いかにオフとはいえ久々である。いろいろなことがありすぎて、生存確認書き込みさえ出来なかった。
まずやはり家内・桝川千明のドイツ国際マンドリン独奏コンクール(桑原康雄杯)のこと。11月末渡独。僕は仕事が休めないし、飛行機が苦手で同行は断念。
家内は筋金入りのモノ・リンガルなので現地でドイツ斯界通の宮武さんや児島さんに何から何までお世話になったとのこと。本当に感謝。
結果は予選通過でセミファイナルに進出したが、ファイナルには進めず、ベスト8入りというところであった。神戸からわざわざコーチに来てくれた横田さんおかげか、桑原康雄特別賞の候補になったらしいが、惜しくもこれはとれず。
本人はファイナル・入賞を目指していたので目標は達成できなかったが、このコンクールのレベルの高さは、予選落ちの奏者に欧州の名手がごろごろしていることでもわかる・・・。
結果は審査員との相性であろうから、まずは大健闘というべきであろうし、国際的な力量を身につけるという目的は十分果たしただろう。
そしてバッカス19の選曲会。今年はなかなか面白い結果となった。そんなに割れたりせず、アレもいいけどこれもいいな~といった前向きな雰囲気。
1部はザンパ。かなり前からやりたいと思っていた曲。プレリュード3。これも前から上がっていたが、吉水先生の作品はこれでほぼ制覇。東洋の印象第2組曲。まさかの東洋。アマディの鉄板曲。バッカスでこれをやる日がこようとは意外だったが大好きな曲なのでうれしい。
そして2部は「1812年」!実は再演である。第五回だからもう14年前か。当時のメンバーはもう数人しかいないだろう・・・。1812年はバッカスにとっても初期から中期へのターニングポイントになった曲である。
過去の曲目を見ても、前の年に韃靼人をやっっているが、本格的なクラシックの大曲に挑んだのはこれがはじめてであった。当時は関東マンド界では1812年はまだあまり演奏されていなかったようで、編曲を探すのも一苦労。探し探してついに九州のアマチュアの編曲家の方に分けていただいた。
当時、技術的にも周囲からは「無謀」とさえいわれたものである。実際かなりの背伸びであったろう。それまでノリと勘で棒を振っていた僕も、本格的な指揮技術やアナリーゼの習得という壁に阻まれ、苦い洗礼を受けることになった。
練習はまさに悪戦苦闘で、奏者と指揮者が一緒に悩む始末。まだ最後まで通らないのに、いつの間にか本番の舞台に立っている・・・夢をよく見たものである。悪夢にうなされて起きると両手が指揮を振っていた、なんてことがしょっちゅう有った。これはいまだに忘れられない思い出であるし、苦悩の末に迎えた本番で演奏し終えたときの開放感や達成感はこたえられないものであった。
自分の指揮者としての無力さを痛感させられ、成長させてくれた大事な曲である。当時からの人に聞くと、この曲からバッカスは「変わった」のだという。そういう曲をまた演奏できることに、僕は今から興奮している。自分がそしてバッカスがこの14年でどう成長したか知りたいし、この曲の出現は再び新たな時代へのターニングポイントかもしれないし。(クビになったりして・・・大丈夫か?)
この曲のハイライトはもちろん大砲がぶっ放されるあの部分だが、自分的には、後半のさびしげな民謡が荒涼とした大地を思わせた後、ロシアの反撃が始まるあの部分が大好きである。仕事や音楽活動、家庭問題やその他いろいろ、人生において敗北・退却することもけっこうあるが、じっと耐えていればいつも必ずなにかの糸口が出来て、逆転が始まる。そんなとき僕の胸にはいつもあの部分が流れているのである。
僕個人のことだけでなく、いま日本全体が暗い閉塞感にあふれている。1812年という曲は「粘れば最後に勝つ」という歴史の法則をわかりやすく実感させてくれる曲である。
さあ、オフもそろそろ終わり。ここからは決起の狼煙をあげて・・・バッカスの大反撃が始まりますよ。