4.16久々の森下。この日は前日まで仕事がトラぶっていて、深夜までかかって片付き、なんとか当日12:30音だし。
うれしいことにまた新人さん見学さんにも来ていただいた。こんなにいい練習場で、お互い貴重な時間を使って集まっているはずなのだが・・・連日の残業で僕自身もあまり予習できなかったこともあるし、メンバーも1回前の練習と結構変わっていて、結局前回4/2と大して変わらない練習をしてしまった。練習もざわざわしてどことなく集中できない。これじゃ同じ内容の練習を2-3回づつやる感じで、時間がもったいない。
バッカス以外の土日は子供の世話があるし、今年は本業も激忙で土日出勤が結構ある。音楽にさける時間が、以前の3分の一くらいになった気がする。 いきなり愚痴になってしまったが、こうなって初めて、短い時間に集中して音楽することの大事さを感じる。じゃあ、効率第一で無駄を排した練習がいいかと言うとそれだけじゃつまんない。
少ない時間で集中してやるには・・・よく言われる「真剣に遊ぶ」という言葉の意味を考えたい・・・合奏は自分自身を見つめることでもあるし、周りの人に思いをはせることでもある。自分は楽しめているか?周りの人は楽しめているか?周りの人の時間を無駄にしていないか?・・・ACの広告みたいになってしまった。
そもそも大震災の余燼もまだまだくすぶっているし、日本中に目に見えない苦悩が覆いかぶさってみんなが逼塞している感じだ。あいまいな「便利で安全な生活」への欲求と、それを失う恐怖にわれを忘れて足元が見えなくなっている。
僕はこんな時はケセラセラで行きたい。無策の策という言葉もある。あえて悩まずにこの閉塞感を忘れたい。さあ次は合宿!待望のファランドールも上がるし、テンションを揚げていきたい。
歌劇「アルルの女」は、主人公の男・フェデリコがアルル(地名)の闘牛場で一目見ただけの女(なんとタイトルになっているくせに劇中に一度も登場しない)に恋焦がれ、やがて他人に奪われてしまうという妄想にとらわれ、すぐそばにあった本当の愛に気づかずに自ら命を絶ってしまうという悲劇。
アルルの女って結局どんな女よ・・・。
人間の愚かしさは今も昔も変わらない。