2007年12月20日

再始動ですよ!

牛乳の大仕事が一段落したものの、貸金業の法律が変わるので、また猛烈な忙しさである。たはごとの存続が危うい。今回は生存確認のかきこみ。

毎日終電帰りだと思考能力は全くなくなるし、土日も仕事か地方に行っている状態で皆様には不義理を重ねている。11月は朔太郎授賞式の演奏が終わるや、バッカスの鋭鋒C君の結婚式。ここで、家内と演奏をさせていただく。K先生の前で緊張したが、チャールダーシュの「結婚式バージョン」を演奏した。ネタをばらすと、中間部のハーモニクスの部分がいつのまにかメンデルスゾーンの結婚行進曲に・・・ってやつである。

その翌日は前橋で高校総合文化祭のプレ大会。K女はどの学校よりもキレの有るMusicforplayを快演。上出来であった。いや上出来すぎて浮いていた。

深夜残業の息抜きは無論Youtube。小川範子、今見ると演技力がすごい。85年頃のスタンドバイミー・きまぐれ白書って覚えているだろうか。小川範子が反抗期の中学生を憎憎しく演じきっていて話題になった。しかしこの迫真の演技力があだになったか、金八先生では汚れ役をやったりして僕は当時そんなに好きではなかった。しかし今見るとルックスも歌もgood!本当にいい。

Youtubeにはよくラジオの録音も載っているのだが、これがなかなかにいい。吉田照美のてるてるワイドなど今聞いても感動モノである。しかし何よりも感激したのは鶴光のANNサンスペの「この歌は~」の83年7月31日の録音が聞けたこと。実はまさにこの日のサンスペは僕が深夜放送にはまったきっかけの回なのである。
あれは中2の夏休み、なかなか寝付けずラジオのスイッチを入れると聞こえてきた鶴光のだみ声と「この歌はこんな風に聞こえる」コーナー。僕は瞬時につぼにはまった。深夜なので必死に笑いをこらえたが、ついにこらえきれずからだががくがく震えてきて死ぬかと思った。このときの空耳のネタを僕は全部ではないが覚えていたのである。そして自分の中で反芻していた。今聞き返すともっとハイレベルの空耳に慣れ親しんだせいかそんなにおかしくもないし、ネタ自体がだいぶ違っていて愕然とした。タモリ倶楽部と混同していたのである。

行田の「フライ」がTVで紹介されていた。僕の地元も県北なので高校生の頃たしかに通学路に「フライや」というものがあった。当時はファーストフード店などというものは無くて、部活帰りに肉屋でハムカツを買い、ソースをかけて食べるのがはやっていた。みんな素朴で喫茶店など入ったことも無かった。ある日山岳部のちょっと不良っぽいY先輩が、フライやに誘っておごってくれたのである。
なぜか2人だけだったと思うのだが、でてきたフライはまん丸で平べったく、綺麗な黄色で皿からはみ出さんばかりに大きく、箸も使わずにかぶりつき、うまかったのを覚えている。Y先輩、いい先輩だったなあ。ところがTVのフライなるものは当時の記憶にあるものとは全く違っていた。ソース
のたっぷりついたお好み焼き状の物・こんなだったかなあ。と記憶が怪しい。

ふと気が付くと昔話ばかりしている自分がいる!こんなんではいけない。忙しすぎて文字通り心を亡くしているのだ。実は次回のバッカスの曲目もめでたく決まった。去年のような難曲ぞろいではなく、適度に楽しめるカッコいい曲、斯界最新の話題曲、往年のファンも喜ぶ定番曲、そして大トリは壮大なファンタジーをお送りする予定。これは楽しいぞ!!いずれ選曲の結果については改めて発表したい。

もう後ろは振り向かないつもり。でも何で昔の記憶はこんなに楽しいのか?
脳は人間など高等動物になるほどその記憶はあいまいだそうである。鳥などの下等動物ほど、写真に撮ったように正確な記憶を持っているらしい。たとえば隠したエサの場所を忘れたりするのは記憶が正確すぎて、季節や地形・建物の変化に対応できないからという。
人間は記憶を知性と感情で補うので、ひどく自分に都合のいい記憶を育てることも出来るのである。
自分が音楽を続けていられるのも、記憶が極端に美化されているせいではあるまいか・・・。

2007年10月25日

忙しすぎて・・・癒されたい

なんと2ヶ月ちかいご無沙汰!
会社の引越しもあったし、珍しく本業でかなり大きな仕事を受注したのはいいのだが、その仕事でもう2ヶ月終電がえりの生活なのである。そんな日々の中の音楽的イベントを駆け足でレポート。
まず、もう大分前の話だが9月頭のKMA門下生発表会。おもなお目当ては修了生千葉君の独奏と小川君の指揮だが、オケの合奏が素晴らしい。計算し尽くされたディナミーク・テンポ。こういう精密な合奏もあるんだな。自分には絶対出来ない合奏である。千葉君と小川君も堂々として、身内の贔屓目ではなく一番素晴らしく思える。
そして9月中旬神保町を引き払い、新天地護国寺へ。護国寺はお寺と学校と高級マンションの街である。なんとも静かでのどかなのはいいのだが、刺激が無い・・・。

そして9月後半はもう3年連続になる新田図書館コンサート。今年のテーマは、ちょっとしたきっかけがあって家内と「あいのある音楽を」ときめていた。そう決めると、不思議にうまく演奏しよう、テクを見せよう、高い評価を得よう、なんてぜんぜん思わず、とにかく終始舞台の上であいを放出した。最初の曲こそ緊張したものの、楽器紹介を兼ねて、マンドリンの名曲や、歌謡曲・CMに使われているマンドリンを再現。結構受けて客席の笑顔が増えてくると、こちらもリラックスしていい演奏になってきた。

クラシックから映画音楽、ボサノバまで、今年は終始楽しく演奏できた。お客さんはありがたいことに今年も超満員。
個人的な目玉は、この日のために作ったマンドリンとマンドチェロのための「わらべうた・あそびうた」。デュオコンサートでは初めてチェロを弾くことになる。この曲は楽譜ソフトを使わず、1ヶ月前からマンドリンとチェロで実際に合わせながら、何度も書き直して少しづつ完成させていったという、自分としては珍しい作り方をした曲。
マンドチェロは一般人からは「うわ、大きいマンドリンだ!」という感じで受けもいい。20年ギターを弾いといてなんだが、僕はギターよりチェロのほうが向いているかもしれない。テーマがテーマだけに、聴衆の表情も柔らかく、リラックスして聞いてくれている。曲の最後、pppでチェロが「もういいかい・・・まあだだよ」と弾く前にたっぷり間を取るのだが、その時点で聴衆の何名かはすでにハンカチで目頭を押さえていた!客席の感動が伝わり僕もほとんど涙ぐみながら「もういいかい」を万感をこめて弾く。客席と舞台の心が間違いなく一体となった瞬間であった。

トリはツィゴイネル。千明氏のマンドリンが満を持して炸裂し拍手。客席と歌うコーナーがあって、今年は百万本のバラ、アンコールはもはや定番となった自作のマンドリンとギターのための「八木節」であった。去年も楽しかったのだが、今年は格別であった。いいコンサートをするには、同じ場所で何回かやらなければ・・・と思う。この日のコンサートの模様は写真入りで上毛新聞に載った。

K女の学内コンサート。アンダーソンとマンドニコというシブ過ぎる選曲。何も教えていないのに、聴衆の誘導から楽器紹介から挨拶まで全部自分たちでやっている。随分成長したなあ、と感心。

10月の頭には前橋の萩原朔太郎マンドリンフェスティバル。実は今年、ゴンドラ・マンドリーノのギターパートに欠員が出て、出させていただくことになっていたのであるが、本業が忙しく断念した!悔しい。ゴンドラのステージを見て家内と竹間さんを車に載せて深夜かえる。

色々とお誘いの話をいただくのだが、日々恐ろしい忙しさで、土日も仕事か地方のイベント。関係者の皆さんには不義理を重ねる毎日となってしまっている。

深夜残業で唯一の心の慰めはyoutube。さすがに画面を見ることは出来ないのでイヤホンで好きなミュージシャンやアイドルの曲・アニソンを聴く事が多い。
聞いていて癒しというか、アルファー波が出てくる声質というのがある。いろいろいるのだが最近発見して意外にいいのが河合奈保子。

やっぱりマンドリンクラブつながりだからだろうか?

2007年9月8日

初心

本番より早2週間、本番のDVD上映&アンケートを見た。
アンケートではたくさんのお客様からうれしい感想・鋭い指摘・暖かい励ましをいただいた。

やはり音量・迫力の点で物足りなかったのは事実のようだ。これはホールのせいだけではなかろう。もっと音のヌケのよさ、元気さが欲しい。しかしアンサンブルにはいい評価をいただいたようだ。
チューニングはやはり長すぎたかもしれない。ステージングも、アンコール+エンディング+アンコールはさすがに重かったか。しかしこれも賛否両論で、いいという人もかなりいた。しかし今回のアンコールは2曲ともプログラム中の曲を再演奏している。少し芸が無かったかもしれない。

プログラムの曲に関しては本当にそれぞれなのだが、どの曲ももったいないほどの言葉をいただいた。展覧会も編曲のすばらしさを味わっていただけたかと思う。ただ、肯定否定ともにレギュラーオケに比べて○○と言う感想が多いのが気になる。オケよりいいとか悪いとか、余り考えたことが無い。特に展覧会の編曲は、ラヴェル版のイメージとは全然違う。あくまでマンドリンのアンサンブルのための編曲なのである。
たとえば軟式テニスというのがある。競技としての普及度やパワー・スピード面では硬式にかなわないのであろうが、ベコベコの柔らかいボールで緩急自在に変化球を使い分け、見ようによっては硬式よりも面白い物である。絃オケとマンドリンオケにも同じ事がいえないか。と、永遠の論議を蒸し返してもそれこそ詮無いのだが。

DVDを見ているとやはりどうしても自分の指揮を見てしまうのだが、われながら10年位前の馬鹿踊りから比べたらうまくなったと思う。呼吸も感じられる。しかし、まだまだ硬い・・・。本番は楽しみながら振れたのだが、本人が感じている半分も見ているほうに楽しさがまだ伝わってこない。これは奏者も同じこと。これは課題だろう。

昔と比べて、といえば群馬の団友Sさんから1991年の関マンの録音をいただいた。実に16年前に自分が指揮した演奏である。会長をはじめ、バッカスの創立メンバーと始めてであったときの演奏でもある。僕は大学3年、指揮を始めて2回目の演奏会だったが、大胆にも神駒ブロックの片割れの指揮者をつとめていた。

曲は演奏会がクリスマス直前だったので「降誕祭の夜」。聴いてみると、1楽章は最初から走っている。盛り上がってくると拍が全部前に滑っている・・・もちろん指揮者の責任。それなりに勢いはあるが未熟そのものの演奏。2楽章はというと最初に妙な間があるがゆっくりと存分に歌わせてなかなかの演奏。少しほっとした。3楽章は・・・曲の冒頭に勝手にカンパネラソロを入れたりしている。そしてこれも走り気味だが、中間のコラール部分はクサイほど芝居がかってすごく綺麗に歌い上げられている。これは当時師事していたT先生のご指導の賜物であろう。可笑しいのは曲の終了直後にみんなでなにかの笛を吹いて大騒ぎしている。たぶんクリスマスだからであろうが、16年前も今とやっていることはまったく変わっていない。

これをききながら、当時のことを思い出した。一期一会の他大学の奏者、お客さんと、舞台の上で無我夢中に楽しめれば、卒業も就職もどうでもよかった日々(だから今苦労しているのだが)。この演奏会のために、高田馬場の貸衣装やさんに自腹で牧師の衣装を借りに行ったこと。その日の自分は大まじめに舞台と曲席の間に立ち、音楽という祈りを交流させる司祭のつもりだったのであろう。このCDを聞いて、どうやら初心を思い出したような気がする。

2007年9月5日

神保町賛歌

会社が移転するので15年間も慣れ親しんだ神保町を離れることになった。移転先は護国寺なので、そんなに遠くなってしまうわけではないが、この街を去るのは本当にさびしい。もう、路地裏のシミ、街路樹の一本一本まで知り尽くした街なのだ。社会人としてのスタートを切って以来、人生の酸いも甘いも味あわせてくれた思い出の街である。

本当にこれ以上好きな街はない。どこがいいのか、思いつく限りあげてみよう。
日本一、古本屋・中古レコード屋が多い街。量、質、種類ともにこれ以上は無いであろう。古本・古レコードほど僕を楽しませるものは無い。ほぼすべての古本屋を知っている。中でも斉藤秀雄や小沢征爾が通った戦前からの音楽家の聖地、古賀書店。僕はここで何百時間すごしたかわからない。何十冊も楽譜を買った。高くて手が出ないときは、立ち読みで必死に覚えて8小節ぐらいづつ店の外でメモり、それを繰り返すというあほなことをやった。

日本一楽器屋が多い街(御茶ノ水よりだが)、登山用品店が多い街。これも僕の趣味にとってはうれしいことこの上ない。
日本一喫茶店が多い街。GETした古本を喫茶店で読む快楽は何者にも替えがたい。
それ以外にも日本一カレー屋が多く、怪しい質屋が多く、怪しい大人の絵本屋さん、ビデオ屋が多い。サブカルチャーの本場だ。

そして、何よりも出版社や大学が多く、町全体に漂う文学臭と言うか、左翼インテリっぽい空気、一年中文化祭前夜のような、青臭い活気がたまらなく好きだった。

自分の嗜好が神保町にあっていたのか、神保町が自分をこうしてしまったのか・・・。
ありがとう神保町。そして僕はいつかまた、必ず神保町に帰ってくるであろう!

2007年8月25日

バッカス17本番レヴュー(後編)

前編より続く・・・

小川君の第一曲目は「威風堂々第1番」。パーカッションも要所要所のつぼでしっかり決まり、頭から疾走感のある演奏となった。やはりMaestosoのメロディが何度演奏しても本当にすばらしい。pで始まりやがてffになっていく盛り上がりがぞくぞくするほど興奮する。自然に体が動いてしまう。この曲相当エグい動きをしている曲なのだが、マンドリンもよく弾いている。しかしまだ指が温まらない一曲目からこれなので、相当大変だったと思う。
ギターから聞くとマンドリンをはじめ他のパートの音はよく聞こえる。舞台上は問題ないのだが、心配なのはこの一体感が客席に届くかだ。

2曲目は「ヴァージナル」今回のために坂野先生が打楽器を加筆してくださった。今回はその初演である。
坂野先生の曲を演奏したことがある人ならわかると思うが、メカニックもテクニックもかなり高度なものを要求される。というか凝り過ぎ。坂野先生自身はクラリネット奏者で弦楽器は演奏されないのだが、弦楽器特有の奏法をこれでもかと使いまくるので、演奏しているほうも面白い。
1楽章は、一番それらしくてシリアスで好きである。古風なメヌエットをもっと起伏を激しくして複雑にした感じである。
2楽章は牧歌的で楽しい。少し滑稽でもある。僕はなんとなくサザエさんぽいと思っている。しかしこの曲も盛り上がりが激しい。
3楽章は一番好きかも知れない。冒頭のギターの不協和音がきれいだし、チェロうねり感がたまらない。フィナーレの全パートトレモロの部分が、さわやかなような、妖しいような、哀しいような、なんともいえない味がある。
4楽章は、未知との遭遇っぽい。。。前半の現代っぽい感じと、後半の古典的な感じのコントラストが面白いと思う。
小川君もこの曲の各楽章の魅力を十分に引き出してくれたと思う。
ちなみに客席で聞いてくださった坂野先生は、絶賛してくださった。ありがとうございました!!

1部最後はガラシャ。Yasukoさんのアナウンスで大いにボルテージを上げ、全員のめり込むように曲に入魂。やはりトリにかける小川君の気迫と鈴木静一の音楽のすごさだろう。既成のガラシャとは違う部分もあったろうが、これが「新」ガラシャである。やはりみんな同じ演奏ではつまらない。初めて聞くお客さんはのめりこんでいただけたと思うし、鈴木静一には一家言ある皆様には、いろいろ感性の違いを楽しんでいただけたと思う。フルート・オーボエ・クラの音色の美しさが際立った。それから何気にお手柄はピアノ。マンドオケの大編成にくわえられるピアノはどちらかというと聞こえなかったり、聞こえても遅れたりしていることが多いのだが、団員のmorissyが毎回練習に出てくれたおかげで、要所要所で存在感とキレのある音色を聞かせてくれた。精魂をこめたBmをかき鳴らし1部は幕を閉じた。

さて休憩時間。予想以上のお客さんの入りや、ヴァージナル・ガラシャが本番で一番うまくいったことなどで楽屋はざわめいた。

さて第2部、僕の指揮である。みなと一緒にあらかじめ舞台に入り、ピアノの陰に隠れる。真っ暗になると、Yasukoさんが前説をはじめるので、その間に指揮台にスタンバイする。
この前説が・・・真っ暗闇の中からいきなり「心臓の弱い方はいらっしゃいませんか?」である。こういう機会もないのでYasukoさんの前説を思い出す限りかいてみよう。「聖ヨハネ祭の前夜・・・今夜のように生暖かい夜、はげ山に妖怪たちが集まり、朝まで飛び回るというヨーロッパの古い伝説があります・・・」という感じで始まり、あおり方もプロである。開場には子供もいたので、期待のどよめきがおきていた。
さて、まったくの真っ暗闇からスタート。ほとんど気配だけで予備拍を出す。すぐ明るくなるはずが遅れたりしてちょっとヒヤッとした。

はげ山・ジョーズと無事に来てス○ラーはリハでは出なかった「アオ!」がよく出た。山の魔王でのマンドリンのボトルネック奏法は思いのほかよく聞こえ面白い響きであった。
Xフ○イルも集団ハーモニクスがよく聞こえた。エクソ○ストは携帯電話を使って、トリックをやるつもりだったが、直前で中止。全17-18曲が10分の中に次々と現れる早替りメドレーであったが、最後はモンスターで締める。偶然、阿久悠氏の代表作である。企画でいつもポピュラーをやるとき欠かせないのがシンバルとスネアの8ビート。パーカスの広井さんがたたき出すこの昭和のリズムがたまらない。時代は16ビート・32ビートと進化しても、昭和はやっぱり8ビートだ。

本当に楽しかった。この楽しさが舞台上だけではなくお客さん全員に分かち合えているといいのだが・・・そう信じよう。
さて、次は展覧会。編曲のよさについてはもう多くは言わないが、一応それぞれの組曲について。

プロムナード~グノーム
出だしの音についてよくドラ奏者と話し合った。どういう音を出したいのか?・・・TOP曰くまばゆい光のような音?・・・どうだったろう。僕にはわりと寒色系のさわやかな澄んだ響きに聞こえた。あえてピッキングとトレモロを交互に交えて、トレモロの豊穣さを出したつもり。グノームは緊張感があった。空中に小さな爆弾が浮いていて、それを全員が的をはずさずに同時に粉砕する感じ。練習を始めたころは一番憂鬱だった曲だが、今は一番自信のある曲である。

プロムナード~古城
実はこの曲が本当に仕上がったのはギリギリ。8/6のリズムが円を描いていく感じ。これが全員が出来るようになったのが合宿の終わりのほうであった。一見シンプルな曲ほど難しいという典型の曲。細野君枯れたソロ乙。

プロムナード~チュルリー
これはテンポも感情も自由自在に出来た。ソリの連中としっかり目で会話しながら。

ヴィドロ
これこそ一音入魂。低音絃のうねりが素晴らしい。リズムも落ち着いていた。Pesanteの部分、人生の重荷の感じが良く出ていたと思う。

プロムナード~卵の殻をつけた雛の踊り
プロムナードが難しい。搾り出すような微妙なトーンに聞こえたろうか?ひよこは、小動物が踊りまわるようにめんこく出来た。

サミュエル
これはバッカスが得意とするタイプの曲だと思う。とにかく呼吸のある演奏を心掛けているので、いっせいに弱起ではいったり、いっせいに消音するのはバッカスの得意技の一つ。後はもっと動きのある演奏が出来れば・・・

リモージュ
最初に苦しんだ曲ほど後から伸びてくる。最初に通した時は、どんどん音がなくなり、そして誰もいなくなって、沈黙の後思わずみんなで大笑いしながら「これは大変だぞ・・・」と思ったのだが、今日は嘘のような快速でとても楽しくできた。みんな力まずに軽く弾いたのでそれがいいほうに作用したようだ。

カタコンベ
この曲ほど自分の予備動作のあいまいさ、技術の足りなさを実感させられた曲は無い。最初の頃、ffが出てくれない。ppに下がらない。そもそも頭が合わない。だからこの曲を完成させていくということは自分の指揮法の弱点を直していく作業そのものだった。流れの中で棒をとめずに、予備の軌道を大きくゆっくり取りながら、トレモロを使わずにあえてピッキングのみで練習した辺りからとてもよくなったようだ。指揮者は奏者から棒の振り方を学ぶという、ある音楽家の言葉を実感。

死者の言葉
これも搾り出す感じでトレモロの粗密を上手く使いたい曲。和音が天国的に美しい。管楽器のコントロールが上手くいった。

バーバ・ヤーガ
正直もう体力の限界であった。が,もう止まれない。もう皆さんのビート感を信じて次の拍を打ち出すしかない。快速ではあったが意外と冷静に淡々と行った。中間部分はベースとチェロのドスがなかなか利いていたと思うのだがどうだろう。そして真っ黒な上昇音の向こうに光が見えてきた。

キエフ
そして一面の光の世界・・・。とてつもなく高いところから見渡しているような。みんな良く力が抜けていた。精神的にはもう感極まっているのに身体はすごく力が抜けていた。でもこれでいい・・・舞台に光が満ちてくる。
最後の「ヤン・パーン」は80人全員とうなずき交わしてからおもむろに。カンパネラの乱打の中最後のアコードを打ち出す。指揮者冥利の瞬間であった。

非常に満足してタクトを置いて、団員を立たせて御礼する。
アンコールは威風堂々を途中から。アンコールの曲紹介時、聴衆の皆さんに盛り上がってきたら出来ればとお願いしたら冒頭から手拍子が。「普通maestosoからだって!」と一瞬思ったが、もちろんありがたいことだ。このとき実はマンドリン界初「隣と腕組み弾き」をもくろんでいたのだが奏者の方で出来ないと断られた・・・。胃もたれがしそうなAllagの威風の後、定石どおり最後のDの伸ばしで拍手が!ディナーショーみたいになってきた。そのままバッカナールへ。コンミスみっちゃんの伝説的なソロの後、いつもより飛ばしたバッカナール。速い!でも楽しい。

さて、三たび舞台に引っ込んでもお客様は拍手を下さるので、ここはあつかましいが想定外のアンコール第2弾。本当に想定外だったので、舞台上で団員に「じゃ、はげ山のモンスターから!」と指示をだす始末。団員もお客さんも失笑である。モンスターから最後までを演奏。阿久悠氏のご冥福を祈ります・・・

ちょっと長いアンコールとなってしまったが、団員もお客さんも楽しんでいただけたようだ・・・

というわけでいつもながら思い入れたっぷりのポジティブ一辺倒なレヴューとなってしまったが、勿論演奏は完璧にいったわけではない。ところどころ音程もリズムもハズシたし、僕は曲中指揮棒を2回落とすというありえないミスをした。
しかし、この日の舞台にたった者は一人残らず心をこめて演奏したし、お客さんと共有できた時間の楽しさ、喜びを考えた時、どう考えても差し引いてお釣りが出るのである。
終演後はロビーでご来場のお礼を言うのだが、懐かしい団友、他団の友人、家族、会社の人、船堀からついてきてくださったお客さんなど、本当にありがたかった。この場を借りて、ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました!

さて、打ち上げはいつものふたき。団員のほとんどが執行部に属しているバッカスでは各係とパートTOPの乾杯がいつ果てるともなく続いた。ふと気が付くと、十分予想していたことだが、会場には魔女、鬼太郎、ジョーズ、殻をつけたひよこ、バカボン、孫悟空(なぜ?)といった連中が走り回っていた。
こうして、今年もバッカスの一番熱い日は終わったのであった。

2007年8月20日

バッカス17本番レヴュー(前編)

史上最強のプログラムとなったバッカス17。逆境の中、かえって連帯感を深めハイになり盛り上がった本番前夜であったが、はたして本番当日は・・・。
また今年も力の限りレヴューいたします。

8/18日は連日の猛暑の中でそこだけぽっかりと涼しい日となった。幸先よしである。
僕にとって板橋は東上線で15分。余裕を持って会場に到着。板橋は第10回で過去に演奏しているが、そのときは合わせにくい・響かない。そんな印象があったので、今回改修済みとはいえどきどきであった。

やや緊張気味の団員たちと挨拶を交わしながら、セッティング。緞帳・反響版がやや奥にあるので、使えるスペースは思ったより広くない。団員の意見をもとにいつもより扇形(八部開き)の隊形をとる。1ST・ギターの表面板を正面に向かせる意味もある。(後にこれは正解であったことがわかる)
すぐに練習となる。音響を聞くために客席を歩き回っていると足にイヤな感触が。通路のじゅうたんがいやんなるくらい毛足が長くてふかふかである・・・。そうか、前もこうだった。これは響かないな・・・案の定、客席からだとオケの音が妙に遠くに聞こえる。じゅうたんに音が20パーセントは吸収されているのだ。

紙・布がどれほど音を吸収するかご存知だろうか?ステージ上なら譜面、着衣は恐ろしく音を吸収する。全員の譜面カバーの厚紙を1枚取ったら響きがぜんぜん変わったことすらある。まあ、そんなことをいったら、暗譜・全裸で演奏するしかないのだが・・・まさかお客さんに裸でお聞きくださいとはいえまい。

とにかくこのじゅうたんは僕をがっかりさせたが、あれから7年も修羅場をくぐってきたのだから打開策はあるはずだ。冷静になってみると意外な長所があった。響きすぎないことでステージ上で他のパートの音がよく聞こえるのだ。
これは音響の問題というより、指揮者と奏者の能力・賛助さんとのコミュニケーションの向上の成果と思いたいのだが、絃、管、打の響きが、いつもよりほとんどズレない。毎年悩んでいた大規模マンドリンオケの悩みがかなり解消されていた。

反響板の効果を見定めてオケを奥に配置したのもよかったのだろう。いつに無く合わせやすいのである。あとは音を前に出すだけである。それには背を丸めないで姿勢を良くし、表面板をやや上に向けて、折角出した音を直接じゅうたんにぶつけないようにする。
とおしでクタクタになったが、音さえ遠くに飛ばせれば成算が見えてきた。

写真撮影後、パートごとに談笑しつつ比較的リラックスして夕食をとると、もう開場である。今年は早い・・・いつもながら期待と不安で快く高鳴る胸を押さえつつ袖に並ぶ。
根拠地・船堀を離れたので正直お客さんの入りに不安があったのだが、入場してみるとおびただしいお客さんで客席が埋まっていたので、内心狂喜した。
(結果的には、立ち見が出た去年並だったらしい)
船堀からついてきてくださったお客さんもいらっしゃるとのこと。ありがたいことである。

さて、いよいよ開演。1部は小川君のステージである。YASUKOさんの曲目アナウンスの後、この日の第1拍目が打ち出された・・・!
(後編に続く)

2007年8月16日

合宿&本番前夜

半世紀ぶりの記録的猛暑の中、今年も夏合宿が開幕した。本番前なので駆け足で夏合宿報告を。
僕はこの日有休をとったもののAMは会社に。4時からの参加となる。サプライズ用の譜面をガラガラの内房線の中で書く。定宿・川きんにつくと2日目の最大人数に届かないとはいえそれでもホールはむんむんの人いきれ。この日は合宿初日とはいえのっけから白熱した合奏。O君も僕も合宿特有のリラックスモードながら、妥協をゆるさぬ練習ぶりであった。
この日は22:30過ぎに練習が終わったが、合奏の気迫に影響されたか、深夜までパー練・個人錬をするものが多い・・・。
この日は深夜阿久悠追悼弾き語り大会か、ホラーパニックにちなんで怪談百物語をやるつもりだったが、いつになく真剣モードのみんなに圧倒され、すごすごといったん休憩することに。ところがこれが不覚。連日の残業疲れが出たのか、なんとそのまま朝まで寝てしまい、一日目の打ち上げに参加することが出来なかったのである!

しかし翌日はかつてないほどさわやかな朝を迎え、パーレンの後、海へ。今年は女子の水着のご開帳が極端に少なく、メタボ腹の中年だらけの水泳大会となった・・・。たとえ様もなく悲しい。やはり去年断行した伝説の男女混合騎馬戦が仇となったのか・・・。
午後は夜の通し練に向けて、細部にいたるまで徹底的な練習。中途参加も増え、ホール内は立錐の余地もない。練習自体は笑いが絶えない合宿モードだが、徐々にいい意味で緊張が高まってくる。夕食の後、ついに本番を除けば一番のテンションとうわさされる2日夜の通し練。もうここまで来ると指揮者は団の士気を上がるままに任せている。奔馬を抑える要領である。

そして通し練!1部から曲順に。威風、これはやはりマエストーソのメロディがたまらなく幸せである。このメロディをこの仲間で弾いていれば怖いものなんてなにもない。どこにだって、そう深夜の新宿ゴールデン街だって行ける。
ヴァージナル。1movがかっこいい。僕が実は一番すきなのは3mov。フィナーレの坂野先生言うところの「海に出たところ」が胸がかきむしられるようだ。
ガラシャ、これは今までのガラシャではない。指揮者にいわせると「新ガラシャ」だそうである。

2部、ホラーパニックは新しい小細工も加わり、絶叫隊も加わり、音楽はにわかに飛び出す絵本ならぬ飛び出す音楽に。変であること。気持ちいいこと。よく考えるとばかばかしいこと。そして以上の3つをこの上なく真剣にやること。これが今年の企画のテーマである。
そして舞台と客席がそれを楽しめますように・・・。

展覧会もどの曲も真剣勝負である。もう散々書いたことだが、まったくO師の編曲は常人の感覚・発想を超えている。何度合奏しても新しい発見がある。これがもう練習できないなんて悲しすぎる。後また何年かしたら絶対に再演したい曲である。キエフの最後の「ヤン・パーン」は一人残らずこちらを見るまで待ってから、もう鳥肌と汗と涙でぐしゃぐしゃになりながら全員で魂をぶちまけた。これは一生物の思い出である。

本番のような静寂の中、通しを終えると,おもむろなまえ振りに続き、この日三十路を迎えた団員&ご結婚されるに団員に対し暖かいサプライズ演奏のプレゼントがあった。その後は怒涛の打ち上げへ。
いつものように鳴り止まぬコールの中、宴はいつ果てるともなく続くのであった。

それにしてもエンディングのバッカナール。これは例年になく快速である。
毎回弾けない弾けないといいつつもなんとなく勢いで弾けて(聞こえる)のはなぜだろう?
音楽を志すものは美と音楽の女神ミューズにつかえるはずなのに、われわれは対極にある酒と収穫の荒神・バッカスにつかえる数少ないものたちなので、応援してくれているのであろうか?

ならばバッカス神よ・・・今年も本番は勿論の事、我々の打ち上げをぜひ盛り上げてやって欲しい。
本番前夜、今は人事を尽くして神頼みなのである。

2007年8月9日

汁だくの日々・・・!

熱い!
何がってバッカスがである。ゲネでは初めてはげ山・展覧会・アンコール・エンディング全曲を通した。疲れる。予想はしていたが肉体と精神の限界である。

はげ山はかなり楽しんでいただけると自負してはいるが、まだ演奏がばたついて呼吸と余裕が無い。このまま自信なさげな顔ではお客さんが安心して聞けない!奏者自身がもう少し楽しめるように、合宿でイメトレが必要だろう。もうス○ラーを踊るしかないか?演奏中の小細工や絶叫も何箇所か増やそう・・・。

展覧会は、前半はそのまま本番に乗せても十分なほどすばらしい演奏だったが「ひよこ」で走ってしまい、合奏がくずれた。その後「サミュエル」から集中力が切れて、ゆるい演奏になってしまった。が、バーバから持ち直してキエフでまたしても桃源郷に。
今回の編曲のキエフのメロディの「ヤン・パーン」はラヴェル版や原典版を聞きなれた人には奇異に思えるだろうが、この装飾音をあえて8分にしてしまったところに編曲者の天才たるゆえんがある!こういう編曲がほかにあるか寡聞にして知らないが、これによってものすごくこのメロディが深く、熱く、全員の呼吸が一致するのだ。
汁が止まらない!全身から、両目から!

アンコール・エンディングはかなりハードである。お客さんにとってはかなりへヴィかもしれない。おそらく胸焼けを起こすお客さんが多いであろうが、これも1年に一度と許してあげてほしい。
まだまだ一進一退である。でかした!と絶叫したくなる箇所があれば、思わず苦笑がもれてしまう箇所もある。しかし、迷わない、うろたえない、あせらない・・・オケ全員が指揮を見てほしい。見てくれさえすれば、絶対に天国に連れて行くことを約束する。われながらとんでもない自信だが、これくらい気持ちを高めないと本番までいけないのである。


 阿久悠が亡くなってしまい、また昭和が遠くなった。NHKの特集を見ていたがこの人の詞の世界、本当に昭和そのものだ。
この人の功績は、国民永久栄誉賞5回分くらいに値するに違いない。日本人なら誰もがこの人の詩を口ずさみながら青春を生きて、そしてこれからもうたい続けながら死んでいく。こんなにすごい人がいるだろうか?
一人手酌でのみながら聞いていると、つくづく両目から汁がとまらない。

今回団員からアンコールにUFO・サウスポーメドレーをという声も多く、大いに食指は動いたが、これ以上曲を増やすことはオケの負担やコンサート全体の構成からもはばかられ、無しになった。が、偶然はげ山の終曲が阿久悠の名曲なので、これで我慢していただこう。


 指導している高校生たちの夏の曲はアンダーソン3曲。シンコペーティッドクロックと舞踏会の美女とプリンク。本当に楽しくていい曲。舞踏会だけは僕の編曲で、一番難しいが、後半転調してからのマンドリンのオブリガートが天にも登るほど幸せ。この部分をやりたくてこの曲を編曲したといっていい。
長年の夢だったアンダーソン三昧・・・1年生は始めて知るであろう演奏の喜びに満ちているし、2年生は技術的にリードしつつ嬉々とした演奏を聞かせてくれる。聴いていてこんなに楽しい演奏は久しぶりである。
しかし、生徒たちからこのたはごとを読んでいるといわれて、また汁だく。
このたはごとは未成年は読んじゃだめである!

2007年7月23日

早くも1ヶ月前!

本業のほうに専念したり、パソコンのトラブルでこのブログに書き込めないでいるうちに、本番1ヶ月前になってしまった・・・2日連続練習の季節でもあり、いよいよたけなわとなったバッカスシーズンを点描したい。

全体の印象で言うと、いよいよ背水の陣で全員の音に気迫がこもってきた感じである。時にパートの参加率にばらつきはあるが、音に抜けと力強さが加わった。
一言で言うと・・・今年もすごいことになってきそう!!

1部の聞き物はやはりヴァージナル。坂野先生がわざわざ2回もコーチしてくださった。曲のいろいろな点について解説・トレーニングしてくださるのもありがたいが、業界人以外のプロの作曲・演奏家にマンドリンオケを聞いていただきその率直な感想を聞くのは本当に参考になる。

たとえば、速度記号。アレグロなどの速度の指示があった後、ritやaccellなど次の速度記号があるまでそのままのテンポをキープしなければいけないとは限らない、ということ。音楽・メロディの流れで必要に応じ自由に変化すべきということ。

もうひとつ、マンドリンという楽器と奏法の制約を音楽の場に持ち込まないこと。これはご想像がつくだろうが、つまりトレモロを入れやすい・入れにくいとか、絃をまたぐ・またがないとかで、テンポ・アゴーギグなどを決めないこと。

そんなの当たり前と思う人も多いだろう。自分もそうおもってきたのであるが、マンドリンの世界がわりとそうでないので、最近不安に思っていたのだが、一流の音楽家の口から聞いて「やっぱりこれでいいんだ」とほっとした次第。

企画のはげ山は、自分で言うのもなんだが、事毎に意表に出るハズシっぷり、昭和を感じる下世話なテイスト、かなり天晴れなできである。わが心の師O氏が、去年Mistery of hoursという、スペインもののメドレーの傑作を書いたのだが、今回は長さといい編成といい、なんとなくそれを意識して書いた。しかし内容はまったく違い、O師がどんなに音楽を崩しても気品があり、芸術の香りがするのに比べ僕のは徹底的に・・・後は当日聞いていただくしかない。
はげ山で始まるがその後は例のごとく・・・ってやつである。どうぞお楽しみに。

展覧会はバッカス全17回中、史上最長・最大の曲であると同時に、最深、最凶、最難、であり、そして本番ではここ数年で最も感動できそうな曲でもある。キエフでは久々に泣けそうである。もちろん練習ではまだ泣けない。「♪卒業」みたいにクライマックスまで涙はとっておきたいのだ。

原調で全曲に挑戦ということで、最初はとにかく音取りに必死、メカニックも難しく、ついに奏者からも異例の「難しすぎる」という意見も出たのであったが、ガルトマンの絵を見、いろいろ意見を出して、みなで曲の精神に迫った。作曲の経過や、ラヴェルのオケ編以降のことについては有名なので割愛するが、いろいろ調べているうちにこの曲の凄みがわかってきた。

ムソルグスキー・ガルトマンを引き合わせ、当時の芸術家たちのリーダー的存在であったスターソフによるとガルトマンは才能があったけれども「今も当時も無名の」建築家・画家であった。少なくともこの展覧会の絵という曲の存在がなければこれだけ多くの人に知られることは無かったろう。実際10曲すべての絵は発見されておらず、かなりの作品が散逸している。

ガルトマンは社交的で、いい年をしてパーティなどでは仮装をしてはしゃぎまわり、ひとつのところに5秒もじっとしていられない人物だったらしい。今で言うADHD(多動症候群)の気があったのではなかったか。特に晩年、鈍重で人嫌いの傾向があったムソルグスキーには、自分に無いものを持った魅力ある人物に思えたに違いない。ムソルグスキーが同性愛者であった証拠は無いが、ガルトマンとは友情以上、相当精神的に強く結びついていたようだ。


そんな敬愛する人物が突然死んでしまったら・・・そして彼の芸術が無名であるゆえに埋もれていく運命にあるのだとしたら・・・ムソルグスキーは、親友の遺作を見たときに心にこみ上げてきた何者かを音楽にしたのであるが、同時に忘れ去られんとする親友(恋人?)の才能を自分の表現手段である音楽の中に写し取り、一生の宝物にしようとしていたのに違いない。

ムソルグスキーはこの曲を出版する意思がなかった。出版したのはリムスキーコルサコフが発見・改訂したからである。この曲の凄みというのは、これだけの曲でありながら、たぶんこれはムソルスキーにとってかなり私的なプライベートな曲なのだ。

とくにキエフの大門の絵は、ガルトマンが設計コンクールに応募して好評を得たものの、結局採用されなかったといういわくがついている。ムソルグスキーは亡友の夢を、自分の音楽の中で完成させたのであろう・・・ガルトマンの絵にある3つの鐘こそ、クライマックスで乱打されるカンパネラの響きに違いない。O師の編曲にはもちろんふんだんにカンパネラが使われている。

ピアノの原典版を見ると、それまで複雑怪奇な真っ黒の譜面が、キエフでは突然白玉になる。想いが大きすぎて、白玉になってしまったのか。
鍵盤の上に指を叩きつけたままいつまでもうなだれて動けないムソルグスキーが僕には見えるのである。

さて、アンコールはまだ秘密。
エンディングは久しぶりにバッカナール!!




この前読んだとある本に「指揮者は時間泥棒」という言葉があってドキッとしたのだが、今回は指揮者はもちろんのこと、団員80名が死に物狂いで演奏するので、形にならない何かを持ち帰っていただくことはできると自負しております。

2007年7月17日

客商売

最近、書き込みが出来なくて、ご無沙汰してしまった・・・
少し前の話だが、練習の帰りにいつものように飲んだあと、2次会ではじめて入った飲み屋で、2次会だからまったりして余り注文せずにいたので、主人からもっと注文してくれというようなことをいわれて気分が悪かった。店はがらがらだったのだが・・・バッカスの人は大人だからちょっとむっとした程度で済ましたが。

数年前にも同じ目に合ったことがある。それは会社の若手の男女で飲みにいったとき、やはり2次会の場所を探していて客引きに誘われた。2次会だからあまり飲み食いしないことを伝えたが、いいというので入ってみると、ちょっとした料理屋であった。
やはり一人ワンドリンクと2~3品くらいしかたのまなかったのだが、なんと店のおばさんから「もっとたのみなさいよ」といった暴言や、テーブルを無理に1つにつめさせるといった客商売にあるまじき嫌がらせを受けたのである。

こういうときは女性のほうが大胆だ。一緒に飲んでいた女子社員たちが猛烈に怒り出し、おばさんへ抗議した。戦いは次第にヒートアップし、おばさんと女子社員のあいだで怒鳴りあいや、ものの投げあいが始まった。店内騒然として、女子は勘定を投げつけるように(それでも払ったのだ)、僕らもほうほうの体でそこを出てきた。

その店には「来週、○様のブ○ンチでこの店が紹介されます」という貼紙があった。たぶんおばさんはそれで強気に出たのであろうか?

翌日会社で昨日の出来事を振り返ったとき、そのサービス業にあるまじき言動がどうしても許せず、○様のブ○ンチのHPに抗議のメールさえ送ったのである。しかし、反応はなく、次回のブ○ンチでは、アノ憎きおばさんがこの上なく得意そうに「お客様は家族同然です。自慢の家庭料理をどうぞ」なんていってるのを見て地団太を踏んだ。

僕も商売の普遍的な鉄則を知っている。それから見ると、冒頭の店も、偽家庭料理の店も商売人として失格である。

特に冒頭の店に言いたい。われわれバッカスは毎週多いときは40~50人という単位で飲み歩く団体である。今回はたまたま2次会で人数も少ないので注文数が少ないのは仕方ないとして、気持ちよく送り出してひいきになっておけば、毎週すごい売り上げが期待できたのである。

商売に限らないが・・・なにごとも目先の損得で動いてはいけない。かといって計算高すぎてもいけないが、飲食業なら損得よりもお客さんに気持ちいい時間をすごしてもらうこと、帳尻はいつか合わせなければいけないが、根底にそういう純粋なものがなければ、人は集まらないのではないか?

書いているうちに思う、非営利目的とはいえわれわれアマチュア音楽家もそうだと。だが純粋にお客さんにいい時間をすごしてもらいたいと思う気持ちには恥じるところはないようだ。

例の偽家庭料理店は2年とたたずに消えた・・・おごれるものは久しからず。

2007年6月15日

暴れん棒将軍

殺虫剤メーカーのフ○キラーが駅の男性用小便器に的(ターゲット)を模した広告を貼るらしい。命中すると色まで変わるそうだ。広告としてのユニークさとともに、男性の本能を利用し、トイレの美化にも役立てようという一石二鳥のアイデアである。広告業界の末端の一人として、機知に富んだ遊び心あふれるアイデアに喝采を送りたい。

男なれば誰しも生まれながらのスナイパーである。便器に何か標的があるとつい狙ってしまうものである。小学校の便器においてあったボール状の芳香剤(?)みんながあれを狙うのでよく穴が開いていた。

ライフルの銃身内には螺旋の溝がきってある。弾丸が回転しながら飛び出すことによって命中率と飛距離を出しているのだが、高校のときの生物の先生は、しきりに御叱呼も回転しながらとぶのだと主張していた。

自然界においては御叱呼を自分自身の体につけることはいろいろと不利であるので、なるべく遠くに飛ばすように回転しているというのである。

実際に眺めてみるが、確かにその放物線は何回かねじれているように見えるが、本当に回転しているかどうかは疑わしい。

ちなみにその先生は大のほうも回転して出てくると主張していたが、犬のものなど見る限り、それはない。したがって御叱呼の話もたぶんに眉唾である。

そういえば最近はトイレを汚さないために様式便器にまたがってする男性が増えているらしい。これは情けないというよりは何か恐ろしい社会変動の前兆のように思える。そのうち、家畜人ヤプーのように、男性は座って、女性は立ってするのが常識となるのではないか?

我家はどうかというと、今のところなんとか立位を許されている。しかし、わが射撃の腕がいまいちなため、家内はそうとう苦労しているらしい・・・

2007年6月9日

王子ブームに思う

王子ブームである。
スポーツでずば抜けた才能を持っていて、さらにさわやかなルックスを併せ持っていると王子と呼ばれるらしい。
優秀な選手はほかにもいるのに、王子と呼ばれるかよばれないかの違いが明らかにあるわけで、世間は結構残酷である。

しかし最近は異常人気や過剰報道が多少は省みられているらしい。将来有望な選手を若いうちから持ち上げすぎるのもどうかという意見もいまさらながらある。

しかし、なぜこんなにも王子がもてはやされるのか?
それは今の時代では希少価値があるということだろう。いまどきの少年といえば茶髪やピアスでゲームばっかりやって、不登校で傍若無人、さらには犯罪を犯したり気味の悪いことばかりして、たまに才能や実力があっても亀○兄弟のようにうぬぼれて鼻持ちならない・・・という世間の常識があるから、才能と若者らしいひたむきさがあると、いまどき珍しいとばかりにもてはやされるのであろう。

だが、僕の少年のころは、近所や学校に、程度の差はあろうがスポーツ万能・成績優秀しかも家が貧乏で性格は純朴で明朗、なんて若者はどこにでもいた。今のあれが王子なら昔は王子だらけじゃないかと思う。全然珍しくなかったのである。

さらに時代はさかのぼるが、きけわだつみの声を読んでほしい。全国から集まった帝大クラスの超優秀、文武両道の若者・特攻隊員たちの遺書であるが、最後の言葉に見るその純粋さ、真摯さ、多感さははいまどきの王子の比ではない。

こういった宝物のような若者たちを狂ったように片道燃料で体当たりさせてしまうんだから当時の日本はおかしい。
しかし、堕落していく若者を作り出しておいて、たまに奇跡的な確率で理想の若者が現れると、とたんに珍重して持ち上げだめにしてしまう今の日本もそれに劣らずおかしいのではないか?

2007年5月23日

キャスティングの妙

めぞん一刻がドラマ化するらしいが、キャストを聞いてやはり納得できない。アニメ放映は高校生くらいの頃だったが、今見ると、いや今見ればこそあの面白さが分かる。切なくて歯がゆいのだ。

めぞん一刻のファンならば島本須美が声優を演ずるあの管理人さんに思い入れがあることは言うまでも無いが、それが伊○美咲とは・・・あんなんじゃない。
四谷さんも岸辺一○じゃ年をとりすぎだし、一之瀬さんが岸本○代子では貫禄が違う。唯一高橋○美子のアケミさんだけは楽しみである。

こうなってくると以前映画化されたときの石原真理子(これも違うのだが)石黒賢、イブマサトウ、藤田弓子、宮崎良子のほうが、まだいいといわねばならぬ。

とにかく音無響子のキャスティングだけはめったなことでは納得できないというのがファンの心理である。自分も考えてみたが、南野陽子以外思いつかない。あとは有森也美、安田成美ぐらいか。どうしても80年代になってしまうが現代で言えば・・・黒川智花くらいか。五代は国分太一とかその辺の垢抜けない俳優。
四谷さんは現代の俳優なら浅野忠信とか松尾スズキ。一之瀬さんは文句無しに柴田理恵。あけみさんは青田典子とか国生さゆりとか。三浦理恵子か永作博美でもいい。

ドラマはキャスティングで決まってしまうから、岡目で見ている人は何かといいたくなる。
でも、今回のキャスティングでもそれはそれで慣れてしまえばベストバランスと思えてくるのだろう。予想外のはまり役も出てくるかもしれない。

急転直下の落ちのようだが、実はオケもそうなのだ。
バッカスというドラマも毎回微妙にキャスティングが違う。みんなに役柄がありみんなに台詞がある。この台詞をいうのは去年ならあの人だった。この役柄は来年はあの人かもしれない。でも今年のこの役は君しかいないのである。

本番(最終回)を迎える時、振り返ってみると、ああ、この人しかいなかった。というベストキャスティングであると信じている。

2007年5月22日

バラライカオケ・ドムラ・フォーミン・・・

「バラライカ物語」を読んだ。故・北川つとむ氏も序文を書いている。100年以上も前にバラライカ・ドムラといったロシア民族楽器を復興し、民族オーケストラを創始したV.V.アンドレーエフ氏の伝記である。

バラライカのあの形は、貧しい農民が4枚の三角の板という最小限の材料で作ったためだとか。(初期のバラライカには裏板や側板はなく、ちょうど裏を頂点とする三角錐のような貼り合わせ方をしていた)農夫が弾いていたバラライカをふと聞いたのがきっかけで、アンドレーエフはその魅力に取り付かれ、自ら名手として、奏法や楽器の構造を研究して、バラライカを芸術にまで高めていく。
アンドレーエフの演奏を聴いて集まってきた仲間と楽団を組み、練習するアンドレーエフだが、素人だからといって絶対妥協しない。細かいところまで全員が自由自在に表現できるまで練習を繰り返す。アンドレーエフの言葉がいい「人々に受け入れられる唯一の方法は自ら心をこめて歌うこと、すべての人々と感情を一つにして演奏すること・・・」これは勿論あらためて僕らも肝に銘じなくてはいけない言葉だ。

当時の音楽界からは農民の卑しい楽器と半ばバカにされ、大して期待していなかった聴衆の前で、アンドレーエフとその楽団は見事な演奏で聴衆を熱狂させてしまう。ヨーロッパ各地でセンセーションを巻き起こし、ついにはチャイコフスキーまでがバラライカの音色に感激する・・・。

以前からオシポフバラライカオーケストラのCDにはまったり、現代ドムラの名手・グーセヴァやナターリャの演奏会を見に行ったりして興味があったのだが、マイブームが再燃してしまった。
そもそも単弦でありながらあの深くてやわらかい響き、途切れることの無いトレモロが出来るのはなぜであろう?マンドリンの奏法への重大なヒントが隠されている気がしてならない・・・

それに今回アンドレーエフの盟友としてフォーミンが出てくる。僕の大好きな「シンフォニック・ポエム」の作曲者である。リムスキーコルサコフの弟子だったらしい。こうなると、ロシア民族オーケストラ、ドムラ、フォーミン、というキーワードが三題話のように頭から離れない。いつか何らかの形でこのイメージを実現したいものである。

まあ、ここ数年ロシア物ばっかりだが・・・

2007年5月21日

アブ・ノーマルテンションで行こう!

以前18年間使っている愛器のことを書いたが、今回は弦について。僕はどちらかというと音量重視派である。生音でホールで聞かせる以上、一定以上の音量は必須条件と考えている。汚い音は論外として、美しくて大きい音・・・ここが泣き所であるが。

そんなわけでこの18年間、オーガスチンの青を張り続けてきた。硬くて張りがかなり強く、マンドリンオケでも十分存在を主張できる音量、低音絃のキレのある立ち上がり、高音絃の輝かしく明るい響きが魅力である。
しかし、最近デュオや独奏をやるようになって、自分の音の粗さや当たり外れの多さが気になってきた。指に力を入れてガシガシ弾く癖がついているので、緊張が指先に伝わりやすく、ミストーンや音落ちが多いような気がするのだ。

そこでいろいろ調べてまず極端に張りの弱いハナバッハの黄を張ってみる。と、信じられないくらい柔らかく弾きやすい。特に低音はゆっくり響かせるようにしてあげれば、なかなかの音量である。
しかし、速い曲で伴奏などして見ると低音の発音の遅さに切歯扼腕!高音もペソペソして弾いた気にならない。この音は絶対自分の音じゃないと確信。
次に何を張るか?かつてジュネスで音質と音程をそろえるためにプロアルテを張らされたことがあるが、当時は物足りなくてすぐに青に戻した。
しかし人に聞いてもやはりプロアルテが無難か。この機会に絃の張力を本やHPで調べてみたのだが、結局詳細な値は出なかったもののオーガスチンの青は6本合計で約43キロくらいあるようだ。プロアルテノーマルは約39キロ。いかに張りの強い弦を使っていたかがわかる。

18年酷使した楽器をいたわる意味もこめてプロアルテノーマルを張ってみた。
音量は85%くらいになった感じだ。しかし元が出過ぎていたのだからこれは我慢する。低音はちょっと発音が遅く、高音も輝かしい感じはない。しかし全体にバランスがよく、品がある感じだ。

この弦を張って、デュオのミニコンサートの本番で試してみた。結果は・・・よかった。何しろ弾きやすい。左手への負担が少なく、楽に弾けるせいかミストーンや音落ちがほぼなかった。音程もよく、ホームランはないが三振もないといった感じである。

今後しばらくはプロアルテノーマルテンションを張ってみようとおもっている。しかし・・・バッカスの練習は別である。今年も熱過ぎる曲が並んでいる。バッカスに関してはクールなスタイルでいられない。
絃も頭の線もアブ・ノーマルテンションで行きたいものである。

2007年5月8日

GW・合宿報告

5月である。一番大好きな季節である。思わず「風が♪踊○♪5月の街で~♪」と歌ってしまう(古っ)
今年は結果的に9連休になってしまった。前半は釣りに行って自然に癒されたりしつつ、実家に帰ったりして過ごした。
特に今年は鴻巣にはわざわざ東松山からバスで行き、半日を使って懐かしい街をじっくり歩いた。

なんと中途半端な駅ビルが建設中であった。それ以外は大して変わらない街をぶらぶらして、昔からある駅前のミスドで展覧会のスコアを読み込む。その後、十数年ぶりに出身小学校に行く。広く感じた校庭がこんなに小さかったのかと慨嘆。校庭に生えている3本の樹齢百年超のケヤキは健在であったが一本が大きく傾いていた。
実家に泊まるが、この辺はもう子供も若者も少なく静かな夜だ。昼間思い出の場所を回ったせいか、来方行く末を思い、物思いにふけってしまい眠れなくなる。

連休後半はバッカスの春合宿である。
好天の初日、すごい混雑の中電車で岩井へ・・・
譜面合わせのあと、小川君の威風堂々。なんとティンパニが入り、贅沢である。かつ合奏が締まった。
僕の「交驚詩・はげ山はホラーパニック!」も披露。これは、ムソルグスキーの「はげ山の一夜」をベースにクラシック・映画・TV・POPSなどのあらゆるホラーミュージックがわずか7分半に17~8曲も登場するという、超特急フラッシュメドレー。
メドレーはヘンリーマンシーニ以来だが、この騒々しいノリはバッカス初期のドリフメドレーに近いものがある。
その夜は合奏後フルートとボサノバを楽しむ。こういう遊びも合宿の楽しみの一つ。
この夜は初日打ち上げに少しだけ参加したが、あまり飲まずに早々に引き上げたのに朝まで眠れなかった。

2日目は朝からギターのパー錬、終わった後は午前の自由時間である。この日は伝統の儀式の日であるが、若人たちが風邪気味で禊は僕一人であった。
嘆かわしいことである!しかし、伝統を途切れさせるわけには行かない。
かつてこの安房の海を渡る倭建命のために荒海に身をささげた弟橘比売命の故事を思い、37歳の体に鞭打って褌を締め、宮城を遥拝したあと、冷たい海に全力疾走した・・・

2日目午後・夜はヴァージナルと展覧会を中心に合奏。
ヴァージナルはみな弾けてきて、音に厚みが加わった。微妙なニュアンスもつき出して合宿前からすれば大きな躍進である。

展覧会も、厚みが加わり、後回しにしていた弾けなかった部分を重点的にやる。
この合宿ではあまり叩かずに、振って練習する。

合奏はとにかく呼吸である。管楽器も弓奏楽器も打楽器も少なくとも上半身を使うので自然に呼吸が身につくが、マンドリンは指先だけで弾き出してしまう傾向のある楽器だ。

とにかく呼吸を合わせることを繰り返し徹底させるとオーケストラがまとまってきた。
特に最難関のグノームスは呼吸が命。古城は音質をそろえるのが難しい。音取り苦手な人にはつらいリモージュはところどころ落ちながらも全員で何とか最後まで皮一枚つながる感じ。
すばらしいのはやはりキエフ。最後にこれがあると思うとどんなに難しくとも報われる。

とにかく合宿前からは大飛躍である!
願わくはこのテンションのまま6月まで突っ走れますように・・・
練習後は有志でアルフィーを歌う会。懐かしい。
その夜は打ち上げは恒例のコールとたくさんの新人さんの自己紹介を肴に銘酒を飲む。北海道からはるばる参加の林さん(バッカス前指揮者)とも久しぶりに談義に花を咲かせた。

3日目はこの合宿のまとめ。数年前は3日目の合奏は、2日酔いの人が多くヘロへロだったのだが、最近はそういうことが無く、むしろ一番いい。

こうして、音楽、酒、歌に明け暮れた合宿が終わったのである。
毎回思うが、こういうことができることは幸せである。合宿が終わり連休最終日の雨の一日、一抹の寂しさを覚えつつそう思った。

2007年4月27日

「人生相談」

開高健の人生相談「風に訊け」を読んだ。開高健といえば清濁併せ呑む博覧強記、ちょっととっつきにくい孤高の作家のイメージがあるが、実はすごく細かい気遣いを持った優しい人なのが良くわかる。
どんなバカのアホウな相談にも相手を尊重し、真剣に優しく答えてくれるのだ。以前学研「MOMOCO」で北方謙三と美保純の人生相談もあった。北方のも男気があり、野蛮だが優しかった。知性と言うものは、つまりむき出しの優しさを包む照れ隠しのようなものなのだろう。

氏によると、男の中には永遠に子供が一人住んでいて、男が自分の人生の限界を知り、あきらめたときに、夢を追おうとする子供を納得させるために飲んだり遊んだりする必要があるそうだ。
またいわく、釣り師は誰しも心に傷を持っていると。このばあい釣り師を「マンド師」に替えてもいい。いずれにしろ知性があって厳しくも優しい人が答える人生相談には含蓄がある。「地獄に落ちるわよ」なんてのは相談じゃなくて恐喝である。

昔、ラジオの「こども電話相談室」というのがあった。有名な話で、子供「ヘビメタってなんですか?」無着成恭先生「それはね・・・蛇の一種じゃないですか?」というのがあるが、あれである。
小学生のころあれに出損なった(穴を開けた?)ことがある。放送中に電話をかけて、なぜだか「明治時代の船(たぶん帆船とスクリュー船の間という意味)はどんな仕組みで進んでいたか?」という質問をした。なぜそれが訊きたかったかは今ではぜんぜん覚えていない。すると、今日は答えられる先生がいないから、来週のこの時間、番組が始まる30分前に確認の電話をこちらから入れるので自宅で待機しているようにと言われた。

一週間後、約束の時間に待機していたのだが電話はかかってこず、番組が始まり、終わりかけてもかかってこないので、今週はやらないんだ、と思って外に遊びに行ってしまった。
すると帰宅後、家の人にすごく怒られた。僕が出て行った直後にラジオ局から電話がかかってきて、本人がいないので近所まで人を出して探し、大騒ぎしたらしい。
結局どうなったのか・・・折角呼ばれた船舶関係の先生(もし船舶振興会のアノお方だったとしたら恐ろしい)は面目をつぶして帰ったのか・・・それとも適当にサクラの子供を調達して質問をさせたのか・・・今となっては覚えていない。

思うに、番組スタッフが放送前の確認の電話をかけ忘れ、それで今日は放送が無いと早合点して僕がすっぽかしてしまった、というのが真相であろう。
TBSラジオさん、あの時はごめんなさい!

2007年4月18日

英語やっとけば良かった。

4/7、ギタリスト金さんとベルギー在住のピアニスト高橋康子さん、ベルギー人ヴィオラ奏者サンダーさんご夫妻の演奏会をGGサロンまで見に行く。

金さんの剛柔自在の美音を改めて味わえたし、ピアニスト高橋さんの飾らない自然体のトークや、情熱的な演奏がすばらしかった。特にサンダーさんのヴィオラがなんともいえない音色であった。コンサートでヴィオラのみを聴くことはあまり無いのだが、ヴァイオリンでもチェロでもないこの深い響きは、そのまま人の歌声のようで心を揺さぶられた。

演奏会が終わった後、打ち上げにお招きいただいたので、あつかましくも家内と参加させていただいた。とにかく金さんの親戚の方々のやさしくてにぎやかで楽しいこと!この前のマンドリンリサイタルにも来てくださっていて、感想もいただいてうれしかった。親戚の方にはマリンバ奏者の方もおられて、さすが音楽家の血筋なのだろう。

さて、サンダーさんの隣の席だったので、少しお話をさせていただいた。この人は若くしてベルギー放送管弦楽団のヴィオラ副主席奏者というとんでもない雲の上の人であり、日本に来て怪しい一般中年から話しかけられてさぞお困りになったろうが、紳士的ないい人で、快くお話をしてくださった。

お住まいのアントワープはオランダ語圏だそうだが、この日は英語でお話をした。僕は英語は読むのも話すのも常人以下。しかし、なんとかなるもので、先方も英語は外国語なのだから、片言で結構通じた。しかし会話の半分以上はチャイコフスキーやブラームス、マーラーの曲を歌って笑わせていたのであった。音楽は英語以上に万国共通の言葉だと改めて感じる。

通常ヨーロッパ人は英語は話したがらないとのことだが、こちらがそれしか話せなければ話してくれるし、お互い外国語だから意外にわかりやすい。大阪国際でもそうだった。それにしても自分の中学生並みのボキャブラリーの少なさに地団太を踏む思いであった。英語といえば、「アメリカの公用語を決めるとき、ドイツ語が優勢だったのだが投票の結果、一票差で英語になった」というネタを「トリビア」に送ったがそのままになっている。ガセビアだったのか?ちなみにジモティであるサンダーさんはやはりフランダースの犬の話は日本のアニメではじめて知ったとの事。

2007年4月9日

古地図に思う

昔から地図が好きで、特に明治の古地図を集めていた。図書館にある古地図コレクションなんて最高に好きだ。航空写真地図のグーグルマップにはyoutube以上に興奮した。それで今、一応地図を作る仕事にかかわっているので、これでも少しは好きな仕事をしているといえる。
ところで民族の文明度が最も反映されるのはその国の地図だと思う。地図こそその時代の最新の数学・測量術・絵画の技法・人文地理など、あらゆる技術の結晶だから。ある未開の部族に、地面に世界地図を書いて俺たちはここから来た、お前たちの国はここだ、と説明をしたら、何でこの地面にお前たちの国があるんだ、とまったく理解できなかったらしい。
頭の中の観念を2次元にして表現できることが文明そのものといっていいだろう。

それでその図書館の日本の古地図コレクションが面白い。現存する日本最古の公式地図、行基図(室町)だが、すごくいい加減なのだ。国ごとに丸いもちみたいなのを葡萄の房状にくっつけて、簡単な道路が書いてあるだけ。しかも仏教の関係で西つまり九州が上になっているので、かなり変である。
その後、戦国・江戸時代初期まで時代は下っても日本地図は概念図程度のもので、よく昔の人はこれで旅や政治をしたと思う。戦国時代なんて他領の地図なんて無いから、大名はまず戦争をする前に隣国の道路と地形を詳細に調べなければならなかったろう。また地元の案内人を味方につけないとどうにもならなかったろう。名将といわれる人々はこういった地道な努力を惜しまなかったに違いない。

江戸時代になって、だいぶ日本列島の形がさまになってくるが、北海道の北半分がものすごく北に伸びて粉々に吹き飛んでいるようなとんでもない形をしているし、朝鮮が島になったりしている。海のすぐ向こうには、女人国(本当にあったら行きたい)とか羅刹国とか黒人国とかがありまだまだである。

それで、江戸後期になるとようやく伊能忠敬の大日本沿海與図がでてくる。これはすごい精密さで、今の日本地図とほぼ同じである。この人は特に幕府から命じられてやったわけではない。隠居してから趣味をかねて自費で始めてここまですごい地図を作ってしまったのである。何年もかかっているが、未調査の部分を想像で書いたり、勝手に女人国を作ったりせずに「白」にしてある。ここが実にすばらしい。江戸の数寄者文化と世界レベルの合理精神の集大成である。

のちに幕末、イギリス人が日本の海岸を測量したいといってきたそうだが、幕府はこれがあるからその必要は無いと伊能図を見せた。イギリス人はあまりに精密なのに驚き、測量を取りやめた。攘夷熱が盛り上がっている当時の日本の津々浦々にイギリスの測量船が現れたら、とんでもない騒ぎになっていたろう。薩長勢力の後ろ盾だったイギリスとの関係が悪化していたら、明治維新もどうなっていたかわからない。
伊能忠敬の遊び心が日本を救ったとさえいえる。

2007年4月5日

「不名誉なる撤退」

実名は出せないが会社の近辺に某有名ラーメン屋があるのだが、ここがいつ見ても行列がすごい。昼時と夜しかやっていないのだがいつも長蛇の列で、入っている大きなビルをグルりと半周してしまっている。一年中毎日そうである。何年も前から行こうと思っていたのであるが、いつもすさまじい行列で並ぶ気がしなかった。

ところが今日開店直前に前を通ると20人くらいしか並んでいない。(いつも40人くらい並んでいるのだ!)かなりお腹がすいていたし、今日しかないと思って並んだ。10分近く待って開店。一度に10人しかはいれないので結局いすに座るまで30分以上待った。

客は良く見ると大学生風の若いのがほとんど。中の雰囲気は「ラーメン道」を探求する道場のような雰囲気で、満員なのにラーメンをすする音以外一切会話は無く、全員黙ってひざに手を置いてラーメンが出てくるのを待っている。常連らしいこれらの客たちと2人の店員が注文時交わす隠語だけが響く。僕の番が来た。ぜんぜん意味がわからなかったが前の客が言った「野菜・ニンニク辛め!」といっておく。

さて、出てきた・・・多い!!これは大食い選手権か?ただでさえでかいどんぶりに大量のモヤシがそのどんぶりの高さ以上に積み上げてある。その下にものすごい量のふと麺と厚切りチャーシューが埋まっていた。スープは背油入りのとんこつ風だが、表面に5ミリくらいの透明な油の層がある!!

思えば僕は昔から大食を売りにしてきた。お替り自由のトンカツ屋に入ればまず味噌汁とおしんこで1杯食べ、その後おもむろにとんかつ2切れで1杯の配分、合計4杯食べたものだ。
また、学生のころ行きつけの食堂でお替り自由の定食を食べるときは、店の人から面倒だからと専用のおひつでたべさせられていた。
ところがそんな僕もここ2年ほど麦飯や野菜中心のの淡白な(量はあいかわらずだが)食事を好むようになっていたのである・・・

量はともかく、このラーメンの脂っこさにはかなわなかった。
それに、この豚くささは僕にとってはどうしてもうまいとは思えなかった。無理やり詰め込んでもいつまでも量が減らない。

こんなことは初めてだったが、なんと3分の一くらい食べたところで箸が止まってしまった!それでも必死に詰め込んだが、まだ半分以上残して完全に胃が受け付けなくなってしまった。わが大食人生であまりにも情けない不名誉な撤退である。ご馳走様をしながら逃げるように店を出た。

やはりもう若い胃袋ではないのだろう。それにしてもあんな油っぽい、ブタくさいものが最近の流行なのか?まあ,若い人には人気なのだろう。
物好きなので、人気のラーメン屋に1時間近く並んで食べることは結構あるのだが、そういうときに限ってあまりおいしく感じないのはなぜだろう。

脂っこさとボリューム・・・音楽にはある程度必要だと思うのだが。

2007年3月30日

「植木等~男の美学」

植木等がなくなってしまった・・・。
10数年前のバッカスの企画「日本歌謡体系」(なんと言う大げさなネーミングだろう・・・)の第2曲でクレージーキャッツを取り上げた。そのとき、クレイジーのCDを朝から晩まで聞きまくったことが懐かしく思い出される。

うちの父親が良く歌っていたのでなんとなく知っていたが、ちゃんと聞いてみると、底抜けに明るくて気取らないダンディズムがあってファンになってしまった。当時一世を風靡したのもわかる。

たとえば有名なところで「ハイ○れまでよ」の前半の物憂げな部分から素っ頓狂に「てな○といわれて○の気になって・・」と一転するところにドラマがあるし、最後、進退窮まったところでタイトルのキーワードであきらめきったようにシメるところなんて、大げさだが人生の機微を描いているようだ。

吹奏楽ではめったにやられないがクレイジーメドレーがあるようだ。マンドリン界でももぐりじゃない編曲が出てこないだろうか?

うろ覚えだが80年代に、クレイジーのメンバーによる定年会社員たちの悲哀を描いた映画があったと記憶している。ネットで調べたら「会社物語」という映画、たぶんそれだ。

TV放映で見たのだが、ストーリーは、会社に人生を捧げてきた定年ま近のさえない窓際社員(ハナ肇)が、転勤や上司、若手との軋轢などの中で葛藤しながらも、会社生活最後の夜に、やはり定年間際のクレイジーのメンバー扮する昔のJAZZ仲間と夜通しJAZZライブをやるというもの。このライブがかっこいい。ライブが終わった朝、通勤してくる会社員たちの流れと反対に歩き出す植木等の笑顔が悲しくもさわやかだった。

男の美学である。本物のダンディズムである。団塊の世代が定年を迎える今年、ぜひ再上映してほしい。
われわれも30年後、ぜひ定年記念ライブを夜通しやりたい・・・その年に定年の連中で集まってやるのだ。もっともそのころの定年はもしかすると75歳くらいで、徹夜のライブはきついかもしれないが・・・

2007年3月27日

桝川千明リサイタルVOL.3レビュー

以前お知らせした、3/25桝川千明氏マンドリンリサイタルが開催、盛況のうちに終了!
日本屈指の若手実力派ギタリスト・金庸太さんとのデュオは本当に素晴らしかった。今回も一聴衆かつスタッフとして、裏舞台及びリサイタルのレビューをしてみたい。

当日は昼まで大雨であり、石川県に大地震もあったりして、なかなか大変な日であった。朝からホールに入り、金さんもいらして録音をかねて熱のこもったリハーサル。僕の方は主催してくださるIさん、お手伝いのS君、金さんのGF、Mさんとチラシ入れの作業、その後、当日の打ち合わせなど。いつものコンサートよりは余裕があった。

現代ギターさんの取材もあった。そして開場、多くのお客様にご来場いただいた。このすばらしきデュオの演奏、ぜひ楽しんでいただきたい・・・との思いをこめてお客様にご挨拶した。今回も全曲を客席で聞くことはできなかった。しかし、1部は客席で聞けたので、今回ご来場いただけなかった方のためにも1曲1曲についてコメントしてみたい。

スペイン奇想曲
やはりこういう完全に手の内に入ったイタリアオリジナルを冒頭に持ってくるのは正解。マンドリンも金さんのギターも、練りに練られた歌い込みと安定したテクニックで華麗に聞かせてくれる。
ほとんど名人芸。

ルーマニア民俗舞曲
最初の第1曲で鳥肌が立った!この曲、本当にマンドリンに合う。今回一番のダークホースかもしれない。リズムのもたれこみも絶妙。

タンゴの歴史
非常にかっこいい金さんと千明氏のタンゴ・・・今回は全4曲完奏。やはり、第2曲のしみじみとした「間」に泣けそうになる。3曲目も軽快なテンポで余裕を感じる演奏。ピアソラのメロディには、堕落していくようなやるせなく暗い魅力があるが、二人の演奏はこの魔味を十分に感じさせてくれた。いつまでも聴いていたい・・・いいコンサートに必ず感じるあの気分を感じた。

以上、1部は選曲のセンス・演奏ともに、3回目のリサイタルとして集大成にふさわしいものであった。
肝心の2部であるが、舞台転換のため残念ながらここからは舞台裏のモニターでの鑑賞となる。
客席での聞こえ方とはまったく違うのでレビューとはならないが、曲順に以下の通りである。

アステリスク
なんとも不思議で魅力的な響きを持つアステリスク。残響の豊かな白寿では有効な曲だが、モニターではフラジオレットの微妙な響きが伝わってこない・・・しかし、客席で聞けばこの玄妙な世界を十分に味わえたろう。

即興詩
邦人現代ソロマンドリン曲の白眉。恐ろしいほどのパワーとスピードで演奏された。ちょっと押しまくりすぎた感はあった。あまりの音量にスピーカーで増幅させているのでは?との質問があったが、無論生音で次世代機・落合SSがいよいよ鳴り出したのである。凄まじい最後のストロークに、客席からどよめきが・・・

プーナとカルージョ
フーガ第一番
金さんのソロステージ。プナカルはフォルクローレっぽくて一度聞いたら絶対に忘れられない曲。(CD:Varie2収録)即興詩の爆発的な音楽の後にこの柔らかい甘い響きはたまらなく官能的である。
それにしても指が何本あるのかわからない千手観音状態プリングオフの曲。ここだけ異次元の雰囲気、さすがである。

マンドリンとギターのためのソナタ
トリは再びデュオによるステージ。オリジナル曲として圧倒的な内容・規模・難易度をもつ「ソナタ」。はっきり言って奏者を選ぶ曲である。とにかくかっこいい曲だが見ただけで卒倒しそうなものすごい譜面。それをメカニック的にクリアした上で音楽的に表現する域に完全に踏み込んだ演奏であった・・・とはいえ実は最後のほう少し力尽きた感もあったが、最後はいったいどこに隠されていたかと思うような音の洪水でフィニッシュ。客席どよめく。

アンコール・中国の太鼓
前回もクライスラーを取り上げていて、僕は個人的にこの傾向をすごく気に入っているのだが、大曲ソナタの後でちょっと疲れたのかやや空回りの感があった。最高に良いリハテイクを聞いているだけに残念・・・。

2曲目のアンコールは金さん編曲のアリラン。これがまたマンドリンとギターに本当に合う。本日の2頭めのダークホースである。アリランは金さんのソウルミュージックなのであろう。子守唄のような切々とした歌に甘酸っぱい思いがこみ上げてくる。こんな曲を後2.3曲聴きたかった・・・

2部は少し辛口になってしまったが、舞台裏のモニターで聞いたので、もし客席で聞いていれば、もっとふくよかで広がりのあるすばらしい響きだったろう。

ただ個人的には、2部にもう少し柔らかい曲がほしかった。すべて現代曲でまとめるにしても、ちょっと粋でしゃれっ気のある曲が入るとコンサートはもっと素敵な空間になったと思うのだがどうだろう。リサイタルとは別にもっと肩の力を抜いて聞ける小粋なポップスコンサートなど是非聴いてみたい。
とはいえ、ストイックなマンドリン道の求道者としてあえてこのプログラムで挑んだのであればその勇気をたたえたいし、ひとつの道を究めれば、必ず本物を求める多くの人に支持されるだろう。

というわけで多くの人たちのご協力により今回もリサイタルはつつがなく終了した。退館時間が迫り、ご来場いただいたバッカスの皆さんにあまり挨拶できなかったのが心残りであった。

なんといっても惜しみなく練習の時間をたくさん取って、音楽面で導いてくださった金さん、主催のIさん、ご来場いただいた皆さん、本当にありがとうございました!!

2007年3月23日

鈴木静一と大河

必要があってガラシャの総譜を読んでいたのだが、どんどん引き込まれてしまい、
ほとんど泣きそうになった。なんとすごい曲だろう。
ガラシャは明智光秀の娘にして、細川忠興の妻。キリスト教に帰依したのでガラシャ(グレイス)はその洗礼名。関が原の戦いの時、夫の細川忠興が東軍に属した為に、人質にとられることになり西軍に屋敷を囲まれたところ、家臣に胸を刺させ、屋敷を焼いてしまう。
悲劇的なその生涯、祈りつづけるガラシャの姿(ビジュアル的にはやはり長谷川京子
か)や、甲冑・白刃のきらめきの描写。そして燃え尽くす炎。最後のギターのアルペジオ
が花びらが散るみたいで切ない。

「都」でもそうだが、鈴木静一の情景描写のすごさには毎回うならされる。鈴木静一
がもし大河ドラマのテーマを書いていたらどんなに素晴らしかったろう。(ちなみに
今回の千住明の”風林火山”のはかなり良い)今からでも遅くないから既存の曲を使えないものか。すごくいいと思うんだが・・・

さて、企画だが一気呵成に書き上げてしまった!もうノリノリである。今回は後ろに大曲が控えているので珍しく7分くらいなのである。短いのだがその分内容がぎっしり詰まっている。しかも難易度的にはかなり弾き易いもの。とにかく奏者とお客さんがハチャメチャに楽しむためだけの曲である。
「楽・短・易」の三拍子がそろった企画と言うのは久しぶりではないか?まだまだとっておいて合宿でお披露目です。

2007年3月16日

究極のアンサンブルとは・・・

おくればせながら、たはごとがブログになりました。これからは日常のよしなしごとをさらに気軽につづっていくつもりです。

さて、家内とギタリストの金庸太さんとのデュオがすごい。これはたぶん金さんがすごいということだと思うのだが、家内も確実に影響され、金さんの音楽性を吸収している。

なにしろ初めて2人の練習を録ったMDをかけたとき、私は隣の部屋で寝ていたのだが飛び起きてしまった。音は間違いなく千明氏なのに、音楽がぶっ飛んでいる。金さんのギターも超一流。こんな組み合わせは聞いたことがない、と思った。

その後2人のデュオを2回聞いたのだが、いよいよ堂に入り、邑楽文化村で聞いたときは、1000人のホールの最後部座席でも、ある時は耳元に、ある時はブエノスアイレスから立体感のあるタンゴの歴史Ⅱ楽章が聞こえてきた。

それにしても今までにないこの音楽のドライブ感は何であろう・・・うまく説明できないが、千明氏も、そして僕も、「アンサンブル」とは相手と向かい合って、四つにがっしりと取っ組み合って作り上げるものという意識があり過ぎた気がする。だから音楽は合わせることに重点が置かれて手と足が自由にならず、相撲のように組み合ったまま音楽が動かなくなる。

しかし金さんと千明氏とのデュオは取っ組み合うのではなく、同じ方向を見ながら全力疾走している感じだ。両者自由な速さで走っているのだが、ゴールの瞬間は同じである。

2人とも相当のレベルの奏者だからこそできるのであろうが、合奏にも通じることがありそうな気がする。取っ組み合うのはいいのだが、みんなで同じゴールを見ていないと、やがて動きが止まってしまう・・・たとえば今年の展覧会、キエフの大門というゴールまで全員で一人も落伍することなく走れるかどうか・・・途中で取っ組み合いすぎて手前でスタミナ切れをしないようにしたい。

ちなみに2人の最新のリサイタルは・・・http://www16.ocn.ne.jp/~iguchi/

2007年3月13日

名も知らぬ人生の果てに・・・

ふと考えたのだが、いま自分が生きているということは確実に両親という二人の人間の存在があるからなのだが、両親にもそれぞれ両親がありさらにその両親にもそれぞれの両親があったのだけは絶対に間違いない。4代さかのぼれば30人もの人生が自分が生まれるためには必要だった。逆に言うとそれらの人々が生きた証拠がこの自分である。

いまの自分はこれら確実に存在した人々のそれぞれの人生が引き継いできた思いの突端にいるということでちょっと感動する。3代さかのぼれば顔も名も知らぬ人たちだが。
ちょっと罰当たりだがすべての曾祖父母の名前をあなたは言えるだろうか?
由緒ある家ならそういうことはすぐわかるだろうが、少なくとも僕はいま知らない。
確実に存在したのに、ひ孫の代には名前すら忘れられていく人々と人生、思えば悲しいが、庶民の9割9分はそうだろう。

これらのもう一人の自分・わが祖先の人々はどんな人生を送ったのか・・・
ためしに自分の生年から、一般に一世代30年といわれているので30年を引いていく。まず両親だが、型どおり1970から30年引いて1940年生まれ(本当はもう少し速い)さらに祖父母は1910年、曽祖父母は1880年その先は1850年、1820年、1790年・・・もう4代前は江戸時代だ。まあ、年代的に誤差はあるだろうが、この年代を参考に祖先の人生を日本史年表を片手に想像してみる。どれもつらい時代だ・・・確かにいたはずの別の自分たちの人生を思う。

僕は歴史学科出身だし、普段から歴史関係の本を読み漁っている。大河ドラマも好きだ。自分の祖先が名のある人ならどんなにいいかと思うが、残念ながらその見込みはまったくない。

一度両親に先祖は何か真剣に聞いてみたが「越後地方の水呑百姓」または「博労」となんともさえない答えであった。
たぶん間違いなく、昔の日本人の大部分を占めていた貧農で、日本残酷物語(平凡社)そのままの過酷な人生を積み重ねたのであろう。

そういった分身たちの苦闘の歴史を踏み台に自分はいま立っている・・・だから何か明日から変わるわけではないのだが、時々そんなことを考えて少し嬉しくなったり悲しくなったりする。

2007年3月12日

響きを揺らす

演奏会でギターを弾いていると、よく「ノリノリですね」といわれてしまう。確かにノリノリなのであるが、それよりも音源を揺らすことによって響きにうねりと深みを与え、予測不可能な反響の偶然を期待するという深いたくらみの元に楽器を動かしているのである。

体を動かしている演奏は目をつぶっていても動いて聞こえる。どんなに巧みでも、一箇所にとどまっている音楽は面白くない。音響学など知らないから経験則で感じるしかないが、マンドリンやギターは、音の指向性の強い楽器で、仮にこれをまったく動かさずに弾くと表面版の向いている方向にしか音が飛ばず、そこから跳ね返っていく反響音も常に一定のコースを飛び続けることになる。

しかし、たとえば表面版をたった5度うごかすだけで、20メートル離れたホールの後ろの席では数メートルのうねりがあるはず。音の飛ぶ方向が不規則に変わり、反射するものの形や材質によって無限の変化と広がりが生まれる。

演奏中は体を動かして音楽に立体感を与え、なるべくホールのいろいろな方向に音を飛ばして響きを探ってみるべきなのだ。

かつてバッカスでは「スインギン・ザ・マンドリン」で表面版をスイングさせて音楽を躍らせるという試みをした。が、どちらかというとヴィジュアル面での効果ばかり強調されて、本来の意図が果たせなかった部分がある。

僕が合奏中「体を動かして!」と指示するときはヴィジュアル面ではなく、音量記号とか速度記号、表情記号と同等の必然性があると思っていただきたいのである。体を動かさずに演奏するのが普通の、逆に言うと演奏しながら体を動かしづらい楽器であるマンドリンの表現力をすこしでも高めるために・・・