2009年6月29日

シモン・ボリバル・ユースオーケストラ・オブ・ベネズエラ

もうすっかり有名だが、いまさらながらシモンボリバルオケについて。
最初にN響アワー(だったか?)でドゥダメル指揮のこのオケの演奏を聞いたときは衝撃だった。チャイコの5番、最後まで画面から目が離せず引き込まれてしまった。とにかく演奏が熱い!炎のように熱いのだ。

指揮者の棒に全員が狂ったように全身でむしゃぶりついてくる。音楽するみずみずしい喜び、無我夢中の快演であった。ユースオケということで若いし、ラテンのノリもあるだろうがなんとも明るくて躍動的。

以前やはりNHKのドキュメントで見たのだが、ベネズエラでは貧困層の子供に、音楽教育をしているプロジェクトがあるとの事。シモンボリバルオケはそこの選抜オケ。世界的指揮者に成長しつつあるドゥダメルもそこの出身だそうで、まさに奇跡のオケなのである。小難しい理屈や、深遠なアカデミズムとは無縁なこの純粋な熱い感動。クラシックファンは長い間こういう音楽を求めてきたのだと思う。

ねがわくはバッカスもこんな演奏をしたいものである。いや、かつては出来ていたのかもしれない。自分も含めて最近めっきりオケの心と体が動かなくなったと思う。

やっぱり音楽も体も「動く」ことだ。

かりにシモンボリバルオケの心がどんなに熱かろうと微動だにしなかったら、ここまで人の心を打つだろうか?

音楽と心の高揚に合わせて自然に体を動かすことだ。
体を動かす場所や方向・大きさを決めるという手もあるかもしれないが、それは違うと思う。 あくまで、内面のたかまりがあって体は動くものだ。

毎回違ってていていい。一人だけ反対方向でもいい。動きの大きい人・小さい人もいるだろう。
しかし、大事なのはあきらめないでまずは一人ひとりが「動く」ことだ。

音楽に感じやすい無邪気な心、その心の高まりを素直に表現できる柔軟な関節と恥ずかしいと思わない自意識。 これが必要である。

あんな演奏がしたい!!
間に合うかわからないがやってみよう。
年齢は関係ないはずだから。

静定工夫試忙裡・・・。

あぁ。今年は本当にこのたはごとを書く暇がない。
題名は文字化けではなく欧陽脩の言葉。・・・和平気象看怒中と続き、忙しさの中でこそ静かな余裕を持ち、怒りの中でこそ和やかになれと。キャパに乏しい僕には無理である。いろんなことに手を出している間に、あっという間に本番2ヶ月前である。

前からかこうと思っていたそどれみ編曲ノート。というほどでもないが、編曲で気付いたことを軽く。

選曲に当たってまずはクラシックから曲を集めていったのだが、傾向として北欧・東欧・ロシア・ドイツ・イギリスといった寒い国、どちらかといえば大陸的な気候の国の音楽にこの音階が多いようだ。作曲家でいえば、グリーグ、スメタナ、ブラームス、ベートーベン、チャイコフスキーなど。とくにベートーベン・ブラームスは多い。
イタリア・フランス・スペインといった温暖な海洋性のラテン系の作曲家には少ない。ビゼー・ロッシーニ・フォーレくらいしか発見できなかった。 アメリカは少ない。フォスターくらいか。

この違いはなんだろう。 そどれみの「そ」と「ど」のあいだの4度の飛躍、どうもここに鍵があるように思える。なにかこう、「そ」で大地に鍬を打ち込んで「ど」で持ち上げるような。土臭い、重い、力づよい、垢抜けない何か。 ヨーロッパ音楽を大陸民族・海洋民族の音楽に分けるとしたら、そどれみの香りはまさに前者だ。

クラシック音楽以外でたくさん発見したのは、明治大正の日本の唱歌。これは、日本歌曲の父山田耕作がドイツに留学していたからか。質実剛健なドイツの音楽が、明治日本の富国強兵の世相にあっていたのか。 明治大正の音楽の流れがそのまま受け継がれた形で、いわゆる昭和の懐メロからはかなり発見できる。昭和歌謡史は「そどれみ」の歴史といっても過言ではない。アニソンにも多い。あの日曜夜の国民的アニメのオープニングの冒頭など。

もちろん新旧ポピュラーでもたくさん発見できた。特にユーミンやサザンが非常に多い。現在も高い人気を誇るシティ・ポップスの旗手が、実は明治以来の日本の農耕的旋律を脈々と受け継いでいたのはなかなか面白い。 洋楽では、あまり見当たらない。最近そどれみはあまり人気がない・・・というわけでもなく、最近のアーティストで言えばG○eeeenなどの曲にもそどれみはある。

詳しい曲名は当日のお楽しみ。涙有り笑いありの10分間に37曲詰め込んだ超早変わりメドレーである。 いまのところ、若い団員たちのために、それぞれの曲について解説したり歌わなければならないのでなかなか合奏が進まないのである・・・。