記のような「お見合い」は無用である。
メンバーはみんな優しくて太っ腹なので、最初から常連気分で思いっきり楽しんでほしいのだ。 と、久しぶりの書き込みだけあってまとまりがなさすぎるが、小川君、おーむらくんによる新世界の編曲を楽しみに待ちつつ、20回記念シーズン開幕はもうそこまで来ているのである。 (今後はシーズンに入るのでこまめにアップしようとおもいます)
2009年10月30日
新しき世界へ
本番以後、本業やらイベントで手一杯でご無沙汰しておりました。またしても2ヶ月更新せず・・・。ごめんなさい。でも次シーズンは20回記念でスタートも2ヶ月以上早く、始動開始である。
本番終了後はやや虚脱状態であったが、9月末の家内との地方コンサートに向けて選曲と練習開始。今年は、熊蜂やナポリなど、結構きつい曲。おたのしみはみんな大好き、リロイ・アンダーソン特集で、ベルやらラッパやらゴムホーンなどのオチ楽器を駆使。タイプライターの「チン」が受けてた。もちろんギターで演奏しながらチンをするのは大変で、特殊な装置と練習が必要であった。
今年は続けて2箇所でコンサートしたが入りも上々、お客さんの反応も暖かい。去年しゃべりすぎたので今年はトークは軽めに。最近やっと人前でもまともにしゃべれるようになった。客席と心をひとつに出来た喜びを胸にささやかなコンサートツアーを終了。
10月にはいると本業が忙しくなり・・・。友人のコンサートにもなかなかいけず不義理を重ねてしまった。プライベートでも結構大きな事件があり、毎日が夢のように過ぎていく。
次回のトリはいわずと知れた「新世界」全曲。記念すべき20回に、これ以上ないほどの曲である。選曲カードにそれこそ10年以上上がってきたが「20回までとっておく」を合言葉に見送られてきた曲。
逆に言うとバッカスがもしも20回まで続いたら・・・まあ、夢のような話だけどそのときは・・・という曲であったからして、この曲が決定した時点で、我々はすでに勝利者であるといえる。
それにしても大好きなドヴォルザーク。学生の頃、一時期目覚ましにスラブ舞曲1番を使っていたっけ。ニッケル・錫の国チェコの作曲家らしく、金管の響きがすばらしい。弦楽セレナーデも繊細可憐で、一度聴いたら忘れられないメロディの宝庫。
ドヴォルザークへの愛は今後語るとして。それから最近決まった1部の曲、2部のメドレー傑作選は今年中にたっぷり紹介するとして。
ところでこのまえふとしたきっかけで映画「楢山節考」のDVDを借りて観てみた。いやあ、この映画・・・。濃い。濃すぎである。ある貧しい農村の陰惨な風習と生活・風俗を丹念に描いた、日本人の原体験的な重~い物語なのであるが、とにかく最初から最後まで衝撃の連続で鳥肌が立ちっぱなしである。これが我々の歩んできた厳かでどこか滑稽な生命の輪廻なのである。
緒方拳も坂本スミ子もすごいが、なかでも左とん平がじつにいい味を出してる!まあ、このブログは映画の感想を書くところではないのだが、いいたいことは、最近のうそだらけのきれいごとで何も起こらず何も訴えてこないあの映画やこの映画になれきっていた自分がいきなり殴りつけられたような気がしたのであった。
音楽だってそうである。僕は非常に仲間と機会・環境に恵まれて、やりたいことをやらせてもらい、やりつくしたあまり、いま、無欲・ことなかれ主義になっている気がする。
何かわけのわからない衝動に突き動かされ、汗を流して、体を張って訴えたいものがないなら、指揮者なんてやめたほうがいい。奏者もしかり。
新世界は久しぶりに「マンオケで出来るわけない」「どうせ擬似音楽~ギミックだろう」という逆境に僕を追い込んでくれそうである。
あと一年で何が出来るか・・・表現ということについてもっと考えてみたい。
本番終了後はやや虚脱状態であったが、9月末の家内との地方コンサートに向けて選曲と練習開始。今年は、熊蜂やナポリなど、結構きつい曲。おたのしみはみんな大好き、リロイ・アンダーソン特集で、ベルやらラッパやらゴムホーンなどのオチ楽器を駆使。タイプライターの「チン」が受けてた。もちろんギターで演奏しながらチンをするのは大変で、特殊な装置と練習が必要であった。
今年は続けて2箇所でコンサートしたが入りも上々、お客さんの反応も暖かい。去年しゃべりすぎたので今年はトークは軽めに。最近やっと人前でもまともにしゃべれるようになった。客席と心をひとつに出来た喜びを胸にささやかなコンサートツアーを終了。
10月にはいると本業が忙しくなり・・・。友人のコンサートにもなかなかいけず不義理を重ねてしまった。プライベートでも結構大きな事件があり、毎日が夢のように過ぎていく。
次回のトリはいわずと知れた「新世界」全曲。記念すべき20回に、これ以上ないほどの曲である。選曲カードにそれこそ10年以上上がってきたが「20回までとっておく」を合言葉に見送られてきた曲。
逆に言うとバッカスがもしも20回まで続いたら・・・まあ、夢のような話だけどそのときは・・・という曲であったからして、この曲が決定した時点で、我々はすでに勝利者であるといえる。
それにしても大好きなドヴォルザーク。学生の頃、一時期目覚ましにスラブ舞曲1番を使っていたっけ。ニッケル・錫の国チェコの作曲家らしく、金管の響きがすばらしい。弦楽セレナーデも繊細可憐で、一度聴いたら忘れられないメロディの宝庫。
ドヴォルザークへの愛は今後語るとして。それから最近決まった1部の曲、2部のメドレー傑作選は今年中にたっぷり紹介するとして。
ところでこのまえふとしたきっかけで映画「楢山節考」のDVDを借りて観てみた。いやあ、この映画・・・。濃い。濃すぎである。ある貧しい農村の陰惨な風習と生活・風俗を丹念に描いた、日本人の原体験的な重~い物語なのであるが、とにかく最初から最後まで衝撃の連続で鳥肌が立ちっぱなしである。これが我々の歩んできた厳かでどこか滑稽な生命の輪廻なのである。
緒方拳も坂本スミ子もすごいが、なかでも左とん平がじつにいい味を出してる!まあ、このブログは映画の感想を書くところではないのだが、いいたいことは、最近のうそだらけのきれいごとで何も起こらず何も訴えてこないあの映画やこの映画になれきっていた自分がいきなり殴りつけられたような気がしたのであった。
音楽だってそうである。僕は非常に仲間と機会・環境に恵まれて、やりたいことをやらせてもらい、やりつくしたあまり、いま、無欲・ことなかれ主義になっている気がする。
何かわけのわからない衝動に突き動かされ、汗を流して、体を張って訴えたいものがないなら、指揮者なんてやめたほうがいい。奏者もしかり。
新世界は久しぶりに「マンオケで出来るわけない」「どうせ擬似音楽~ギミックだろう」という逆境に僕を追い込んでくれそうである。
あと一年で何が出来るか・・・表現ということについてもっと考えてみたい。
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