2009年12月7日

声を出すこと

ある朝の通勤満員電車の中でのこと。 僕はドア付近に立っていたのだが、同じ側のひとつ向こうのドア付近で、貧血なのか、突然若い女性が青白い顔で座り込んでしまった。 すぐに誰かが席を譲るだろうと思ってみていたのだが、座り込んだ女性のまん前の2人、20代と30代のサラリーマンは携帯か何かいじって完全に無視である。周りの人も手を出そうか、どうしようか迷っている感じだが、誰も何もしようとしない・・・。
離れた場所の出来事ながら、僕は「席を譲ってあげてください」と声をかけようとした・・・。すると、女性からずいぶんはなれたところの若い男性が席を立ったが、手まねで「どうぞ・・・」という感じで、貧血の女性も座ろうかどうしようか迷っている。結局、人並みをかき分けるという大変な体力を使って女性は何とか座ることが出来た。

これらの事態が、驚くべきことに、満員電車の中にもかかわらず全くの沈黙の中で行われた。まるで能を見ているようであった。 (結局自分も何もいわなかったのであるが) いつか、やはり衆人環視の中で暴行を受けた乗務員の事件があった。責任の分散しやすい集団の中だからこそ、声が出ない。判る気はする。 考えてみればみながみな事なかれ主義でも、正義感がないわけでもあるまい。要するに集団の中では「自分がやらなくても」「孤立したくない」「誰かがやってくれるから」という心理になるのだろう。

集団の中で他人の存在を意識しすぎて「お見合い」をしてしまうという現象。 これは合奏にもあることで「だれかががやるから」誰もやらない、というのは寂しいものである。これが最も忌むべき「他の人が入ったのを聞いてから入る」につながってしまう。 また、指揮者からの提案や問いにこたえる声(まぜっかえしやつっこみはともかく)がないと、指揮者も奏者も集団でいながらどんどん孤独になってしまう。

最初に声(音)を出すことは勇気のいることではあるが、来期は20回記念でもあるし、もっとざっくばらんに活気付いてもいいかなとおもうのである。 また、多くのOB・OGさん、新人さんの参加をおまちしているが上記のような「お見合い」は無用である。
メンバーはみんな優しくて太っ腹なので、最初から常連気分で思いっきり楽しんでほしいのだ。 と、久しぶりの書き込みだけあってまとまりがなさすぎるが、小川君、おーむらくんによる新世界の編曲を楽しみに待ちつつ、20回記念シーズン開幕はもうそこまで来ているのである。 (今後はシーズンに入るのでこまめにアップしようとおもいます)