2012年7月12日

わかちこ!!

新潮文庫「ザ・ベストテン」を読んだ。


キャスティング方式(事務所の意向が強く、視聴者が本当に見たい歌手が見られない)が当たり前の時代、当時革命的だったランキング方式を採用したTBSプロデューサー・山田修爾氏の著書で、番組の裏話、黒柳徹子や久米ひろし、その他時代を風靡したスターの楽屋ネタもたくさん。

ご存知のように、ニューミュージック勢やフジサンケイ勢はランキングしても欠席だったが、それを隠さずに視聴者に謝ってしまうスタイルは、かえってランキングの信頼性、芸能界のリアルさを僕らに感じさせてくれた。

猛烈に楽しく読んだが、失礼ながら一番夢中になって読んだのは、巻末資料の番組全603回の毎週の1-10位のランキング。

70年代、ピンクレディーやキャンディーズ、山口百恵が常連だった頃のベストテンはふしぎと僕の記憶に残っていない。

記憶に残っているのはやはり松田聖子、トシちゃん、マッチが出だした80年以降だ。この頃のこの3人の勢いはすごく、デビューから2年間はこの3人での1.2.3位独占状態がよく見られた。

ただ面白いのは恋のぼんちシートとかイモ欽トリオとかの「企画物」も意外に1位になる。マッチ最強の名曲「ギンギラギン」も、「ハイスクールララバイ」に何週間も一位を阻まれ2位に甘んじたことがあり、マッチが人前で「何で俺が一位じゃないんだ!」と叫んだというエピソードはたぶんこの時期なんだろうとニヤリ。

80年代前半といえば聖子VS明菜という図式を誰もが思い浮かべるが、聖子は明菜登場以前にすでに頂点を極めており、二人が実際に競合した時期は意外に短く、しかもその時期はすでに明菜の勢いは聖子を問題にしていなかった。

むしろ気になったのが河合奈保子。その活動時期をほとんど聖子とかぶってしまったために、聖子が太陽ならつねに月のような存在(そういえばムーンライトキッスとかハーフムーンセレナーデとか月のつく曲も多かった)。だが、地道に浮き沈み無く80年代以降、最後までベストテンの常連であり続けた・・・。さり気にすごい。もしも松田聖子がいなかったら、河合奈保子は聖子になれたんだろうか?・・・そればかりは判らない。聖子vs奈保子の図式のほうが個人的には興味深い。

一時期は明菜vsチェッカーズの時代が続き・・・そこに他のニューミュージック勢や少年隊や光ゲンジといった次世代のアイドルが台頭し、僕が愛してやまないあの80年代中盤の混沌とした世界に突入していく。ああ・・・もう語りだせばキリがない(今度誰か酒とギターを置いて語り合いましょう)

ランキングの表を見ながら、次々と登場する名曲を口ずさむのが楽しい。11年間のランキング上位曲、ほとんど歌えるのにわれながら驚く。

関係ないが無駄知識。

中森明菜の「スローモーション」という名曲があるが、あの曲は来生えつ子があの岩井海岸ですごした時間をイメージして作ったそうだ。

みんな岩井海岸にいったら「♪出~会い~は~♪」と歌いながらスローモーションで走りまわってみては。