2008年5月23日

なべて世はことばかり・・・

 この連休から5月にかけて、奇妙で悲惨な事件が多かった。女子高生やOLが行方不 明になったり殺されたり。その多くが携帯電話やそのメールがキーポイントなのが特 徴的である。
~昔文通、ちょっと前電話、いまや携帯出会い系~(都都逸調で) 
文通世代の僕から見ると、男女の出会いも発展もスピード化、グローバル化してい る。そっち方面の恩恵は全く受けた事がないが。

最近小中学生に携帯を持たせないようにという機運があるらしいが、この手の事件が これだけ続くとむベなるかなの感がある。いまや携帯を手放せない生活を現に自分が しているのだから、すべてを否定する気は無いが、仕事でもなんでも常に連絡が取れ る状態というのは結構ストレスである。職場での鬱が増えたのは携帯の普及と関係な しとはいえまい。

以前、炭鉱労働者の聞き書きを集めた本で、戦後まもないある地方の炭鉱集落では、 電話はもちろんラジオも新聞も無く、365日家族と近所の人の顔だけ見て暮らしてい た。という話があって可笑しかったが同時にうらやましくも思った。
昔の人はみんなそうだったのだろう。いまそこにいる人間と顔を突き合わせて全身全 霊でコミュニケーションしていたのだろう。いま、そんな風に人間ととことん付き合 えているか?と自分を省みると非常に心もとない。

そうこうしているうちに四川の大地震。昔読んだ春秋左氏伝にはしょっちゅう「地、 震ウ」とあったから、中国は昔から地震が多かったのだろうが、死者が5万人を超え るそうで、これには驚いた。
そしてここのところ悪化していた日中関係にもかかわらず、遅きに失したが日本の救 助隊も向かい、援助もなされたのは本当によかった。日本隊は犠牲者に黙祷をささ げ、それを見た民衆が感動したそうな。ここまできてふと思い出したのだが、やはり 中国の春秋戦国時代にこんな話があった。

~秦国が飢饉になり、隣国に援助を求めたら、卑怯にもこれ幸いと攻め込んできた。 何とか撃退すると今度はその隣国が飢饉になった。さあ今度はこちらが攻める番だと いきまく秦の穆公を、苦労人の重臣・百里渓が諌め、援助を進言した・・・「なるほ ど、憎い相手にあえて徳を施し、国際社会の信頼を得るのじゃな」と納得する穆公 に、「いいえ、気の毒だから援助するのです。災害はお互い様で敵味方関係ありませ ん」と百里渓がいったという話。昔の中国には偉い人がいたものである。

古代中国にはほかにも非攻を唱えた墨テキといった面白い人物が出ている。「非攻」 思想なんて、いまだに戦争をやめたくともやめられない現代の国際社会も大いに参考 にすべき思想だと思うのだが。