ちょっと引っ張りすぎたが・・・
そしてバッカス20、最後のトリ曲「新世界全楽章」
2部の雰囲気とは打って変わって、客席も緊張しているようだ。バッカスの歴史を短く語るYASUKOさんのナレーションはむしろ淡々と明るく、それがかえって決意を高めてくれる。
一瞬、旗揚げから19年間の思い出がフラッシュバックした・・・汗をぬぐって歩く御茶ノ水の坂道、岩井海岸の青空、江戸川の蝉の声、夜の新小岩の路地裏、本郷のパトカーのランプ(ふたき公安出動事件ね)・・・まぶたの中をいろいろな光景がめぐった。
全員の顔を見渡してから、おもむろに棒を構えて第一楽章。暗い大西洋、霧に包まれるニューアムステルダム(というイメージ)
新世界にかぎっては、僕の印象だけでは美化されすぎるため録音も聴いてみよう・・・。
1楽章
序奏・・・なんていいんだ!D,C,Bの深さに思わず引き込まれてしまう。Gの気高いラッパもかっこいい。その後の管楽器の寂しげなハーモニーが美しい。いきなり良すぎる!マンドリンの盛り上がりもTIMPも熱い!・・・いちいちいっていたら大変なことになるから省略するが、1楽章はCに始まるNewpowerのモチーフとFやMNDに受け継がれる古きよきテーマが交互に呼応しあい、ひとつになって盛り上がっていくところが聴き所になっているが、例のゾウとネズミ理論でテンポを極力抑えたことで、意外に整然とし堂々たるシンフォニックな効果が出ていた。細かい毛先のみだれは耳に付くが、曲のエッセンス・表現したいこと・勢い・・・これらの濃すぎるパワーがそんな些細なミスなど吹き飛ばしてくれる。
2楽章
これも序奏にこだわった・・・。結果、深い。そしてなんといってもCソロ、名手マキちゃんが、ここではけして飾らず力まず、ひたすら朗々と歌い上げている。こみあげてくるなぁ。思わず目を瞑って聴いてしまう。本番も(ちょっと芝居がかっていたが)目を瞑って振った。中間部、指揮者が一生懸命何かやろうとしている感じ。これも悪くないのだが、テンポなんて揺らさないくても奏者が本当に気持ちをこめて歌っているので、変に動かさないほうがよかったかもしれない。続いてクラ、ベースが思索的ですごくいい。中間部のお祭りも感動的。最後のソリも泣かせる。思わず涙ぐんでしまう。
3楽章
最初の勢い、管弦に劣らずかっこよくてびっくりさせられるが、1回目が少し転んでいるかな?この序奏は計3回繰り返されるが、2回目3回目とだんだん良くなっているのでOK。例のモチーフはカッコいい。戦っている感じがよく出ている。逆落としにつっこんでくるようなクレッシェンドがGOOD。管楽器ののびのびした音色も最高。テンポもよく豪快で予想以上の出来。惜しいのは最後にドラが、このスケルツオの謎解きをしているのだが、ちょっと混沌として聞こえない・・・。でもこの勢いと奏者の前のめりな情熱は、どこにも出せない味である。
4楽章
豪快な序奏。「気迫」の二字が伝わってくる。テンポはとてもいい。前夜「ゾウとネズミ理論」に気付かなかったら、たぶんもっとあせって、せかせかとしたもったいない音楽になっていたことだろう。骨太な響きががっちりと肩を組み、心をひとつに奏者が燃え上がる・・・これぞ魂の演奏。途中、実演中も気付いたし、録音を聞いてもそうだが、一瞬か二瞬、奏者の体力・集中力が限界に達し、分解しそうになる瞬間がある。だが、僕はそれを恥ずかしいとは思わない。弓よりもマンドリンで演奏するほうが数倍疲れる。限界までそれをやったのだから誇りに思うべきだ。そもそも体力の限界まで演奏できる機会ってそんなにあるだろうか。
それに、一瞬力尽きるが、次の瞬間には、斃れた仲間の遺志を受け継ぐように、音楽の魂が、消えない炎のようにすぐに復活してくる。この不屈の闘志がいい。これぞドラマだ。フィナーレのの音の洪水、僕は録音を会社の昼休みのトイレで聞いたときおもわず嗚咽した(註:オエッ、ではない)
なんてすごいやつらなんだ!!バッカス・マンドリーノは!!
この演奏(録音)のすべて(些細なミスも含め)がいとおしい。こんな演奏は二度と誰にも出来ないだろう。
僕の人生を通じて、「これがバッカスマンドリーノ。あらゆる演奏(録音)で一番好きな演奏です」と胸を張っていえる演奏であった。
実演のレヴューに戻る。ブラボーと鳴り止まない拍手をいただきながら、僕らにはもう一滴のガソリンも残ってはいなかった。パートをそれぞれ立たせたあと、2回出入りしたくらいであっさりアンコール。今年は団員間で非常に評判のよかった「篤姫」。
考えてみると今年、鉄の団結で合奏を引っ張ってくれたTOP陣はBASSを除けば全員女性なのである。信義をつらぬき激動の時代を力強く生きた「篤姫」は、まさに今年のTOP陣を象徴していたのかもしれない。だからだろうか、演奏中泣く団員が続出した。卒業とかは関係ないルーチンワークの社会人団体では極めて珍しい現象である。心はひとつ。もう言葉は要らない・・・最後の最後までトレモロをあじわおう。
・・・終わった。今回の演奏は終わってみれば、自分が19年間目指してきた、こんな演奏会が出来たらいい、と思っていた理想の演奏会そのものだった。不思議なもので練習に夢中なときはそんなこと思わなかったのだが。
ちょっと回想するが、最初の10年は、本当に毎回手探りで、暗中模索の日々だった。劣等感や虚栄心にさいなまれ、こんな演奏をしたらバカにされるんじゃないか、○○団には負けたくない・・・。マンドリンオケは贋物で代用品に過ぎないんじゃないか?・・・あのままだったら自分は指揮者としてつぶれていたろう。
しかし幸い、人の縁だけには恵まれて、団員はもちろん、アマ・プロ、マンド界・非マンド界、国内・国外、いろいろな「上には上」の人々と触れ合うなかで、そういう尊敬すべき人たちほど、ちっぽけなプライドや見栄などと無縁な自由な精神で音楽を楽しんでいることを知った。
音楽を楽しむ才能は、万人に平等に与えられた権利なのだ。音楽はみんなのもので神様みたいに誰にも犯せないものだ。我々ごときが音楽をどうこうしようなんて傲慢なことだ。無い頭で悩むより楽しんでしまえ!そう開き直った頃から、指揮が楽しくなってきた。~(回想終わり)
終演後、お客様に挨拶する。懐かしいOB・OGたちの顔も見える。ありがとう!いつかまた同じステージに立ちましょう!個人的にうれしかったのは、駒澤の現役の後輩がたくさん来てくれたこと(もう5.6年ご無沙汰だったのに・・・ありがとう)館女で教えていたOG達がたくさん来てくれたこと。(みんなケバ、いや輝いているな、ありがとう)もちろん、葛飾を満員にしてくれたお客さん全員に、心からお礼を言いたかった。
ここであらためて本気でお礼。ここまで続けられたのも、お越しくださるお客様のおかげです・・・。本当に団員一同お礼申し上げます。
打ち上げはふたきへ。大入り満員の大成功と20回記念で、異様に盛り上がったことはもう言うまでもない。僕と小川君へのプレゼントは巨大なアフロのカツラとひげダンスの燕尾服。浴衣から着替えたのでめんどくさくてブリーフ一丁の上にはおって、ひげダンスでサーベルに夏みかんの再演したら受けていた。この日もさまざまなキャラクターが入り乱れる、強烈な飲みとなった。
そして、例年通り聖杯の登場。この聖杯の形状・材質は外部には一切極秘であるが、この聖杯も第一回目から登場しているので、じつに20回の歴史を秘めている。最初は悪趣味なシャレだったのだがシャレも5年やれば習慣、十年やれば常識、15年やれば権威、20年やれば伝説である。
この聖杯による回し飲みを頂点に宴は夜明けまで続いた。久しぶりに僕もかなり酔い、はだけたタキシードにブリーフ一丁で語っていたら、みかねたのか二人の20代前半の若い乙女が僕の前に座って「あの、お洋服を着たほうが素敵だと思います・・・」今年40歳の僕はブリーフ姿であわてて正座して「ハッ」とかしこまった。見ようによっては、ほとんど捕まった変質者であった・・。
翌日、去年に続き、団員がまだ眠る7時にふたきを出る。
やかましいせみの声の中、ひとつの時代が完結し、また新たな時代が始まる大きな区切りをやり遂げたという気持ちに、今までに無い充実感を感じて本郷三丁目を後にした・・・。
(ふたきさんも長い歴史にピリオドをうつらしい、ありがとうございました!また毎度お騒がせしました)