2007年4月9日

古地図に思う

昔から地図が好きで、特に明治の古地図を集めていた。図書館にある古地図コレクションなんて最高に好きだ。航空写真地図のグーグルマップにはyoutube以上に興奮した。それで今、一応地図を作る仕事にかかわっているので、これでも少しは好きな仕事をしているといえる。
ところで民族の文明度が最も反映されるのはその国の地図だと思う。地図こそその時代の最新の数学・測量術・絵画の技法・人文地理など、あらゆる技術の結晶だから。ある未開の部族に、地面に世界地図を書いて俺たちはここから来た、お前たちの国はここだ、と説明をしたら、何でこの地面にお前たちの国があるんだ、とまったく理解できなかったらしい。
頭の中の観念を2次元にして表現できることが文明そのものといっていいだろう。

それでその図書館の日本の古地図コレクションが面白い。現存する日本最古の公式地図、行基図(室町)だが、すごくいい加減なのだ。国ごとに丸いもちみたいなのを葡萄の房状にくっつけて、簡単な道路が書いてあるだけ。しかも仏教の関係で西つまり九州が上になっているので、かなり変である。
その後、戦国・江戸時代初期まで時代は下っても日本地図は概念図程度のもので、よく昔の人はこれで旅や政治をしたと思う。戦国時代なんて他領の地図なんて無いから、大名はまず戦争をする前に隣国の道路と地形を詳細に調べなければならなかったろう。また地元の案内人を味方につけないとどうにもならなかったろう。名将といわれる人々はこういった地道な努力を惜しまなかったに違いない。

江戸時代になって、だいぶ日本列島の形がさまになってくるが、北海道の北半分がものすごく北に伸びて粉々に吹き飛んでいるようなとんでもない形をしているし、朝鮮が島になったりしている。海のすぐ向こうには、女人国(本当にあったら行きたい)とか羅刹国とか黒人国とかがありまだまだである。

それで、江戸後期になるとようやく伊能忠敬の大日本沿海與図がでてくる。これはすごい精密さで、今の日本地図とほぼ同じである。この人は特に幕府から命じられてやったわけではない。隠居してから趣味をかねて自費で始めてここまですごい地図を作ってしまったのである。何年もかかっているが、未調査の部分を想像で書いたり、勝手に女人国を作ったりせずに「白」にしてある。ここが実にすばらしい。江戸の数寄者文化と世界レベルの合理精神の集大成である。

のちに幕末、イギリス人が日本の海岸を測量したいといってきたそうだが、幕府はこれがあるからその必要は無いと伊能図を見せた。イギリス人はあまりに精密なのに驚き、測量を取りやめた。攘夷熱が盛り上がっている当時の日本の津々浦々にイギリスの測量船が現れたら、とんでもない騒ぎになっていたろう。薩長勢力の後ろ盾だったイギリスとの関係が悪化していたら、明治維新もどうなっていたかわからない。
伊能忠敬の遊び心が日本を救ったとさえいえる。