やっと夏休みである。一日目実家に一泊した後、翌日は地元の荒川に釣りに行く。この4~5時間ほどだけが、僕の本当の夏休みである。しかし夢中になって川の中で3回転んだ。すぐそばには武蔵水路が渦を巻いていてかなり危険な場所であった。もし急流に飲まれたら、人気の全くない場所なので、そのまま行方不明、合宿はおろか本番にも穴を開け、会社にも家族にも楽団にも大変な迷惑をかけることになったろう。夜になってからすごく反省して眠れなくなり、ほとんど寝ないで合宿に行くこととなった。
夏休み3日目の朝、武蔵野線で岩井に。 暑い!ようやく夏らしい夏となった。汗だくで川金に到着。 合宿の日常については、バッカスBLOGのほうがよっぽど面白いので、そちらに譲ることとし、曲を中心に。
ザンパ
もともと大好きな曲で、今までバッカスでやらなかったのが不思議な曲である。出だしのテンポや途中のアッチェルに苦労しているようだが、音の抜けはすばらしく良い。
プレ3
やっぱり吉水先生の曲はいい。一曲はいっているだけで去年の交響的に引き続き、演奏会の雰囲気がすごく良くなる。最近プレ4も完成ということで・・・先生、ぜひとも・・・。小川君も自由自在に歌えるようになった。
東洋
なんていうか、やっぱりアマディは安心する。このメロディ&リズムっていう単純な構造がシンプルで心地よい。ともすると単調になりがちだが、メロディに魅力があるので何度演奏しても飽きない。
そどれみ
何しろ忙しいメドレー、10分間で37の人格(音格か?)を使い分けなければならない。でも、とても楽しい。我ながら凝りすぎて笑ってしまう部分もあるし、不意を突かれて涙してしまう箇所もある。お客さんで37曲全部わかった人はすごい。何か上げたい。
1812
この合宿ではあやふやな部分をすべてつぶした。特に難関・アレグロ・ギストをできるまで何度もパート弾き。いつにない本気のこだわりにみな肝をつぶしたようだ。最後の大合唱・大行進も重点的にやった。 ナポレオンのこと、ロシアという国について・・・。いろいろ話したのもこのとき。すべては心のこもった生きた音楽をお客さんに届けるためである!
ディスコ・モスクワ
吉田剛士・湯淺隆さんの曲。もし、ソ連時代のモスクワにディスコがあったら・・・という感じの曲。剛士さんにお許しを得て、パーカスもろもろを入れさせていただいたが、もうノリノリ!演奏会は最後の最後にとんでもないことになりそうだ。
前の晩ほとんど寝ていなかったので1日目の宴会は敬遠、ぐっすり寝るつもりだったが・・・。階下の宴会が盛り上がりすぎて眠れない!1日目から朝まで。いったいなんであんなに盛り上がっているのか。1日目寝たい人は耳センが必要である。
翌日はパー練後恒例の海へ。 もう期待も無く、一種さとりをひらいてアラフォー男だけで繰り出したが、2名ほど女子も水着で参加してくれた。ありがとう。30代最後の夏の記憶にそこだけ色がついている・・・。気のせいかビーチも例年よりさびしい気がする。
2日目昼は合宿最長の練習時間。いつに無く長く真剣な練習。夜の合奏は、例によって、テンション・人数ともに最高潮の演奏である。 かなりの手ごたえを覚えつつ2日目の練習を終えた。 そして打ち上げ。今年も盛り上がって楽しかった。深夜若人たちは流星群を見に海へ行き、比較的古株の連中で、いつに無く来し方行く末いろいろ語って、楽しかった。 飲みながらいろいろ聞いたが、今年もいくつもカップルが出来たようだ・・・。若いってうらやましい。ここ何年かバッカス女子が他団体男子にさらわれることが多く焦りを感じていたのだが、最近は必ずしもそうでもないらしい。この日も興奮と喧騒で朝方までほとんど眠れなかった! 翌日、軽く練習する。疲れきって帰宅。ここ3日ほとんど寝ていないことになり、家に帰るや、即爆睡した。
合宿があけて翌週、クラリネットの賛助さんが入って土日連続練。ゲネの日は気合が入りすぎてところどころのパートで絃が切れた。今年のバッカスは「強い」。本番直前に絃がキレまくるとは、実に昔のよき時代のようだ。この日の飲みは、5.6年に一度といっていいほど強烈に酔ってしまった。 最終日の合奏は、パーカッション全員参加。パー練を交え、とことん要注意箇所をやる。本音をいうと、例年、合宿後の練習は割りと力を抜いて、ああ、もう速く本番が来ればいいのに、なんて思うのであるが、今年は最後まで音楽に向き合っている感じだ。完成度が達していないわけではなくて、ただひたすらに合奏が楽しいのである。
最後の練習、最後の1812、正直涙が出そうなくらいよかったのだが、本番前なので、「OK!」くらいの感じにしておいた。涙は本番までとっておこう・・・。
そして本番直前。今は早くも秋風が吹き出している。が、夏はまだ終わっちゃいない。終われない!バッカスを聴くまでは。
というわけで、8/29(土)17時、かつしかシンフォニーヒルズにて団員一同ご来場をお待ちしております。
バッカスマンドリーノの指揮者たちが日々の雑感などを徒然なるままに書き綴ります。マンドオケを中心とする音楽への飽くなき探求から、マニアックな趣味、果ては社会問題・現代世相まで何でもアリです。
2009年8月27日
2009年8月21日
夏合宿都市伝説
夏だ、怪談だ、都市伝説だ!というわけで、バッカスの夏合宿にまつわる都市伝説をいくつか。
岩井で出会う万度人たちの挨拶・・・。音楽系サークルが多い岩井でも、垢抜け洗練された雰囲気のマンド人。仲間と思しきマンド人をみかけたら「マンドローネ!」と叫ぶのがマンド界の常識になっている。この場合「ロ」にアクセントをいれ、少し巻き舌にするのがポイント。
朝まで大騒ぎで飲み明かす・・・。モノのたとえでよく使われる表現だが、バッカスの合宿の場合、本当の本当にこれをやる。しかも連日。いつ寝てるんだろう。途中で抜けて寝るのはもちろん可能だが、耳栓が必要。
男女混合騎馬戦・・・。数年前岩井海水浴場で行われ、伝説になったイベント。男たちが作る馬に水着の女子が乗り、頭につけた「ポイ」を水鉄砲で撃つもの。5.6騎が生き残りをかけて激闘し、一般の海水浴客もこれを見物。その後、なぜか定着せず、現在はアラフォー男数人が波間に戯れるという寂しい展開に。
川きん百物語・・・。数年前、本格的百物語をやることになり、夜、各自用意したシャレにならないほど怖い怪談を語りつつ、本当にろうそくを一本一本消していった。結局合宿では何も起こらなかったが、その年の本番、パーカッションが本番ギリギリまで届かない、指揮者が礼服のズボンを忘れる、トリ曲の最後がズレる、などの怪現象が頻発した。その後、夏合宿で怪談大会をやることは究極のタブーとなっている。
打ち上げ伝説・・・。最近はけしてそんなことは無いが、バッカスの夏合宿の打ち上げといえば、盛り上がったあまり暑いのか、涼しい格好になるかたが結構いた。そんな際、フルーツ盛り合わせ用の半分に割ってくりぬいたパイナップルが活躍した。まれにあわびやサザエ・鯛のおかしらも・・・。隠しきれたのだろうか。また、あわびと紐で女性用の水着を作ったものがいたとか、さらにそれを着用したものまでいたと言う伝説もあった。また、女装は定番だが、中には凝りに凝って完全脱毛してチャイナドレスを着るものまで現れ、その美しさはシャレにならなかったそうな。
本当はもっとすごい都市伝説もあるのだが・・・。ここにはかけない。
20年近くやっているといろんなことがあるものだ。もっと知りたい人は、本番および、練習見学にどうぞ!!
岩井で出会う万度人たちの挨拶・・・。音楽系サークルが多い岩井でも、垢抜け洗練された雰囲気のマンド人。仲間と思しきマンド人をみかけたら「マンドローネ!」と叫ぶのがマンド界の常識になっている。この場合「ロ」にアクセントをいれ、少し巻き舌にするのがポイント。
朝まで大騒ぎで飲み明かす・・・。モノのたとえでよく使われる表現だが、バッカスの合宿の場合、本当の本当にこれをやる。しかも連日。いつ寝てるんだろう。途中で抜けて寝るのはもちろん可能だが、耳栓が必要。
男女混合騎馬戦・・・。数年前岩井海水浴場で行われ、伝説になったイベント。男たちが作る馬に水着の女子が乗り、頭につけた「ポイ」を水鉄砲で撃つもの。5.6騎が生き残りをかけて激闘し、一般の海水浴客もこれを見物。その後、なぜか定着せず、現在はアラフォー男数人が波間に戯れるという寂しい展開に。
川きん百物語・・・。数年前、本格的百物語をやることになり、夜、各自用意したシャレにならないほど怖い怪談を語りつつ、本当にろうそくを一本一本消していった。結局合宿では何も起こらなかったが、その年の本番、パーカッションが本番ギリギリまで届かない、指揮者が礼服のズボンを忘れる、トリ曲の最後がズレる、などの怪現象が頻発した。その後、夏合宿で怪談大会をやることは究極のタブーとなっている。
打ち上げ伝説・・・。最近はけしてそんなことは無いが、バッカスの夏合宿の打ち上げといえば、盛り上がったあまり暑いのか、涼しい格好になるかたが結構いた。そんな際、フルーツ盛り合わせ用の半分に割ってくりぬいたパイナップルが活躍した。まれにあわびやサザエ・鯛のおかしらも・・・。隠しきれたのだろうか。また、あわびと紐で女性用の水着を作ったものがいたとか、さらにそれを着用したものまでいたと言う伝説もあった。また、女装は定番だが、中には凝りに凝って完全脱毛してチャイナドレスを着るものまで現れ、その美しさはシャレにならなかったそうな。
本当はもっとすごい都市伝説もあるのだが・・・。ここにはかけない。
20年近くやっているといろんなことがあるものだ。もっと知りたい人は、本番および、練習見学にどうぞ!!
2009年8月19日
1812リットルの汗と涙と汁と
1812年であるが、いよいよ佳境に入ってきたので、曲のモチーフと史実についてすこし。
日本で言えば徳川家康の頃まで、ロシアはタタール(モンゴル人の末裔)に支配されていた。モスクワ大公イワン3世によって開放されたものの、ロシアはヨーロッパとは言いがたいほどに後進的で、ピョートル大帝によって急激な西欧化を果たし、有名なエカテリーナ2世によって東欧最大の強国に成り上がるが、農奴制という前近代的なシステムを固持していた。
そして18世紀末、革命後、周辺から袋叩きにあった瀕死のフランスから、一人の英雄が現れる。ナポレオンである。常識を超えた移動の速さ、効率的な大砲の運用、必要な時と場所に兵力を集中する緻密な作戦能力であっという間に全ヨーロッパを席巻する。 しかし調子に乗って皇帝になった頃から雲行きが怪しくなる。大陸封鎖令に従わないロシアに宣戦布告、同盟国を合わせて60万でポーランドから侵攻。時は1812年6月、ロシアの初夏は南国の兵たちが震え上がるほど涼しかったという。
最初のコラール、ロシア正教の聖歌。これは、リムスキー=コルサコフのロシアの復活祭でも冒頭に出てくるが、ロシアの精神文化にとってこの東方教会の存在ほど大きいものはない。数あるキリスト教の分派の中でも、飛び切り荘厳・重厚な様式は、ロシア皇室の神権的絶対君主制と結びついて、ロシアの風土に深く根ざしている。 ロシア皇帝アレクサンドルは、全ロシアの正教会にフランスの調伏・ロシアの勝利を祈らせたというから、ロシア各地でこの曲の冒頭のような光景が見られたに違いない。人々の不安と絶望と嘆きのコラールの中から一筋の光のように一節の聖句がひびく。「神は必ず皇帝を守りたもう」ここから人々の気持ちがナポレオンとの対決に決然と向かっていく。
この曲の秀逸な点は、臨場感あふれる戦闘描写だと思う。ナポレオンの頃の戦争を描いた絵を見ると、広々とした丘陵などで、色とりどりの派手な軍服に身を包んだ兵士たちが、規則正しく隊列を組んで向かい合っている。戦場にはところどころに砲煙がたちこめているが、入り乱れて戦うというよりも、指揮官により規律正しく進退している感じである。この頃すでに中世的な個人的武勇は不要となり、大砲などの重火力を中心に、兵士を分散・集中・移動させることで敵の退路を断ち、打撃を与え、戦意を失わせる、という近代戦争の形式が出来上がっている。
そういえばこの時代の小銃はまだ先込め式の単発銃が中心である。一発撃ったら、次弾の装填にとてつもなく時間がかかるので、どちらが先に撃つか・・・その駆け引きのスリルは、かなりのものだったろう。あせって先に射程外で撃ってしまえば、あとは敵の弾を待つしかない。この恐怖とあせりをアレグロ・ギストの切迫感が見事にあらわしている。 馬蹄のとどろき、銃剣のひらめき、吹き上がる砲煙をよくもこれだけ音符でリアルに表現できたものである。やがて高らかに響くラ・マルセーズ。無論ナポレオンの凱歌である。
ラ・マルセーズはナポレオンの時代にはフランスの国歌に制定されていなかったが、颯爽としたヨーロッパ最強のナポレオン軍を現すのにはぴったりである。 このマルセーズと後に出てくる泥臭いロシア国歌との対比が面白い。 ナポレオン軍はとにかくヨーロッパ最強・最先端で洗練されている。その制服は世界の服飾史上、この上なく華麗で豪華で粋である。 何よりも規律とスピードを愛し、道路の右側通行を考案している。兵站を重視し、缶詰や瓶詰めを発明した。偵察のため気球すら研究している。彼が考案した腕木通信(人の腕のような標識をいろいろな形に曲げ、望遠鏡でそれを真似し情報を逓伝していく)は無線が発明されるまで最速の通信手段であった。
砲煙を潜り抜けてこの上なくかっこよく鳴り響くトランペットの響き。フランスにあこがれていたチャイコフスキーだけあって、敵方であるナポレオンにも敬意を抱いているのが良くわかる。 激闘の末ナポレオンがモスクワに入ったのは9月。占領してみればそこはもぬけの殻であった。住民が軍の厳命により、一人残らず避難していたのである。これは無論、住民の安全を図るというより、住民が占領軍に食事や宿泊施設を提供することを嫌ったのである。国民にそんなことを強制できるのは、皇帝が神に近い権力を持つロシアならではの戦術である。
その後、モスクワはロシア側によって放火される。モスクワは全焼。ロシアの恐ろしい冬を前にナポレオンは宿舎はもちろん持ち込んだ食料さえも失った。 自信家のナポレオンはモスクワにまで攻め込めば、アレクサンドルは講和に応ずると見ていた。しかし、ナポレオンの苦境を読みきっているアレクサンドルは高飛車な講和条件をはねつける。 11月、大地が凍り始め、日に日に食料不足と寒さに少なくなるナポレオン軍の背後でパルチザンとなった民衆がひそかにうごめき始める。
このくだりは音楽で見事に再現されている。 凍っていく大地をあらわすティンパニのかすかなロール。虚勢を張るがどこかうつろなナポレオンのマルセーズ。その背後で跳ね回る絃のロシアの民衆(パルチザン)を現すテーマ。 そしてこれはキリストの「復活」を非常に重視する正教の精神とも通じる。復活というキーワードにはロシア人の死生観が良くあらわれている。 ここからは一気呵成だ。有名な長い長い分散和音。これはどんどんritしてくるが、勢いを失うナポレオン、逆に人数と重みを増していくロシア勢、という対比を見事に表している。
また、思うに悪名高いロシアの悪路のぬかるみをイメージしているような気もする。かつて、ローマ帝国がわざわざ石畳の軍用道路を作ったことでもわかるように、ヨーロッパの柔らかい大地に出来た道は非常にもろい。一日に何万もの兵士、馬車が通れば、道はでこぼこでぬかるみの溝のようになってしまったという。道が悪いことで有名なロシアはなおさらだ。 こんな道路を敗走していくナポレオン軍は最悪の状態だったろう。 飢えと寒さと疲れとぬかるみに足をとられる兵士たちを、地元の農民たちが次々に捕らえて処刑したという。
この当時戦利品を兵から買い取り、運ぶために商人たちが多数軍隊に従っていたが、彼らは積み込んだ財宝を惜しみ、乗せていた負傷兵を捨てて逃げた。かくして60万人のナポレオン軍で無事戻ったのは5000人。 ロシア軍も一方的に勝ったわけではない。ナポレオン軍と同等の戦死者を出したというし、戦闘地域や通過地域の農民の死者はそれをはるかに上回ったという。両軍および一般民衆合わせて数百万人単位というのだから、近代の大量殺戮戦争の走りだったのだ・・・。
その悲惨な戦争から70年後・・・ある楽譜出版社から「こんどの産業博覧会で大衆ウケしそうな派手な序曲をなにかかいてくれない?」と持ちかけられて激怒したチャイコフスキーだったのだが、その割には大昔に起きた戦争を良く取材し、忠実に再現したものだと思う。たった2週間で書き上げられたわかりやすい描写音楽だが、少しもチャイコの芸術性を失っていないのはさすがである。
さて、バッカスの1812年・・・14年前と変わったところ。 まず編曲が小穴さんなのでマンドリンオケではこれ以上のものはないであろう。メンバーも大きく入れ替わりほとんど全て第3世代以降の若い人たち。前回の1812を経験している人は10名いるかいないか。 一番変わったのは・・・たぶん僕の棒だろう。前回よりも20倍くらいにましになっていると自負しているのだが。 しかし、2度目でも手ごわいものは手ごわい・・・。合宿では相当根を詰めた。数年ぶりに「必死」である。今の気分はなんとか、冬の訪れが来るあの大逆転のあたりだろうか?
日本で言えば徳川家康の頃まで、ロシアはタタール(モンゴル人の末裔)に支配されていた。モスクワ大公イワン3世によって開放されたものの、ロシアはヨーロッパとは言いがたいほどに後進的で、ピョートル大帝によって急激な西欧化を果たし、有名なエカテリーナ2世によって東欧最大の強国に成り上がるが、農奴制という前近代的なシステムを固持していた。
そして18世紀末、革命後、周辺から袋叩きにあった瀕死のフランスから、一人の英雄が現れる。ナポレオンである。常識を超えた移動の速さ、効率的な大砲の運用、必要な時と場所に兵力を集中する緻密な作戦能力であっという間に全ヨーロッパを席巻する。 しかし調子に乗って皇帝になった頃から雲行きが怪しくなる。大陸封鎖令に従わないロシアに宣戦布告、同盟国を合わせて60万でポーランドから侵攻。時は1812年6月、ロシアの初夏は南国の兵たちが震え上がるほど涼しかったという。
最初のコラール、ロシア正教の聖歌。これは、リムスキー=コルサコフのロシアの復活祭でも冒頭に出てくるが、ロシアの精神文化にとってこの東方教会の存在ほど大きいものはない。数あるキリスト教の分派の中でも、飛び切り荘厳・重厚な様式は、ロシア皇室の神権的絶対君主制と結びついて、ロシアの風土に深く根ざしている。 ロシア皇帝アレクサンドルは、全ロシアの正教会にフランスの調伏・ロシアの勝利を祈らせたというから、ロシア各地でこの曲の冒頭のような光景が見られたに違いない。人々の不安と絶望と嘆きのコラールの中から一筋の光のように一節の聖句がひびく。「神は必ず皇帝を守りたもう」ここから人々の気持ちがナポレオンとの対決に決然と向かっていく。
この曲の秀逸な点は、臨場感あふれる戦闘描写だと思う。ナポレオンの頃の戦争を描いた絵を見ると、広々とした丘陵などで、色とりどりの派手な軍服に身を包んだ兵士たちが、規則正しく隊列を組んで向かい合っている。戦場にはところどころに砲煙がたちこめているが、入り乱れて戦うというよりも、指揮官により規律正しく進退している感じである。この頃すでに中世的な個人的武勇は不要となり、大砲などの重火力を中心に、兵士を分散・集中・移動させることで敵の退路を断ち、打撃を与え、戦意を失わせる、という近代戦争の形式が出来上がっている。
そういえばこの時代の小銃はまだ先込め式の単発銃が中心である。一発撃ったら、次弾の装填にとてつもなく時間がかかるので、どちらが先に撃つか・・・その駆け引きのスリルは、かなりのものだったろう。あせって先に射程外で撃ってしまえば、あとは敵の弾を待つしかない。この恐怖とあせりをアレグロ・ギストの切迫感が見事にあらわしている。 馬蹄のとどろき、銃剣のひらめき、吹き上がる砲煙をよくもこれだけ音符でリアルに表現できたものである。やがて高らかに響くラ・マルセーズ。無論ナポレオンの凱歌である。
ラ・マルセーズはナポレオンの時代にはフランスの国歌に制定されていなかったが、颯爽としたヨーロッパ最強のナポレオン軍を現すのにはぴったりである。 このマルセーズと後に出てくる泥臭いロシア国歌との対比が面白い。 ナポレオン軍はとにかくヨーロッパ最強・最先端で洗練されている。その制服は世界の服飾史上、この上なく華麗で豪華で粋である。 何よりも規律とスピードを愛し、道路の右側通行を考案している。兵站を重視し、缶詰や瓶詰めを発明した。偵察のため気球すら研究している。彼が考案した腕木通信(人の腕のような標識をいろいろな形に曲げ、望遠鏡でそれを真似し情報を逓伝していく)は無線が発明されるまで最速の通信手段であった。
砲煙を潜り抜けてこの上なくかっこよく鳴り響くトランペットの響き。フランスにあこがれていたチャイコフスキーだけあって、敵方であるナポレオンにも敬意を抱いているのが良くわかる。 激闘の末ナポレオンがモスクワに入ったのは9月。占領してみればそこはもぬけの殻であった。住民が軍の厳命により、一人残らず避難していたのである。これは無論、住民の安全を図るというより、住民が占領軍に食事や宿泊施設を提供することを嫌ったのである。国民にそんなことを強制できるのは、皇帝が神に近い権力を持つロシアならではの戦術である。
その後、モスクワはロシア側によって放火される。モスクワは全焼。ロシアの恐ろしい冬を前にナポレオンは宿舎はもちろん持ち込んだ食料さえも失った。 自信家のナポレオンはモスクワにまで攻め込めば、アレクサンドルは講和に応ずると見ていた。しかし、ナポレオンの苦境を読みきっているアレクサンドルは高飛車な講和条件をはねつける。 11月、大地が凍り始め、日に日に食料不足と寒さに少なくなるナポレオン軍の背後でパルチザンとなった民衆がひそかにうごめき始める。
このくだりは音楽で見事に再現されている。 凍っていく大地をあらわすティンパニのかすかなロール。虚勢を張るがどこかうつろなナポレオンのマルセーズ。その背後で跳ね回る絃のロシアの民衆(パルチザン)を現すテーマ。 そしてこれはキリストの「復活」を非常に重視する正教の精神とも通じる。復活というキーワードにはロシア人の死生観が良くあらわれている。 ここからは一気呵成だ。有名な長い長い分散和音。これはどんどんritしてくるが、勢いを失うナポレオン、逆に人数と重みを増していくロシア勢、という対比を見事に表している。
また、思うに悪名高いロシアの悪路のぬかるみをイメージしているような気もする。かつて、ローマ帝国がわざわざ石畳の軍用道路を作ったことでもわかるように、ヨーロッパの柔らかい大地に出来た道は非常にもろい。一日に何万もの兵士、馬車が通れば、道はでこぼこでぬかるみの溝のようになってしまったという。道が悪いことで有名なロシアはなおさらだ。 こんな道路を敗走していくナポレオン軍は最悪の状態だったろう。 飢えと寒さと疲れとぬかるみに足をとられる兵士たちを、地元の農民たちが次々に捕らえて処刑したという。
この当時戦利品を兵から買い取り、運ぶために商人たちが多数軍隊に従っていたが、彼らは積み込んだ財宝を惜しみ、乗せていた負傷兵を捨てて逃げた。かくして60万人のナポレオン軍で無事戻ったのは5000人。 ロシア軍も一方的に勝ったわけではない。ナポレオン軍と同等の戦死者を出したというし、戦闘地域や通過地域の農民の死者はそれをはるかに上回ったという。両軍および一般民衆合わせて数百万人単位というのだから、近代の大量殺戮戦争の走りだったのだ・・・。
その悲惨な戦争から70年後・・・ある楽譜出版社から「こんどの産業博覧会で大衆ウケしそうな派手な序曲をなにかかいてくれない?」と持ちかけられて激怒したチャイコフスキーだったのだが、その割には大昔に起きた戦争を良く取材し、忠実に再現したものだと思う。たった2週間で書き上げられたわかりやすい描写音楽だが、少しもチャイコの芸術性を失っていないのはさすがである。
さて、バッカスの1812年・・・14年前と変わったところ。 まず編曲が小穴さんなのでマンドリンオケではこれ以上のものはないであろう。メンバーも大きく入れ替わりほとんど全て第3世代以降の若い人たち。前回の1812を経験している人は10名いるかいないか。 一番変わったのは・・・たぶん僕の棒だろう。前回よりも20倍くらいにましになっていると自負しているのだが。 しかし、2度目でも手ごわいものは手ごわい・・・。合宿では相当根を詰めた。数年ぶりに「必死」である。今の気分はなんとか、冬の訪れが来るあの大逆転のあたりだろうか?
2009年8月6日
全国高校マンドリンフェスティバル
コーチしている館林女子高が15年ぶりに全国大会に出場。大阪まで同行してきた。
数多くのプロや名プレイヤーを輩出した全国高校フェスティバル、家内は20年ぶり、僕は初めてである。
7月19日、直接会場入り、1日目の午後の部から演奏を見る。7校しか見れなかったが、この日度肝を抜かれたのは坂野さんの月の記憶をやった静岡の学校と、シェヘラザード4楽章をやった長野の学校。
前者は、坂野さんのこの曲をやるというセンスもさることながら、奏者がノリノリである。リズムが生命にあふれきっていて、かつ音が抜けきって爽快この上なかった。中間部の神秘的な感じもよし。
後者は、とにかくきびきびしたリズム感とスピード・メリハリに驚愕。複雑なリズムの絡み合いの中で、メロディをはっきり聞かせるこだわりが見える。とにかく豪快。僕の好み直球ストライクな曲目・演奏である。 凄腕のコーチと、その期待にこたえるだけの生徒のノリと技量がすばらしい。
ホテルに戻って、自分の高校の練習。父兄の皆さんも呼んで最後の練習。とんでもなくハイレベルな他校の演奏を聴いて、生徒たちの気合も違う。 女子高とは思えない豪快かつ繊細、歌にあふれた会心のプレ2である。 いつになく真剣かつ貴重な時間の後、たこ焼きで打ち上げ。
大阪の夜は、父兄の方や先生たちと一杯なんて思っていたのであるが、あいにくの大雨で僕と家内は近所の喫茶店で深夜までコーヒーを飲みつつ、今日の感想や明日への期待を語る。
翌朝、会場で出番まで直前練習。ここで取って置きのサプライズ。突然の吉水先生の登場である。生徒たちは大好きなプレ2の作曲者に直接指導してもらえるということで大感激。もちろんこれは事前に僕のほうから吉水先生に打診をしていたのであり、当日お忙しい中、わざわざお越しくださったのである。
そして15分程度だったが先生ご自身の指導により、プレ2はさらに生き生きと生まれ変わった。特に何度指導しても歌いきれなかった部分が、吉水先生の指揮で見事に歌えるように・・・。僕としては「いままでなんだったんだよ!」という気がしないでもないが。 それから直前ではあるが、吉水先生の提案で、ある部分で微妙に音楽をとめることに。直前でこれは厳しいかと思ったが、できそうだし、劇的によくなったのでやることに。ほとんどぶっつけだ。がんばれ。
さて、出番。つかみのドラとチェロの冒頭のメロディが、非常に美しく柔らかく出来たのでほっとした。指揮者も奏者も体を動かし、のびのびと全身で歌っている。アレグロではきびきびと鬼気迫るテンポ。マンドリンは咆え、ギターは狂い。重厚なベースはしかし俊敏に斬り込んで来る。百雷が落ちかかるようなユニゾンのストローク。これはたった20数人の音とは思えない。いままで指導してきた歴代の1~4期生たちのかなわなかった想いが、生霊のようにステージに立ち、一緒にかき鳴らしているのであろう・・・。 吉水先生に指導いただいた一瞬止める部分も上手くいった。あっぱれ! 見ているこちらも悔いなく聞き終えることが出来た。
結果は優秀賞!もちろん十分すぎるうれしい受賞である。 演奏後の講評で、F掛先生が指揮者の音楽性とアンサンブルの良さ・迫力をほめてくださったとともに、歌がすばらしいと何度も言って下さった。どんな賞よりもこの言葉がうれしい。
さてこのあと、引き続き他校の演奏を聴く。時間の関係上やはり午後から8校分しか聞けなかった。 その中で言えば、兵庫・広島・奈良の高校の演奏が卓絶していたが、僕にとって今回(といっても15校しか聞いていないが)の中で一番の演奏は兵庫の福崎高校の「イーゴリ公」序曲であった。指揮者がとにかくすばらしいし、奏者も自由な魂でのびのびと演奏している。リズムは野生馬のように剽悍で、音色は色彩にあふれ明るく豊か。歌ごころもたっぷりで、なにより、指揮者を中心に奏者の表情が嬉々としていた。 高校生とか社会人とか関係なくこれは理想の演奏である。
あと2校は特別賞の常連だけあって、うわさどおりの奇跡のような凄演であった。技術もぬきんでており、超有名な高校である。ほかに期待していた高校もあったのだが、時間の関係で聞けず、残念であった。
個人的には、音楽は奏者の自由な魂で、多少ラフでもいきいきと演奏されるのが僕の好みであり、「合奏」というのは、それぞれ違う個性・技量の持ち主が心をひとつに合わせるから「合奏」であり、一人残らず全てを一糸乱れずそろえたらそれは合奏ではなく「マスゲーム」なんじゃないか?などと、そんなことも考えた。
いずれにしろ、高校生たちのすさまじいパワーに圧倒された二日間であった。
数多くのプロや名プレイヤーを輩出した全国高校フェスティバル、家内は20年ぶり、僕は初めてである。
7月19日、直接会場入り、1日目の午後の部から演奏を見る。7校しか見れなかったが、この日度肝を抜かれたのは坂野さんの月の記憶をやった静岡の学校と、シェヘラザード4楽章をやった長野の学校。
前者は、坂野さんのこの曲をやるというセンスもさることながら、奏者がノリノリである。リズムが生命にあふれきっていて、かつ音が抜けきって爽快この上なかった。中間部の神秘的な感じもよし。
後者は、とにかくきびきびしたリズム感とスピード・メリハリに驚愕。複雑なリズムの絡み合いの中で、メロディをはっきり聞かせるこだわりが見える。とにかく豪快。僕の好み直球ストライクな曲目・演奏である。 凄腕のコーチと、その期待にこたえるだけの生徒のノリと技量がすばらしい。
ホテルに戻って、自分の高校の練習。父兄の皆さんも呼んで最後の練習。とんでもなくハイレベルな他校の演奏を聴いて、生徒たちの気合も違う。 女子高とは思えない豪快かつ繊細、歌にあふれた会心のプレ2である。 いつになく真剣かつ貴重な時間の後、たこ焼きで打ち上げ。
大阪の夜は、父兄の方や先生たちと一杯なんて思っていたのであるが、あいにくの大雨で僕と家内は近所の喫茶店で深夜までコーヒーを飲みつつ、今日の感想や明日への期待を語る。
翌朝、会場で出番まで直前練習。ここで取って置きのサプライズ。突然の吉水先生の登場である。生徒たちは大好きなプレ2の作曲者に直接指導してもらえるということで大感激。もちろんこれは事前に僕のほうから吉水先生に打診をしていたのであり、当日お忙しい中、わざわざお越しくださったのである。
そして15分程度だったが先生ご自身の指導により、プレ2はさらに生き生きと生まれ変わった。特に何度指導しても歌いきれなかった部分が、吉水先生の指揮で見事に歌えるように・・・。僕としては「いままでなんだったんだよ!」という気がしないでもないが。 それから直前ではあるが、吉水先生の提案で、ある部分で微妙に音楽をとめることに。直前でこれは厳しいかと思ったが、できそうだし、劇的によくなったのでやることに。ほとんどぶっつけだ。がんばれ。
さて、出番。つかみのドラとチェロの冒頭のメロディが、非常に美しく柔らかく出来たのでほっとした。指揮者も奏者も体を動かし、のびのびと全身で歌っている。アレグロではきびきびと鬼気迫るテンポ。マンドリンは咆え、ギターは狂い。重厚なベースはしかし俊敏に斬り込んで来る。百雷が落ちかかるようなユニゾンのストローク。これはたった20数人の音とは思えない。いままで指導してきた歴代の1~4期生たちのかなわなかった想いが、生霊のようにステージに立ち、一緒にかき鳴らしているのであろう・・・。 吉水先生に指導いただいた一瞬止める部分も上手くいった。あっぱれ! 見ているこちらも悔いなく聞き終えることが出来た。
結果は優秀賞!もちろん十分すぎるうれしい受賞である。 演奏後の講評で、F掛先生が指揮者の音楽性とアンサンブルの良さ・迫力をほめてくださったとともに、歌がすばらしいと何度も言って下さった。どんな賞よりもこの言葉がうれしい。
さてこのあと、引き続き他校の演奏を聴く。時間の関係上やはり午後から8校分しか聞けなかった。 その中で言えば、兵庫・広島・奈良の高校の演奏が卓絶していたが、僕にとって今回(といっても15校しか聞いていないが)の中で一番の演奏は兵庫の福崎高校の「イーゴリ公」序曲であった。指揮者がとにかくすばらしいし、奏者も自由な魂でのびのびと演奏している。リズムは野生馬のように剽悍で、音色は色彩にあふれ明るく豊か。歌ごころもたっぷりで、なにより、指揮者を中心に奏者の表情が嬉々としていた。 高校生とか社会人とか関係なくこれは理想の演奏である。
あと2校は特別賞の常連だけあって、うわさどおりの奇跡のような凄演であった。技術もぬきんでており、超有名な高校である。ほかに期待していた高校もあったのだが、時間の関係で聞けず、残念であった。
個人的には、音楽は奏者の自由な魂で、多少ラフでもいきいきと演奏されるのが僕の好みであり、「合奏」というのは、それぞれ違う個性・技量の持ち主が心をひとつに合わせるから「合奏」であり、一人残らず全てを一糸乱れずそろえたらそれは合奏ではなく「マスゲーム」なんじゃないか?などと、そんなことも考えた。
いずれにしろ、高校生たちのすさまじいパワーに圧倒された二日間であった。
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