先週、あやぶまれていた引越しをなんとか遂行。本当に大変だった。
特にバッカス7/12の練習後は異様に疲れ、引越し前日なのに頭痛やだるさでダウン。はじめてクラリネット・パーカッションが入り、興奮しすぎたのかもしれない。
~花のワルツのクラのもたれ具合、ドラチェロのメロディの熱さに気を失いそうであるし、80'Sは、ドラムが入って、特に後半のホイッ○ニーでしんみりし、ク○ーンでたたみかけ、ウイー・○ー・ザ・ワールドで大団円のベタな展開がドーパミンドクドクである・・・聴衆の皆さんには絶対に何かを感じてもらえるはず。ご期待あれ!(以上宣伝)
そんなわけで和光最後の一日は朝から晩まで阿鼻叫喚状態で、名残を惜しむどころではない。
それにしても現代人のいかに物に埋もれて生活していることか。我が家は楽譜だけでもダンボール大10個以上が蓄積されていたのだが、それ以外にも見たこともない家財道具が押入れから、あらゆる収納から大量に出てきた。清貧・貞潔を家訓としている我が家でさえこれである。
結局、もって行くよりも捨てていくるものの処理のほうが大変である。引越し当日も清掃センターやハードオフにピストン輸送を繰り返しながらも、荷物は3トントラック丸々いっぱいということになった! 猛暑日の中、新居に荷物を運び込み、家具を配置して何とか生活できるようにし、近隣にあいさつ回りをして食料品を買い込むと、何とか人心地ついてきた。引越しはすさまじく大変であるが、考えてみると、際限なく溜め込んだ物を整理するという意味で10年に一度くらいはするべきかもしれない。 見も心もやせほそるくらい大変だったが、今はやってよかったという気がしている。
そして今週、退去の立会い。大体きれいに使ってきたが、家でもノリノリで演奏するため、足台やいすの足でフローリングに浅いヘコミや細かい傷が結構ついてしまっていた。それから壁紙や敷居に汚れ。窓のクレセント錠も取れていた。修理費を過分に取られたらどうしようと心配して、原状回復ガイドラインや裁判の判例まで丸暗記して緊張して望んだのであるが、管理会社の人たちは「きれいですね、ほんとに12年も住んだんですか?」と激賞。最近は2.3年でズタボロにして出て行く人も結構いるそうだ。
われわれはアパート中最長老の住人であったし、ほぼ最低限の費用で出れそうである。 鍵を返すと12年前引越してきたときと同じがらんとした部屋に心からお礼を言う。体の一部だったようなあの部屋が、今は他人のような顔をして静かに初夏の日差しに照らされている。 物哀しいような懐かしいような、そんな瞬間であった。
和光市の思い出を語りたいところだが、今は朝霞台での新生活のほうに手一杯で、和光を懐かしむ余裕は無い。あんなになじんでお世話になった場所なのだから、何か恩返しというか、思い出になることをしたかったと思っていたら、よく家内と僕で利用していた和光市勤労青少年センターの館長さんが、10月に市民の皆さんを招いた小さなコンサートを企画してくださることになった。 自分の中では和光市への恩返しコンサート。和光市への想いをマンドリンとギターで語ろう。和光市出身の清水かつらの童謡をアレンジして演奏しようか、などと考えているところである。