初練習のシーズンが近づくと、指揮者とTOPのみによる練習が行われる。
全員参加の初練習の前に譜面合わせも兼ね、TOPは曲の全貌をつかみ、指揮者は曲の進め方・引っかかるところを大体つかんでおくことが出来る。
例年、曲によって雰囲気が暗くなったり(難しくて)、明るくなったりするが、今年はわいわい騒ぎながら結構楽しく出来た。
1曲目はシリウス。80人近い団体で!?・・・と思われる方もいようが、これもまた牛刀で鶏を裂くということでアリである。
小川君はメソドをマスターしているので、大人数でも整然と合わせてくれるであろう。
2曲目は吉水先生の交響的前奏曲。最新曲である。むちゃくちゃかっこいい!大注。今回は吉水先生にフルートパートを加筆していただいた。この曲は手ごわいが今回のコンサートの目になりそうである。
3曲目は華燭の祭典。僕にとっては本当に大好きで懐かしい曲である。マネンテはSINFONIA、国境、アゾレス、瞑想、マン芸あたりが好きであるが、華燭は華やかさで一番である。特に2楽章はマンド関係者にとっては披露宴で演奏したい曲上位ではないだろうか?
今年は結婚する団員が多いということで選曲されたといううわさもある。振るのはやはり新婚の小川君。
そして僕が指揮するのは2部のバレエ組曲「くるみ割り人形」。
バレエ組曲なのでおなじみの曲ばかりである。
展覧会に比べればもちろんメカニックは楽ではあるが、どの曲も誰もが知っている曲だけに、余裕を持って美しく演奏しなければいけない。
今回はメロディを軸に自由自在に歌える音楽を目指すつもり。メロディとリズムが他人行儀になることなく、テンポから解放された音楽が表現できるよう挑戦するつもり。
この前に企画曲が入る。実はもうほぼ決定した。今年は去年以上に楽しくにぎやかなステージになるであろう!でもまだ秘密。
今年は楽しそう。初練習まで待てない気分である。
今年の選曲は、久しぶりに復帰できそうな団友さん、あるいは社会人団体というものを見学してみたい方、(学生さんは参加費無料!新人さんは社会人でも半額!こんな団体は他に無いと思う)常連にも新人さんにも気軽にとりくみやすい選曲といえよう。
さあ、3/1は砂町文化センターに全員集合!
バッカスマンドリーノの指揮者たちが日々の雑感などを徒然なるままに書き綴ります。マンドオケを中心とする音楽への飽くなき探求から、マニアックな趣味、果ては社会問題・現代世相まで何でもアリです。
2008年2月26日
2008年2月14日
you might be・・・
なぜか今頃、かなり昔に卒業した大学から小包が届いた。開けてみると17年前の社会教育実習記録(日報・レポート)が入っていた。
大学3年、僕は地元の公民館で社会教育主事資格を目指し2週間社会教育実習をしていたのである。実習そのものは楽しかったし有意義だったが、思うところがあって試験を受けなかったので、実習の日報を大学に提出したまま預けっぱなしにしていた。その後保管期間が過ぎたので送り返されたらしい。
小学生のような拙い字が鉛筆でびっしり書き込まれていて、物怖じせず率直に実習の経過と感想が書かれている。これを読みながら実は不思議な偶然に驚いていた。ここ1ヶ月、それまで17年間忘れていたこの2週間の実習の日々を思い出すことがなぜか多かった。深夜に妙に鮮明に思い出し眠れなくなったこともある。
そんなときにこのレポートが届いたのでなんとも感に耐えず、全部読み終わると胸がいっぱいになり、親切だった人々に思いをはせた。寡黙でやさしかった館長さん、一日中チャゲ&飛鳥をかけまくる愉快な嘱託のおばさんたち、今どうしているんだろうか。
実習は楽しかったし、市民の音楽活動や郷土の歴史に携わる仕事なのだから、自分に向いていただろうに、なぜ資格を取らなかったのだろう。今となってはその心境を思い出せないが、思えば当時は平成3年。バブル経済・就職売り手市場の絶頂期である。先輩たちはだれもが一流企業の内定を2.3個とり、研修旅行に海外に連れまわされていた。自分もできれば大手の出版社に入り、都会的な編集者になりたいと考えていた・・・。
しかし1年後、まるでマンガのようなオチで、バブル崩壊。僕たちの世代からきっかり就職氷河期となり、曲折を経て現在に至るわけである。
最近は厳しい不況の中、理不尽なほど多忙だし、組合の役員をやっている関係で組合争議も多くて疲れる。最近実習のことを思い出すのも、「あのときあの道に進んでいたらなぁ」と無意識のうちに当時の決断を後悔しているからなのかもしれない。
だが、決断したのも自分なら、今ここにいるのも自分である。別の道に進んでいたら今よりいい目にあっていたかもしれないが、それはあくまでも推量である。あの決断をしたから現在の友人に恵まれ、好きな音楽を続けられたのである。
大好きなNik kershawの曲に「You might」というのがある。mightはMayの過去形だから、You might be(=have been)・・・といえば「君はは・・・だったかもしれない」との意。
僕の場合、You might be 社会教育主事orヤンエグ編集者or作曲家orアイドル。だけど歌の通りやっぱり自分は現在の自分でしかないのである。
もしかするとこの小包は、最近なにかと迷いがちな僕を励ますために17年間かけてたどり着いたのかもしれない。
大学3年、僕は地元の公民館で社会教育主事資格を目指し2週間社会教育実習をしていたのである。実習そのものは楽しかったし有意義だったが、思うところがあって試験を受けなかったので、実習の日報を大学に提出したまま預けっぱなしにしていた。その後保管期間が過ぎたので送り返されたらしい。
小学生のような拙い字が鉛筆でびっしり書き込まれていて、物怖じせず率直に実習の経過と感想が書かれている。これを読みながら実は不思議な偶然に驚いていた。ここ1ヶ月、それまで17年間忘れていたこの2週間の実習の日々を思い出すことがなぜか多かった。深夜に妙に鮮明に思い出し眠れなくなったこともある。
そんなときにこのレポートが届いたのでなんとも感に耐えず、全部読み終わると胸がいっぱいになり、親切だった人々に思いをはせた。寡黙でやさしかった館長さん、一日中チャゲ&飛鳥をかけまくる愉快な嘱託のおばさんたち、今どうしているんだろうか。
実習は楽しかったし、市民の音楽活動や郷土の歴史に携わる仕事なのだから、自分に向いていただろうに、なぜ資格を取らなかったのだろう。今となってはその心境を思い出せないが、思えば当時は平成3年。バブル経済・就職売り手市場の絶頂期である。先輩たちはだれもが一流企業の内定を2.3個とり、研修旅行に海外に連れまわされていた。自分もできれば大手の出版社に入り、都会的な編集者になりたいと考えていた・・・。
しかし1年後、まるでマンガのようなオチで、バブル崩壊。僕たちの世代からきっかり就職氷河期となり、曲折を経て現在に至るわけである。
最近は厳しい不況の中、理不尽なほど多忙だし、組合の役員をやっている関係で組合争議も多くて疲れる。最近実習のことを思い出すのも、「あのときあの道に進んでいたらなぁ」と無意識のうちに当時の決断を後悔しているからなのかもしれない。
だが、決断したのも自分なら、今ここにいるのも自分である。別の道に進んでいたら今よりいい目にあっていたかもしれないが、それはあくまでも推量である。あの決断をしたから現在の友人に恵まれ、好きな音楽を続けられたのである。
大好きなNik kershawの曲に「You might」というのがある。mightはMayの過去形だから、You might be(=have been)・・・といえば「君はは・・・だったかもしれない」との意。
僕の場合、You might be 社会教育主事orヤンエグ編集者or作曲家orアイドル。だけど歌の通りやっぱり自分は現在の自分でしかないのである。
もしかするとこの小包は、最近なにかと迷いがちな僕を励ますために17年間かけてたどり着いたのかもしれない。
2008年2月5日
スローミュージックを目指そう・・・
マク○ナルド店長の残業不払い問題も大変だが、ちょっと前のペッパー○ンチ、吉○家ギガ盛り、ケン○ッキーのゴキブリ騒動など、外食産業の労働環境に問題が多い。
僕も高校生の頃ケンタ○キーで厨房のバイトをしたことがある。いまでもケン○ッキーに行くと、出てくるチキンの部位と処理の仕方、揚げ方にチェックを入れてしまう。
そこのお店は裏に一歩はいると店長とマネージャーが怒鳴りあいの喧嘩していて怖かった。ドス黒い男女の人間関係が渦巻いていて、まだ純真だった僕はそういう店の雰囲気になじめずに半年でやめてしまった。今思えば貴重な高校時代の一時期を、たかが知れた自給と引き換えにしてしまった。
さて、年明けから再生紙偽装問題でわが業界は騒然とした。製紙会社の立場にもいろいろ事情があるのだが、言語道断だろう。
そして今度は大豆油インキの偽装。紙とインキが偽装ではわが業界はもう大混乱である。
そしてもちろん農薬餃子問題。騒ぎがここまで大きくなれば、このショックで日本の外食産業は曲がり角を迎えるかもしれない。
一昨年の耐震強度偽装に始まって、これはどうしたことだろう。偽装までしてコストダウンした恩恵は僕ら庶民にまったく還元されてはいない。その利益はどこへ行ってしまったのか。株主か外国の投資家か?
今の時代、本物がどれかわからなくなっている。われわれアマチュア音楽家だけは、最初からコストは度外視している(というか持ち出しである)のだから、ひたすら偽りの無い手作りの音楽を作っていきたいものである。
そのあいまいな意味合いはともかくスロー○○という言葉が出来て久しいが、スローミュージックもしくはスローコンサートというものがあってもよい。ひと昔前は楽譜ソフトもなければメールもHPもなかった。団員募集や練習日程を口コミや連絡網でやっていた時期があったのだ。
だから昔に戻せというわけではないが、なにかやはり今はすべてがせわしなく、みんながどこかで無理をしている気がする・・・。
僕も高校生の頃ケンタ○キーで厨房のバイトをしたことがある。いまでもケン○ッキーに行くと、出てくるチキンの部位と処理の仕方、揚げ方にチェックを入れてしまう。
そこのお店は裏に一歩はいると店長とマネージャーが怒鳴りあいの喧嘩していて怖かった。ドス黒い男女の人間関係が渦巻いていて、まだ純真だった僕はそういう店の雰囲気になじめずに半年でやめてしまった。今思えば貴重な高校時代の一時期を、たかが知れた自給と引き換えにしてしまった。
さて、年明けから再生紙偽装問題でわが業界は騒然とした。製紙会社の立場にもいろいろ事情があるのだが、言語道断だろう。
そして今度は大豆油インキの偽装。紙とインキが偽装ではわが業界はもう大混乱である。
そしてもちろん農薬餃子問題。騒ぎがここまで大きくなれば、このショックで日本の外食産業は曲がり角を迎えるかもしれない。
一昨年の耐震強度偽装に始まって、これはどうしたことだろう。偽装までしてコストダウンした恩恵は僕ら庶民にまったく還元されてはいない。その利益はどこへ行ってしまったのか。株主か外国の投資家か?
今の時代、本物がどれかわからなくなっている。われわれアマチュア音楽家だけは、最初からコストは度外視している(というか持ち出しである)のだから、ひたすら偽りの無い手作りの音楽を作っていきたいものである。
そのあいまいな意味合いはともかくスロー○○という言葉が出来て久しいが、スローミュージックもしくはスローコンサートというものがあってもよい。ひと昔前は楽譜ソフトもなければメールもHPもなかった。団員募集や練習日程を口コミや連絡網でやっていた時期があったのだ。
だから昔に戻せというわけではないが、なにかやはり今はすべてがせわしなく、みんながどこかで無理をしている気がする・・・。
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