職業柄、誤植にはいろいろな思い出がある。仕事上のは守秘義務があり語れないが、たわいの無いものなら高校生の頃、当時人気だった雑誌の「宝島」に面白い誤植のコーナーがあって、そこに投稿したこともある。この誤植は「VOW2」にも載っていて、今も見ることができる。堂々と本名で出ているので、暇な人は見てほしい。
内容的には英語の参考書で見つけた章ごとの小見出しにある「ここだけは絶対マスター」というのが、章が変わるごとに「マタスー」「スマター」と三段活用で変化していくというもの。当時は「スマター」がそこそこ受けて、シールをもらった。
演奏会のプログラムやCDのレーベルにも結構誤植が数々ある。身近なところで、業界でも開催の年月日、団体名、曲名、人名などに誤植があり、対応に大変な思いをした団体もあるだろう。特に偉い先生の人名や曲名はシャレにならない。我々も気をつけたいものである。吉水先生が吉永先生というのも時々見る。
業界で言えばドムラ協奏曲が「ドラム協奏曲」なのは良くある話で驚きもしない。入力者が「おいおい、これドラムだろwww」なんて気を利かせたんだろうか?
また「クラシックマ○でやバい話」にあったのだが、現代音楽の偉い先生の「冥」という曲名が、CDでどういうわけか「宴」になっていたとか。冥土とか冥界の「冥」をイメージして作られた曲を、宴会の「宴」という題名の先入観で聴いた人々の戸惑いと腑に落ちなさを想像すると気の毒だが笑える。
またクラシック界で定番の誤植、モーツアルト・ヴァイオリン協奏曲第5番《トルコ風呂》・・・キーボードが暴走してしまったのか、普段からそんな単語ばかり打ち込んでいるのでWordが学習してしまったのか・・・。ソリストがどんなにかっこよくても思わずほほが緩んでしまう。
題名違いといえば、学生の頃、ヴェルキの「組曲第二番」をどういうわけか「スペイン舞曲(モシュコフスキー?か何かの)」と勘違いして2ヶ月くらい練習してしまったことが有る。テープの曲順が間違っていたのか、譜面の題名もドイツ語だったのでよくわからなかったのか・・。
「うーん、この秘めた情熱がスペインっぽいんだよなあ・・・」なんて悦に入っていたのだから、間違いが分かったときは爆笑してしまった。だが、このときもしも最後まで気付かすに演奏していたらどうなっていたろう?スペイン風のヴェルキになっていたかも知れず、なかなか面白い。
たとえば何も知らない学生にmoのための「土偶」の譜面を「細川ガラシャ」と題を差し替えて演奏させたら面白いかもしれない。「細川ガラシャ」ってなにか宇宙人みたいな人だったんですね・・・なんて。
誤植の話からずれた・・・。
このまえ、なんとなくネット検索していたら、バッカス19のコンサートの曲目について、ある掲示板で「そどれみラプソディ」が「それぞれのラプソディ」になっていた・・・シ・シブい!井上陽水の曲みたいである。そどれみよりよっぽど詩的である。こんな曲があったら聴いてみたい。
なぜ、誤植が面白いかというと、無作為の偶然があるからである。無意識のうちに犯してしまうからこそ笑える。
演奏もそうで、わざと間違う人はいないのだが、無意識のうちに間違うときにある種のおかしみが生まれる。そして時には「それぞれのラプソディ」みたいな味のある誤植(ミス)も生まれる。
アマチュアの練習風景においては、こんな音楽上の誤植は日常茶飯事で、それ自体がじつはいつまでも忘れられない暖かな思い出になったりする。
(このたはごとも誤植だらけなことはおいといて)
バッカスマンドリーノの指揮者たちが日々の雑感などを徒然なるままに書き綴ります。マンドオケを中心とする音楽への飽くなき探求から、マニアックな趣味、果ては社会問題・現代世相まで何でもアリです。
2010年6月15日
2010年6月7日
サーベルと夏みかん
やっぱりなかなか更新できず。書きたいネタもあるのだが、まずは最近の練習風景の点描から。
最近ありがたいことに新人さんや見学さんが多い。ついに平成生まれも現われた!一番上のほうと下のほうとの団員の年齢差はついにかぎりなく30歳近くとなった。ほぼワン・ゼネレーション。理想の年齢分布図である。子育て世代の団員たちも、ボツボツ戻ってきてくれている。
練習場の中や外にはいつも数名の子供がいて、最近は子供たちも友達同士になったようである。この中から第2世代の団員が出るかも知れず。
僕ももう少し子供が大きくなったらつれてくるつもりである。そのとき(振っていればだが)はシモネタ厳禁で、謹厳な指揮者を演出するのでみな、話を合わせるように。
最近の新人さんで「CDを買ったことが無い(音楽は全部ダウンロード)」というのが出てきたということで呆然。僕らの間では、初めてレコードからCDに買い換えたのはいつごろ?というのがお互いの年代を知る話題だったのだが。
さて、そんなある日の練習(6/6)を点描。
まずこの日は、とんでもなく出席率が良かった。数日前に僕が「もっと体を動かして、自由な魂で弾け!」という大和魂注入メールを送ったので、早くもその効果が現れたかと二やついていたのだが、単に今日はパート写真を撮るというメールが流されたためらしい。
12時から小川君の1部の練習。舞踊風をインテンポでやっている!すごい轟音である。パストラルも練馬名物・またぐら納豆(がきデカ!古いね)のようなコクと、豪速のフィナーレ。みんな「弾けねー」といいつつ楽しそうである。
みんなが合奏している間、僕は砂町商店街で買ったころころモップとやすりを使ってなにやら作成。タイガージェット・シンがよく口に咥えているあれである。
さて僕の3部・新世界。今日は1楽章から。冒頭の低音のメロディ。ここは本当に重要である。このつかみでお客さんがやるな、と思うかがっかりするか決まってしまう。普通にいいだけじゃダメなのだ。異常に良くないとやる意味が無い。ここは、夏の間もこだわってやっていきたい。
後はリズム。「グルーブ感」は、ブラックなおミュージックの専売特許ではない。リズムに体ごと乗っていく感覚はこの曲を演奏する上での絶対必要条件である。ドヴォルザークだけに、この1楽章のリズムは機関車が疾走するリズムそのものなのである。西洋音楽の基本中の基本をここはあらためて再確認したい。機関車のリズムとは「ガッタン、ゴットン」なのである。けして「ガッタン、ガッタン」ではない。
みんなで同じ機関車に乗ること。なにも同じ方向を向いて行儀よく座っている必要は無い。向かい合ってトランプしたり、弁当を食べたりしてかまわないのだ。ただただ、同じ機関車に乗ること。1楽章は今日はそれを徹底。どうやらみんな同じ機関車に乗れたようである。
2楽章は、この日は通しただけ。バッカスが最も特意とするタイプの音楽である。ただしこの日は考えすぎて棒が死んでいた。
3楽章は、まだ弾くのに必死であるが、かなり形になった。正直こんなにかっこよくなるとは。大村君さすがである。ただ、中間部のチェコの舞曲っぽいモチーフが、生き生きとしてない。テンションがひくいなぁ。
4楽章も、基本的に機関車。冒頭のアレからして、機関車の重たい車輪が動き出す描写(ではなかろうか?)この楽章はみんな安定している。中間部のきれいなところ。ここもだいぶ良い。最後のLargoは宇宙的な音の洪水・・・これは本番ではもっとテンションが上がるのだから、語り草になるのではないか。曲が終わったとき、3分の一くらいのひとの弦が切れていたらおもしろい。
休憩の後2部。ドリフは、演奏のほうはかなり形になった。あとはテンションである。テレがあるなぁ。もっとはじけないと。
大河はもう満点である。とくに篤姫が泣ける。心が洗われる。これは思いっきり楽しんで演奏できそう。
表題のサーベルと夏みかん・・・。これだけで企画との関連が分かる人は、間違いなく80’s・・・いや僕らのお仲間である。
でもこれもどうなるか?諸問題があってまだテスト段階なのだが。
まずは、いろいろお客さんに楽しんでいただくために、合奏も企画も仕込み中なのである。
最近ありがたいことに新人さんや見学さんが多い。ついに平成生まれも現われた!一番上のほうと下のほうとの団員の年齢差はついにかぎりなく30歳近くとなった。ほぼワン・ゼネレーション。理想の年齢分布図である。子育て世代の団員たちも、ボツボツ戻ってきてくれている。
練習場の中や外にはいつも数名の子供がいて、最近は子供たちも友達同士になったようである。この中から第2世代の団員が出るかも知れず。
僕ももう少し子供が大きくなったらつれてくるつもりである。そのとき(振っていればだが)はシモネタ厳禁で、謹厳な指揮者を演出するのでみな、話を合わせるように。
最近の新人さんで「CDを買ったことが無い(音楽は全部ダウンロード)」というのが出てきたということで呆然。僕らの間では、初めてレコードからCDに買い換えたのはいつごろ?というのがお互いの年代を知る話題だったのだが。
さて、そんなある日の練習(6/6)を点描。
まずこの日は、とんでもなく出席率が良かった。数日前に僕が「もっと体を動かして、自由な魂で弾け!」という大和魂注入メールを送ったので、早くもその効果が現れたかと二やついていたのだが、単に今日はパート写真を撮るというメールが流されたためらしい。
12時から小川君の1部の練習。舞踊風をインテンポでやっている!すごい轟音である。パストラルも練馬名物・またぐら納豆(がきデカ!古いね)のようなコクと、豪速のフィナーレ。みんな「弾けねー」といいつつ楽しそうである。
みんなが合奏している間、僕は砂町商店街で買ったころころモップとやすりを使ってなにやら作成。タイガージェット・シンがよく口に咥えているあれである。
さて僕の3部・新世界。今日は1楽章から。冒頭の低音のメロディ。ここは本当に重要である。このつかみでお客さんがやるな、と思うかがっかりするか決まってしまう。普通にいいだけじゃダメなのだ。異常に良くないとやる意味が無い。ここは、夏の間もこだわってやっていきたい。
後はリズム。「グルーブ感」は、ブラックなおミュージックの専売特許ではない。リズムに体ごと乗っていく感覚はこの曲を演奏する上での絶対必要条件である。ドヴォルザークだけに、この1楽章のリズムは機関車が疾走するリズムそのものなのである。西洋音楽の基本中の基本をここはあらためて再確認したい。機関車のリズムとは「ガッタン、ゴットン」なのである。けして「ガッタン、ガッタン」ではない。
みんなで同じ機関車に乗ること。なにも同じ方向を向いて行儀よく座っている必要は無い。向かい合ってトランプしたり、弁当を食べたりしてかまわないのだ。ただただ、同じ機関車に乗ること。1楽章は今日はそれを徹底。どうやらみんな同じ機関車に乗れたようである。
2楽章は、この日は通しただけ。バッカスが最も特意とするタイプの音楽である。ただしこの日は考えすぎて棒が死んでいた。
3楽章は、まだ弾くのに必死であるが、かなり形になった。正直こんなにかっこよくなるとは。大村君さすがである。ただ、中間部のチェコの舞曲っぽいモチーフが、生き生きとしてない。テンションがひくいなぁ。
4楽章も、基本的に機関車。冒頭のアレからして、機関車の重たい車輪が動き出す描写(ではなかろうか?)この楽章はみんな安定している。中間部のきれいなところ。ここもだいぶ良い。最後のLargoは宇宙的な音の洪水・・・これは本番ではもっとテンションが上がるのだから、語り草になるのではないか。曲が終わったとき、3分の一くらいのひとの弦が切れていたらおもしろい。
休憩の後2部。ドリフは、演奏のほうはかなり形になった。あとはテンションである。テレがあるなぁ。もっとはじけないと。
大河はもう満点である。とくに篤姫が泣ける。心が洗われる。これは思いっきり楽しんで演奏できそう。
表題のサーベルと夏みかん・・・。これだけで企画との関連が分かる人は、間違いなく80’s・・・いや僕らのお仲間である。
でもこれもどうなるか?諸問題があってまだテスト段階なのだが。
まずは、いろいろお客さんに楽しんでいただくために、合奏も企画も仕込み中なのである。
2010年5月7日
春合宿≒珍世界<震世界
さて!春合宿である。前夜に子供と家内を群馬の実家まで送ったので、群馬の木崎駅からの参加。したがって1時間ほど延着。合宿所につくと4楽章の譜面が上がってきた。小川君ありがとう。そして3楽章は先週もらった。大村君ありがとう!
午後からの合奏はいきなり一番の難曲3楽章。今回の合宿の道中はいつもの愛読書アサヒ芸能も読まずに、スコアをたっぷり読み返してきたおかげもあって、パートの出、音量・テンポの指示がさえる。みんなも初見とは思えないほど良く弾ける。結局、通ってしまった。
夜は4楽章。これは技術的には難しいが、終始安定した4拍子なので、通せば通ってしまう。なによりも最初のドラチェロのメロディが鳥肌が立つほどしびれる。普通ならピッキングで引き飛ばす頭箔の4分音符も、じっくりうたいこむことで、かなり分厚く荘厳なハーモニーに。
なんと初日に大曲2曲が通ってしまった。何事も予習と集中力だ。これを高校受験くらいのときに気付きたかった。夜は1日目からの飲み会。少しだけ顔を出す。1時間くらい話をして寝た。
2日目はギターのパーレンをしたあと海へ。今年のミソギストは清久氏と石川君。海にダイブ付き。まだ寒いというのにほんとうにアッパレではあるが、なんだか去年もこの二人じゃなかったっけ?ここ岩井の海神くしなだ姫は、若いぴちぴちした男がお好きであろうからちょっと心配。来年はぴちぴちのイケメンをささげます、と心に誓う。
午後は企画ステージ中心。ドリフは楽しいし弾けて来た。あとは笑顔で楽しいノリを出せるか。音楽にはいろんな側面があるけれど、これはコントのノリなんだけどなあ・・・。指揮者自身が振るのに必死なのかもしれない。まずは自分が暗示にかからないと。
龍馬は、冒頭のソロアンサンブルがイマイチ決まらない。のでリズムがはいってからもイマイチ締まらない。それ以前にむちゃくちゃ難しいということもある。篤姫はすごくいい。やはり一曲はこういう歌えて泣ける曲がなくては。新撰組は文句なしにカッコいい。滅びの美学。
夜の合奏はいよいよ新世界全曲通しである。昨日譜面を配られていきなり新世界全曲。すごすぎである。おもえば、第10回がおわった頃から冗談半分で、20回まで楽団があったら新世界全楽章でもやろうか?といっていたのだが、本当にこの日がこようとは。僕のこの感傷が伝わったのか奏者の士気は高く、音圧はいつもの1.5倍だ。1楽章は技術的な最難曲であるにもかかわらず破竹の推進力で、2楽章は思わず涙腺が危うくなるほど美しく、3楽章はリズム的難曲であったが最後まで通り、4楽章は豪快な響きで大団円で終わることが出来た。1&2は振って、3&4は叩いて一応通ったのである。
以前演奏した新世界の編曲は、金管パートを主にギターに振っていた。金管が肝となるドヴォにおいては当然物足りない。原曲愛好者からしたら「珍」世界だったろう。今回は金管パートが無理なくドラ・チェロにふられトレモロとピッキングを上手く組み合わせて、メロディが立つように工夫してあり、オリジナル(管弦楽)のラウドネス・音色の多彩さにはかなわないとしてもこの震えるような音の洪水にかならずや驚いてもらえることだろう。
ドヴォルザークは本当に自分の地のキャラクターで振れる。同じ高血圧、高コレステロール系だし。鉄オタ、鳩飼育オタというなにか偏執的なところも似ているし、音楽がむずかしすぎない(けして簡単という意味ではない)ところもいい。1部はといえば、舞踊風もオリジナルの快速で飛ばすし、パストラも小川君の棒で、相当濃く練りこまれてきた。
2日目の夜、打ち上げである。いつもながらにぎやかに始まったが、今年もまた結婚や出生まどのおめでたい報告が続いた。今年も新人さんがたくさん入ってくれたのだが、この合宿の打ち上げには、若い男性の新人が多く、女子新人へのいつもの質問タイム「どんなシャンプーを使ってるんですか?」「えーと・・・アジ○ンス」「アジ○ンス!アジ○ンス!」(清○氏ら、シャンプーそのものが必要なさそうな連中が立って一緒に飲む)という一連のネタができず、その点寂しかった。最近は羽目をはずさないので、3時間くらい飲んで話したあと、おとなしく寝た。
3日目は昨日の課題を復習。まず龍馬のソロを各パートTOPを集めて練習。譜面も重音を増やし荒々しい感じに変えた。するとどうだろう。震えが来るほどかっこよくなった。不思議なもので冒頭のアンサンブルがまとまると、合奏も輪郭がはっきりしてきた。あとはやはり一番の難曲3楽章。この曲は体で覚えるタイプの曲である。全てのパートが自信たっぷりに弾きこなすにはもう少し時間がかかるだろう。
子供と家内を迎えに行くため、いそいで木崎にとんぼ返りする必要があるので、昼ごはんをカットして岩井駅に急ぐ。しかし結局12時台の電車には乗り遅れて、みんなと同じ電車になり、昼食を食べ損ねた形になってしまった。
こうして春合宿はおわり、前半の折り返し地点まで来たわけだが、もちろん練習はまだまだこれからである。久しぶりの団友・新人さんもまだまだこれから大いに参加してほしいのである。この僕自身が前期子育て中で、練習に行く時間を捻出するのに四苦八苦状態だが、それでも短時間でもすごく集中して練習すれば、この合宿のようにすごい効果はあるのだから。
午後からの合奏はいきなり一番の難曲3楽章。今回の合宿の道中はいつもの愛読書アサヒ芸能も読まずに、スコアをたっぷり読み返してきたおかげもあって、パートの出、音量・テンポの指示がさえる。みんなも初見とは思えないほど良く弾ける。結局、通ってしまった。
夜は4楽章。これは技術的には難しいが、終始安定した4拍子なので、通せば通ってしまう。なによりも最初のドラチェロのメロディが鳥肌が立つほどしびれる。普通ならピッキングで引き飛ばす頭箔の4分音符も、じっくりうたいこむことで、かなり分厚く荘厳なハーモニーに。
なんと初日に大曲2曲が通ってしまった。何事も予習と集中力だ。これを高校受験くらいのときに気付きたかった。夜は1日目からの飲み会。少しだけ顔を出す。1時間くらい話をして寝た。
2日目はギターのパーレンをしたあと海へ。今年のミソギストは清久氏と石川君。海にダイブ付き。まだ寒いというのにほんとうにアッパレではあるが、なんだか去年もこの二人じゃなかったっけ?ここ岩井の海神くしなだ姫は、若いぴちぴちした男がお好きであろうからちょっと心配。来年はぴちぴちのイケメンをささげます、と心に誓う。
午後は企画ステージ中心。ドリフは楽しいし弾けて来た。あとは笑顔で楽しいノリを出せるか。音楽にはいろんな側面があるけれど、これはコントのノリなんだけどなあ・・・。指揮者自身が振るのに必死なのかもしれない。まずは自分が暗示にかからないと。
龍馬は、冒頭のソロアンサンブルがイマイチ決まらない。のでリズムがはいってからもイマイチ締まらない。それ以前にむちゃくちゃ難しいということもある。篤姫はすごくいい。やはり一曲はこういう歌えて泣ける曲がなくては。新撰組は文句なしにカッコいい。滅びの美学。
夜の合奏はいよいよ新世界全曲通しである。昨日譜面を配られていきなり新世界全曲。すごすぎである。おもえば、第10回がおわった頃から冗談半分で、20回まで楽団があったら新世界全楽章でもやろうか?といっていたのだが、本当にこの日がこようとは。僕のこの感傷が伝わったのか奏者の士気は高く、音圧はいつもの1.5倍だ。1楽章は技術的な最難曲であるにもかかわらず破竹の推進力で、2楽章は思わず涙腺が危うくなるほど美しく、3楽章はリズム的難曲であったが最後まで通り、4楽章は豪快な響きで大団円で終わることが出来た。1&2は振って、3&4は叩いて一応通ったのである。
以前演奏した新世界の編曲は、金管パートを主にギターに振っていた。金管が肝となるドヴォにおいては当然物足りない。原曲愛好者からしたら「珍」世界だったろう。今回は金管パートが無理なくドラ・チェロにふられトレモロとピッキングを上手く組み合わせて、メロディが立つように工夫してあり、オリジナル(管弦楽)のラウドネス・音色の多彩さにはかなわないとしてもこの震えるような音の洪水にかならずや驚いてもらえることだろう。
ドヴォルザークは本当に自分の地のキャラクターで振れる。同じ高血圧、高コレステロール系だし。鉄オタ、鳩飼育オタというなにか偏執的なところも似ているし、音楽がむずかしすぎない(けして簡単という意味ではない)ところもいい。1部はといえば、舞踊風もオリジナルの快速で飛ばすし、パストラも小川君の棒で、相当濃く練りこまれてきた。
2日目の夜、打ち上げである。いつもながらにぎやかに始まったが、今年もまた結婚や出生まどのおめでたい報告が続いた。今年も新人さんがたくさん入ってくれたのだが、この合宿の打ち上げには、若い男性の新人が多く、女子新人へのいつもの質問タイム「どんなシャンプーを使ってるんですか?」「えーと・・・アジ○ンス」「アジ○ンス!アジ○ンス!」(清○氏ら、シャンプーそのものが必要なさそうな連中が立って一緒に飲む)という一連のネタができず、その点寂しかった。最近は羽目をはずさないので、3時間くらい飲んで話したあと、おとなしく寝た。
3日目は昨日の課題を復習。まず龍馬のソロを各パートTOPを集めて練習。譜面も重音を増やし荒々しい感じに変えた。するとどうだろう。震えが来るほどかっこよくなった。不思議なもので冒頭のアンサンブルがまとまると、合奏も輪郭がはっきりしてきた。あとはやはり一番の難曲3楽章。この曲は体で覚えるタイプの曲である。全てのパートが自信たっぷりに弾きこなすにはもう少し時間がかかるだろう。
子供と家内を迎えに行くため、いそいで木崎にとんぼ返りする必要があるので、昼ごはんをカットして岩井駅に急ぐ。しかし結局12時台の電車には乗り遅れて、みんなと同じ電車になり、昼食を食べ損ねた形になってしまった。
こうして春合宿はおわり、前半の折り返し地点まで来たわけだが、もちろん練習はまだまだこれからである。久しぶりの団友・新人さんもまだまだこれから大いに参加してほしいのである。この僕自身が前期子育て中で、練習に行く時間を捻出するのに四苦八苦状態だが、それでも短時間でもすごく集中して練習すれば、この合宿のようにすごい効果はあるのだから。
登録:
投稿 (Atom)