2008年2月14日

you might be・・・

なぜか今頃、かなり昔に卒業した大学から小包が届いた。開けてみると17年前の社会教育実習記録(日報・レポート)が入っていた。
大学3年、僕は地元の公民館で社会教育主事資格を目指し2週間社会教育実習をしていたのである。実習そのものは楽しかったし有意義だったが、思うところがあって試験を受けなかったので、実習の日報を大学に提出したまま預けっぱなしにしていた。その後保管期間が過ぎたので送り返されたらしい。

小学生のような拙い字が鉛筆でびっしり書き込まれていて、物怖じせず率直に実習の経過と感想が書かれている。これを読みながら実は不思議な偶然に驚いていた。ここ1ヶ月、それまで17年間忘れていたこの2週間の実習の日々を思い出すことがなぜか多かった。深夜に妙に鮮明に思い出し眠れなくなったこともある。
そんなときにこのレポートが届いたのでなんとも感に耐えず、全部読み終わると胸がいっぱいになり、親切だった人々に思いをはせた。寡黙でやさしかった館長さん、一日中チャゲ&飛鳥をかけまくる愉快な嘱託のおばさんたち、今どうしているんだろうか。

実習は楽しかったし、市民の音楽活動や郷土の歴史に携わる仕事なのだから、自分に向いていただろうに、なぜ資格を取らなかったのだろう。今となってはその心境を思い出せないが、思えば当時は平成3年。バブル経済・就職売り手市場の絶頂期である。先輩たちはだれもが一流企業の内定を2.3個とり、研修旅行に海外に連れまわされていた。自分もできれば大手の出版社に入り、都会的な編集者になりたいと考えていた・・・。

しかし1年後、まるでマンガのようなオチで、バブル崩壊。僕たちの世代からきっかり就職氷河期となり、曲折を経て現在に至るわけである。
最近は厳しい不況の中、理不尽なほど多忙だし、組合の役員をやっている関係で組合争議も多くて疲れる。最近実習のことを思い出すのも、「あのときあの道に進んでいたらなぁ」と無意識のうちに当時の決断を後悔しているからなのかもしれない。

だが、決断したのも自分なら、今ここにいるのも自分である。別の道に進んでいたら今よりいい目にあっていたかもしれないが、それはあくまでも推量である。あの決断をしたから現在の友人に恵まれ、好きな音楽を続けられたのである。
大好きなNik kershawの曲に「You might」というのがある。mightはMayの過去形だから、You might be(=have been)・・・といえば「君はは・・・だったかもしれない」との意。
僕の場合、You might be 社会教育主事orヤンエグ編集者or作曲家orアイドル。だけど歌の通りやっぱり自分は現在の自分でしかないのである。
もしかするとこの小包は、最近なにかと迷いがちな僕を励ますために17年間かけてたどり着いたのかもしれない。